感覚的、間接的な言葉を積み上げても、自分への疑いを隠せているわけではない。伊藤さんと山口氏の言い分が食い違っているのはもちろん、そもそも山口氏の言い分を羅列すれば、山口氏の言い分同士が食い違っているのである。本人の同意がない避妊具なしでの性交、ここに「どっちもどっち」を発生させてはならない。そのつもりだったのではないか、自分の就職のために利用したのではないか、そういった「たられば」の発生もいつまでも止まらないが、本人の同意がない避妊具なしでの性交の事実がそこにある。動かしてはいけない事実だ。
警察は一度、逮捕状を請求した。しかし、逮捕する当日になって、菅義偉官房長官(当時)の秘書官であった中村格警視庁刑事部長(当時)の指示によって、逮捕状の執行が突然止められた。異例の事態である。山口氏は「週刊新潮」編集部からの取材依頼書を「北村」なる人物に転送するつもりが、誤ってそのまま編集部に返信してしまった。「北村と聞いて頭に過(よぎ)るのは、北村滋・内閣情報官を措いて他にない」(「週刊新潮」二〇一七年五月二五日号)。
山口氏による『総理』(幻冬舎文庫)にも目を通したが、そこには政権中枢に食い込んでいくジャーナリストではなく、あたかも権力者の伝書鳩のような立ち回りが目立つ。具体的に言えば、安倍晋三首相(当時)から「山ちゃん、ちょうどいいからさ、麻生さんが今何を考えているかちょっと聞いてきてよ」と頼まれごとをするなどしていた。逮捕状がもみ消された。なぜもみ消されたのか。事細かに理由を語るものはいない。伊藤さんは中村氏を追いかけ、出勤途中の中村氏に「お話をさせて下さい」と声をかけようとしたものの、彼はものすごい勢いで逃げた。「人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった」という伊藤さんの皮肉めいた吐露は、この事件の力学を象徴しているかもしれない。
あまりにも理にかなわない言動や判断が繰り返されると、人はなぜか、それを順序立てて振り返る興味を失ってしまう。長期にわたる揉め事を確認すると、これだけ揉めているということは、どっちにも非があるのだろうな、と片付けようとする。どちらが優位か不利かを遠目に眺める。
でも、そういうことではないのだ。バランスではないのだ。起こしたことから逃れようとしている加害者がいて、そうであってはならない、自分のような経験を誰にも味わってもらいたくない、という思いから、その背中を捉えにいった被害者がいる。身勝手に用意された被害者像から外れているという理由でバッシングし、個人で名乗りを上げた勇気を、本当にそんな経験をしたのなら前に出てこられるはずがない、売名行為だと罵り続ける人がいる。許されないことだ。
「レイプは魂の殺人である。それでも魂は少しずつ癒され、生き続けていれば、少しずつ自分を取り戻すことができる。人にはその力があり、それぞれに方法があるのだ。私の場合その方法は、真実を追求し、伝えることであった」
伊藤さんがこの言葉に到達するまでの辛苦を、そう簡単に想像することはできない。自分が動けば動くほど、鋭利な言葉が自分に直接刺さる。言葉の暴力をふるう人間が、これは暴力ではないと言いながら暴力をふるってくる。政権中枢が絡んでいること、大手メディアの職員であったこと、好条件が維持されたまま、加害者は男社会が築いた高い壁に守られていった。先に記したように、起こしたことについては、自身で書いているにもかかわらず、それは二人にしかわからないことで、自分は嘘をつかれている、と主張してきた。
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