どうして「韓流」は世界を席巻できたのか。そして日本が追い抜かれた理由とは
- 2022.01.27
- ためし読み
一九九〇年代後半、日本のエンタメが好きな韓国の若者たちを取材した。
九五年から一年間、筆者が韓国へ語学留学をしていた当時、まだ日本の大衆文化は韓国では禁止されていて、日本の音楽や映画は、表向きには輸入してはいけない商品だった。
にもかかわらず、ソウルの路上の屋台に置かれたラジカセからは長渕剛の「とんぼ」がすさまじいボリュームで流れていた。いったいどうなっているのだろう? そんな素朴な疑問から始めた取材だった。
当時の政府の規制をかいくぐり、ジャニーズファンの韓国の若者たちは、カフェを借り切って「V6」や「嵐」のビデオ上映会を開いていた。ビデオは彼女たちが知り合った日本のジャニーズファンが送ってくれたものだった。日本の映画を専門に上映するカフェもあって、当時の韓国の若者たちにとって日本のエンタメは先を行く「イケてる」ものだった。
「安室奈美恵はすばらしい」
韓国人の記者にこんなことを言われたのは、二〇〇四年のことだ。日本では、韓国ドラマ『冬のソナタ』が大ヒットし、主演のペ・ヨンジュン人気が急上昇し、「ヨン様」ブームが始まった頃で、のちに第一次韓流ブームといわれるようになった年だ。
移り住んだ韓国で、ヨン様の取材のために韓国の芸能記者に会った際、あれだけ激しいダンスを踊っても歌も完璧だと、安室奈美恵のことを嫌みでもなく大真面目に記者は大絶賛し、韓国の歌手はまだまだ彼女には及ばないと嘆いていた。
それから二〇年近くたった。
今、世界の舞台でその名を高めているのは韓国エンタメだ。
この二〇年の間、韓国エンタメは劇的に、目まぐるしく、大きな変貌を遂げて、さらに今も刻々と変化しようとしている。
韓国エンタメ産業の変貌は、多少の不都合に目をつぶってでも、短期間に成長するために効率を最優先して発展を目指す、いわゆる“圧縮成長”の韓国社会の変化とダイレクトにリンクしていて、韓国エンタメの動きを追うと自ずと韓国社会のその時の動きが見えてくる。
韓国社会は、軍事政権下の民主化運動や、一九九七年の経済危機(IMFショック)で起きた産業構造の転換、世界的なデジタル社会への変貌などに適応しようとすることで変わってきた。このデジタル化については、「これ(世界での「韓流」ブーム)は、SNSがくれた韓国への贈り物」(『韓流の歴史』カン・ジュンマン)という指摘もある。韓国エンタメ産業は、動画サイトやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などネットサービスの登場と普及で大きく変化してきた。
本書の第一章から第五章までは、韓国エンタメ産業の歴史を追った。K-POPやドラマ、映画など韓国エンタメ産業が、韓国全体を巻き込んだ時代の変化のなかで、その戦略をどう変えていったのか、ターニングポイントとなった出来事やキーマンとなった人物などを盛り込んで紹介したい。
一大産業にまでなったエンタメ産業だったが、その急激な成長のなかで前近代的な価値観がとり残されたことで、大きな歪みも生じていた。二〇一九年という年には、韓国エンタメ史に残るだろうスキャンダル事件が幾つも噴き出し、スターが自ら死を選択するなど痛ましい出来事も相次いだ。第六章と第七章では、そうしたスキャンダル報道の幾つかを通して、成功者としてアンタッチャブルな存在になっていた韓流スターや、日本でも人気だったK-POPアイドルが自ら命を絶った背景について触れた。
またグローバルスターとなった韓流スターは、国内政治はもとより、国際政治上の影響力を持つまでになった。彼らの発言や行動が、本人たちの意図から離れて海外で政治的な対立を引き起こす事件も起きている。第八章では、そうした事件の背後にあったものに目を向けた。
そして本書の最終章では、かつての韓国では警戒感を抱きつつも「憧れ」をもって語られていた日本のエンタメコンテンツが、今の韓国でどう受け止められているのかをレポートする。
本書で取り上げた事件は、ウェブニュースサイト「文春オンライン」で二〇一七年から掲載している記事の中から、韓国エンタメ界の出来事や事件を扱ったもののうち、韓国社会を映し出している象徴的なものを選んだ。いずれも再構成の上、大幅に加筆している。
また引用する書籍や記事について、特に断りのあるものを除き、韓国語より筆者が訳している。
なお、アーティストの敬称は略していることをお断りしておく。
(「まえがき」より)
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