- 2022.05.06
- コラム・エッセイ
中央線沿線の空気漂う伊藤理佐作品の魅力とは
山口 雅俊
伊藤理佐さんの漫画作品を原作としたドラマ「おいハンサム!!」<ディレクターズカット版>5月7日(土)12時スタート
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#随筆・エッセイ
『おるちゅばんエビちゅ』『おいピータン!!』をはじめ、数々の名作を送り出してきた伊藤理佐さんのマンガが、初の実写ドラマとなった。脚本・演出・プロデューサーを務める山口雅俊監督が、伊藤理佐作品の魅力を綴る。
伊藤理佐のマンガには、総武線や中央線沿線の空気が漂っている。
『おいピータン!!』に、どこにでもあるようなチェーン店のパン屋さんでアルバイトしている女性のエピソードがある。「どこにでもあるパン屋で働くどこにでもいる女になりたくなかった」と嘆く彼女だったが、たまたま大森が連れの渡辺さんに、「あのパン屋は北口のより南口のほうが美味しい」というようなことを話しているのを聞いて救われるという話だ。
東西に電車が走っていて、線路を挟んで北口と南口がある。そう思うと、『おいピータン!!』なんかはもう、中野、高円寺、阿佐ヶ谷あたりをイメージするとしっくり来る。伊藤理佐さん自身も、総武線、中央線のあのあたりに住んでいた時期があるんじゃないか? 中央線は東京駅から、果ては山梨、長野まで繋がっていて、伊藤さんは長野県出身だ。中央線の住民になる確率は、かなり高い(と思っている)。
僕も学生時代は高円寺に住んでいたから、伊藤さんの作品を読んでいると、夜な夜な飲み歩いていた当時のことを思い出してしまう。
高円寺の北口に昔、「桂川」という、水商売を終えた人が飲みに来る、深夜に開店して朝までやっている深夜営業のお店があった。人気沖縄料理店「抱瓶」のママや、世をすねた新宿のクラブのボーイや、清瀬で働いている歌手の記憶の上ではハンサムなオサムさんとその彼女など、とにかく得体の知れない人たちが深夜にわらわらと集まって来る、5人も入れば満杯になる味わい深い店だった。
当時の高円寺には、本当にヘンな店がいっぱいあった。鍋に入ったラーメンを卓上コンロで煮てそのまま食べさせる店とか、「桂川」の向かいには「黄色いブランコ」っていう、本当に天井からブランコがぶら下がっている記憶の上では美人ママがいるお店があった。ブランコに揺られているうちに酔いが回って、そのままブランコから落ちてしまう人が続出するという。そんな界隈にいるのも、ヘンな人ばかりだった。
昔ながらの本屋も喫茶店も、まだまだたくさんあった時代で、長身でスタイルがいいウェイトレスばかり雇っている大きい喫茶店なんていうのも存在していた。黒いブラジャーに薄手の白いブラウス、黒のタイトスカートという制服で、「桂川」のマスターいわく、喫茶店の店主のこだわりでそういう経営方針のお店だったらしい。
飲み屋でそんな話を聞きながら、不健康な日々の中でもたまには栄養のあるまともなものも食べなければと脈絡もなく思い「桂川」で隣り合わせた客からすすめられた定食屋にもよく行っていた。今はもうないけど、野方のほうにある「熊の仔食堂」という食堂で、自分なりに体に気をつかい、大根おろしなんかの小鉢もつけていた。
「桂川」で明け方まで飲み、朝方になってふらふらと歩いて帰る途中、きちんとスーツを着て駅に向かう人たちとすれ違った。逆方向に歩く己の人生の、なんとも言えない敗北感、敗残者感にじんわり浸りながら、六畳のアパートの部屋で眠りに落ちていく。大学生であることも忘れ、昼間は部屋でゴロゴロして、夜が更けるとまた酒を飲みに出かける。パチンコもよくやっていたから、負けて金欠になると飲みには行けない。ちょっと『闇金ウシジマくん』に出てくる人みたいな、デタラメな毎日だった。
