賢太先生はもういない。そう思うと本の扉が重かったんだけど、読み出したらぐーっと引き込まれた。37歳の北町貫多は、私淑してきた不遇の作家・藤澤淸造の「歿後弟子」としての資格を得るため、師匠を練り込んだ私小説を書こうと奮闘していく。何者かになった人間が何者でもなかった頃を振り返ると、普通は気取るけれど、そうじゃない。作家デビューできない苛立ちや寂しさが粘着質の賢太節で綴られていく。
貫多ものは「男はつらいよ」の寅さんがモデルだとある編集者が言っていたけど、今回は2人の女性が登場する。まず、“売笑婦”のおゆう。そして石川県七尾の師匠の墓参りで出会ったマドンナ、“インテリ新聞記者”の葛山久子。貫多は2人の間でヤジロベエのように揺れ動く。読みながら、ドリフのコントじゃないけど「志村うしろ!」ってつっこみ、ゲラゲラ笑った。「おゆう、復活!」と快哉を叫ぶところは映画的だし、何度も「根がナントカで」というくだりが出てきて、しまいには「根が可憐にできてる」だって。
でも、賢太先生と寅さんの話をしたことはなかったな。フジテレビの「ボクらの時代」で初めて会って、一対一で飲みに行くようになった。昭和42年の東京生まれ、日本ハムファイターズのファン、貧乏経験……共通項が多かったんだ。
会うとまず近況報告して共通項や嫌なヤツの悪口を言い合って、笑う。お互いの家族や師匠の話もした。俺は師匠孝行をできていないと思うけど、そういう話をすると、いいなあって顔をしていた。「あんたはすごいことやってる」って俺は言ったんだ。藤澤淸造の位牌を預かり、墓を建て直したからさ。しんみりしたら験直しで買淫して、新宿の文壇バー「風花」へ流れた。
賢太先生は「50代で死ぬ」とよく言う。俺が「やめてくれよ、70代の貫多も読みたい」と返すと、「言われてるうちが華だ」。
飲んでお互いに褒め称え過ぎて、呼び方も「賢太先生」「玉さん」から「賢太」「玉」になり、取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。胸ぐらを掴まれたとき、秋恵(貫多の元恋人)の気持ちを味わったと思ったね。
暴走も逆走もする、人間的には運転免許を返納しなきゃいけない生き方だった。そこが面白いし、そんな人はこの人しかいない。自分を含めてタレントもサラリーマン気質で、つまらなくなっていく世の中に、賢太先生は端っこに追いやられるような表現で、風穴をあけていた。テレビに出なくなり、作家としてマス目を埋める方に戻っていった。
訃報を聞いた夜は「風花」にかけつけて、先生のボトルを飲んだ。今回読み終えたら、雨滴でびしょびしょ。胸が詰まり、ほろり泣いちゃって、絶句。思わず家から出て徘徊した。賢太先生の歿後弟子が現れるのを楽しみにしつつ、また読み直したい。切なくなるけど。
にしむらけんた/1967年7月、東京都江戸川区生まれ。「苦役列車」で芥川賞。刊行準備中の『藤澤淸造全集』(全5巻別巻2)を個人編輯。著書に『疒の歌』など。2022年2月5日、急逝。
たまぶくろすじたろう/1967年東京都新宿区生まれ。水道橋博士とコンビ「浅草キッド」を結成。芸人。全日本スナック連盟会長。
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