そんなわけで私は、時代物の挿し絵を描く場合は、昔の人、できれば江戸時代の人の描いた絵を参考にして描く。という方法を取っています。
江戸時代の絵描き、というと大概、浮世絵師だったりします。哥麿(うたまろ)とか鈴木春信とかは好きですが、私がそのままマネして描くのはおそれ多いような、ダレかからご注意を受けそうな気がするので、なるべく、あんまり知られていない、素人(しろうと)に毛の生えたくらいな絵師のマネをするようにしています。
畠中さんの小説を読んでから、その小説の様子を想像して、素人くさい絵の中から、それらしい人物をさがしてきて、物語のあるシーン、私が想像できるシーンを、その絵を参考にして描くのです。
なるべく、江戸時代の人になったような気持で、今は亡き、落語家の柳家小さん師匠言うところの、江戸時代の人の「了見」になって描くわけです。
私は江戸時代の、あんまり売れてない絵草紙の絵師でもって、絵は好きではあるけど、あんまり水際立った腕があるわけじゃなし。
作者の先生の物語を、読んで「ほー」と思ったり「なるほど」と感心したり「うーむ」とそのうまいのにうなったりしたあとに、じゃあ、あのオイラが「うまいナ」と感心したところか、「へえ、こんなカラクリが、世の中にはあるんだねぇ」など思ったところを選んで絵にしようとしますが、なかなかそれが、うまいこといかないことのほうが多いです。
ですから、あっしは、その読んでるしとの苦にならねえってーか、じゃまにならねえような絵を、なにかしようと、よけいなことをして、ややこしくならねえように、そういうとこに、気をつけておりやす。
まァ、16年なんて、長え間、おつとめできたのはほんとに、ありがてえ、めったにねえことだと思っておりやす。
私が思うには、畠中さんの小説は、江戸時代を現代に置き変えてとか、というんじゃなしに、現代人とは違う江戸人の気持や考え、つまり「了見」を、現代の私達に伝えてくれているんじゃないか?
現代ではもめ事があれば「訴えてやる」だの「法廷で争うことになりますよ」とかになって、我々はそのコトバにびくつきますが、町名主のような制度は、とてもうまくできたやりかただと私は思います。
そんなところに目をつけたのが、畠中さんのお手柄です。たくさんの読者がついているのも、ほんとうにすばらしいことです。
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