今思うとろくでもない日々だったけれど、高円寺や阿佐ヶ谷、あと下北沢あたりには、そんな生活を送っている人がゴロゴロいた。街にも人にも、そういう人生を許容してくれているような空気があった。今もそうかな。
『渡る世間はオヤジばかり』『おいピータン!!』『あさって朝子さん』など、伊藤さんの描く作品がおもしろくて映像作品にしたいと思い立った根源には、そういう界隈に対する愛着、郷愁みたいなものも大きかったと思う。いまでも高円寺みたいな街で繰り広げられているであろう、食べたり飲んだりという人生の楽しみやおかしみを描いてみたくなった。だからドラマ『おいハンサム!!』の伊藤家の場所も中央線沿線という設定で、1話に出てくる伊藤家の近所という設定の商店街のシーンは、中野区の新井薬師で撮影した。中野や高円寺から北へ歩いた西武新宿線沿線の街、「熊の仔食堂」があった野方の近所だ。
当時の自分は一体、何がしたかったのか。どこに向かっているのかもよくわからなかったけれど、夜中の0時過ぎから飲みに出て、もつ焼きとコップ酒でダラダラと朝まで飲んで寝るという生活から繋がった未来は、今の道しかなかったのだと思う。
どうしようもない生活の中にも、生きるヒントはある、ということだ。
ドラマや映画を作るときは自分でも脚本を書くのだけれど、最近気づいたのが、僕にとっては“いつだったか” “前後関係はどうか”という時系列よりも、“何があったか”というエピソードのほうが大事なのだということ。だから中央線沿線の日々のことは、昨日のことのように思い出せる。もはやだれ一人振り向かない日々、なのかも知れないけれど。
高円寺を離れて山手線の大塚のほうに引っ越したことで、この、ろくでもない高円寺生活は終わりを迎えた。あれから何年も経ってしまったし、「桂川」のマスターも、もう亡くなった。駅から商店街を北にしばらく歩いて左に折れた左手に確かあったあの狭い店はもう消え去っていて、正確なところどの路地のどの場所にあったのかもわからない。でも高円寺の日々で、“何があったか”ということは鮮明に覚えている。
そして、引っ越した先では、また別のとんでもない生活が始まるのだけれど、それはまた、別の機会に。
放送情報
原作:伊藤理佐 脚本・演出:山口雅俊
「おいハンサム!!」<ディレクターズカット版>独占TV初放送!
BS255日本映画専門チャンネル 5月7日(土)12時スタート
地上波放送では泣く泣くカットした未公開シーンを追加したエピソードを含むファン待望の一挙放送!さらに、吉田鋼太郎による<ディレクターズカット版>ビジュアルコメンタリー特番や、伊藤理佐先生が二ノ宮知子先生、安野モヨコ先生とゲスト出演した「ボクらの時代」も特別放送!
公式ツイッター:https://twitter.com/oi_handsome @ oi_handsome
公式HP:https://www.tokai-tv.com/oihandsome/
プロフィール
山口雅俊 Masatoshi Yamaguchi
フジテレビのプロデューサーとして「ナニワ金融道」シリーズ(中居正広)、「ギフト」(木村拓哉)、「きらきらひかる」シリーズ(深津絵里・松雪泰子・小林聡美・鈴木京香)、「カバチタレ!」(常盤貴子・深津絵里)、「ロング・ラブレター~漂流教室~」(常盤貴子・窪塚洋介)、「ランチの女王」、「不機嫌なジーン」(ともに竹内結子)などを企画・プロデュース。独立して映画「カイジ」シリーズ(藤原竜也)を立ち上げた後、ドラマ・映画「闇金ウシジマくん」シリーズ(山田孝之)、ドラマ「新しい王様」シリーズ(藤原竜也・香川照之)の企画・プロデュース、脚本、監督など。
ドラマ「おいハンサム!!」では、脚本・演出・プロデューサーを務める。