声を発する。声を発する度に、その声が潰される。それどころか、噂やイメージといった形のないものが権力の補助によって固形物となり、当人に勢いよくぶつけられる。それでも、改めて声を発する。すると、また同じことが起きる。より強い固形物がぶつけられる。
この反復が延々と続く暴力を知った後、私たちに何ができるのだろうか。孤立させないこと、同じような事態を起こさせないこと、逃げようとする加害者の背中を見逃さないこと。こうして箇条書きにするのは容易なのだが、繰り返し頭に叩き込まないと、私は、そして、私たちは、継続して考えるのを怠ってしまう。
泣き寝入りを望む人たち、そこに導こうとする人たちが作り出した流れに乗っからずに、「被害者のAさん」ではなく、伊藤詩織さんは名乗り出ることに決めた。その理由は、「今後彼女や私の大事な人たちを、私と同じような目に遭わせたくないという気持ちに尽きる」。彼女とは、妹のこと。ここで泣き寝入りすれば、近くにいる誰かが泣き寝入りしてしまうかもしれない。こんなことが二度と起きて欲しくない、これが伊藤さんの、今に至るまでの一貫した態度である。
そうはいってもあなたも悪かったんじゃないの? 性犯罪・性暴力にあった被害者が繰り返し浴びせかけられてきた言葉だ。その言葉は「どっちもどっち」を生み、保留状態のくせして、あたかも解決したかのように語られる。うやむやにし、勝手に余白を作る。すると、被害者に対して、どうしてその余白が残っているのかと凄む人が出てくる。少しでも動揺があれば、そこを突いていく。堂々としていても、突かれる。もう何でもありだ。泣き寝入りしてもらう仕組みばかりが強化されていく。その仕組みの中で潰されてきた声に、私はあまりにも無自覚に過ごしていた。伊藤さんがその認識を変えてくれた。
起きたことのあらましをひとまずまとめるのがこの手の文庫解説の流儀なのかもしれないが、そのまとめはしたくない。頭から最後まで読んでもらわなければいけない本だから。簡略化すればこぼれてしまう。
伊藤さんは、書籍の最後で、「あの日の出来事で、山口氏も事実として認め、また捜査や証言で明らかになっている客観的事実」を羅列している。そこからいくつか引くと、「私が『泥酔した』状態だと、山口氏は認識していた」「性行為があった」「私の下着のDNA検査を行ったところ、そこについたY染色体が山口氏のものと過不足なく一致するという結果が出た」とある。「泥酔した」状態にある相手と性行為に及んだ事実を、山口氏は事実として認めている。伊藤さんと山口氏との間で交わされたメールの中で、妊娠の可能性を心配する伊藤さんに対し、山口氏が「精子の活動が著しく低調だという病気です」と返している。その言い訳は、避妊具を装着しない状態で性行為に及んだ事実を自ら明らかにしている。
だが山口氏は、「意識不明のあなたに私が勝手に行為に及んだというのは全く事実と違います」とする。そして、こう書いた。「私もそこそこ酔っていたところへ、あなたのような素敵な女性が半裸でベッドに入ってきて、そういうことになってしまった。お互いに反省するところはあると思うけれども、一方的に非難されるのは全く納得できません」(傍点引用者<*>)。
なぜこれが「勝手に行為に及んだ」のではないことになるのだろう。自分が起こした出来事を、感覚的に、間接的に表現することで、あたかも同意があったかのように物語を練り上げていく。仮に、あくまでも仮に、山口氏のこのメール文が全て事実だったとしてみよう。泥酔ではなく、両者がそこそこ酔っている程度だった。それは、相手が酔っていたと認識していたことの申告である。素敵な女性、だからなんなのか。なぜ、お互いに反省する必要が、そして、一方的ではなく双方が問われる必要があるのか。
<*>傍点部分を太字に置き換えています。
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