北上次郎が推す私の10冊
『雨夜の星たち』(寺地はるな/徳間書店)
『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗/講談社)
『本心』(平野啓一郎/文藝春秋)
『海辺の金魚』(小川紗良/ポプラ社)
『神よ憐れみたまえ』(小池真理子/新潮社)
『田舎のポルシェ』(篠田節子/文藝春秋)
『魔王の帰還(『スモールワールズ』所載)』(一穂ミチ/講談社)
『水よ踊れ』(岩井圭也/新潮社)
『余命一年、男をかう』(吉川トリコ/講談社)
『2020年の恋人たち』(島本理生/中央公論新社)
※文章登場順
これが「大人の恋愛小説」だ!
恋は、隠れているのが、いい。あの人の顔をみたい、あの人のそばにいたい――そういう自分の感情に自分が気づく前、がいい。「水面下の恋」がいいのだ。気持ちがはっきりしていたら、つまらない。
たとえば、『雨夜の星たち』のヒロイン三葉は、どうして星崎君を探しているのか。湯気のたつ食べ物や飲み物は苦手だ、と星崎君は言った。なぜ、との問いに、エネルギッシュって感じがするから、と彼は答えた。星崎君は元の職場の同僚で、付き合っていたわけではない。でも三葉は、彼を見かけたという情報が入るとなんと九州まで出かけていく。恋、という言葉は一度も出てこないが、この「水面下の恋」にぐんぐんひかれていく。
語られぬ恋、は他にもある。『高瀬庄左衛門御留書』の主人公庄左衛門の秘めたる恋だ。息子の死後、実家に帰った嫁志穂がそれでも通ってくるのは、義父から水墨画を習うためである。その志穂に恋心を抱いていた、というわけではない。志穂に幸せになってもらいたい、と庄左衛門は思っていただけだ。しかし本当にそれだけなのか。
そうか、急いで書いておく。この『高瀬庄左衛門御留書』は、老いていく主人公が藩の政争に巻き込まれる話で、語られぬ恋が主題ではない。ここにあげた10冊を「恋愛小説」と呼ぶのはやや言い過ぎで、正しくは、小説の中の一部分に「恋の感情」を私が感じ取ったリストに過ぎない。
平野啓一郎『本心』も、恋愛小説という枠内に止まらず、もっと大きな小説だが、朔也はルームメイトの彩花を本当に愛していなかったのか、と気になるのである。物語の中身をいっさい紹介せずに、部分だけを取り出してもわかりにくいかもしれないが、スペースの都合上やむをえない。この作者の『ある男』はエンタメ系読者にも絶対のおすすめの作品だが、これも例外ではないことだけを付け加えておく。
『海辺の金魚』は、児童養護施設を出ていく花の最後の日々を描いた小説だが、高校2年生の夏の回想に立ち止まる。「私たちはきっと友達ではない。互いを特別に好きだとか、もっと近づきたいとか、そういう感情があるわけでもない」と花は述懐し、「時間が経つにつれて、スリッパを拾ったことや名前を呼ばれたことも、きっと忘れてしまうだろう」と付け加えている。しかし断言してもいいが、忘れないのだ。こういう記憶はずっと残り続ける。大野貫太と将来付き合うようになるとか、そういう話ではない。おそらく花と大野君は一生会うこともない。しかし記憶は残り続ける。そしてその些細な記憶の中にこそ、恋という感情はあるのだ。
小池真理子の『神よ憐れみたまえ』も報われぬ恋を描いているが、こちらは詳細に当事者を紹介するとネタ割れになるので要注意。死と性を描くこの大作は読みごたえがたっぷりで、一気読みの傑作であったが、ここには幾つもの報われぬ恋が描かれている。私がここで取り上げたいのは、妄執的な恋のパターンだ。これもまた、はた迷惑ではあっても恋の一つなのである。
ここから先は、感情がやや明確になっているパターン。前半の5作が本人も気づかない「語られぬ恋」であるならば、後半の5作は本人が気づき始めている「明確な恋」だ。とはいっても、ここに一緒に並べるのだから、幸せな恋は極端に少ない。
まず、『田舎のポルシェ』。これは表題作がいい。米を引き取るために、こわもてヤンキーを運転手に雇い、軽トラで実家に向かう道行を描くものだが、坊主頭の中年マイルドヤンキー瀬沼の「バカだけどいい奴」というキャラがいい。最初は反発していた翠も徐々に気を許していくのがごく自然に描かれている。
「魔王の帰還」はやや注釈が必要かも。ここは鉄二と菜々子ではなく、鉄二の姉真央と、その夫勇に焦点を合わせたい。はたして離婚が回避されるのか、という短編だ。
『水よ踊れ』をここに並べるとやや奇異に思われるか。というのは、和志の初恋の少女はビルから飛び下りて死んでいるのだ。これでは結ばれようがない。これは少女の死の真相を調べる青年の彷徨を描く長編だが、恋を疑わないという点で、後半に分類しておく。
『余命一年、男をかう』は、吉川トリコの傑作。癌の宣告をうけた吝嗇ヒロイン片倉唯40歳が、自棄になってこれまでに溜めた貯金を、いかにもチャラそうなピンク頭のホストに使う話。ホスト瀬名の述懐が最後に入る構成がいい。
で、ラストが『2020年の恋人たち』。人が人を好きになる瞬間と、心が離れる瞬間を、これほど繊細に、リアルに描いた小説は少ない。ようするに、唸るほど絶妙だということだ。
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