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- 2022.09.13
- 書評
初代担当編集者が語る“異能の理系作家”の素顔と想い出
文:澤島 優子 (フリー編集・ライター)
『代表取締役アイドル』(小林 泰三)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
フリーの編集者兼ライターとなった私は、新しい媒体で機会があるたびに、小林さんにエッセイなどをお願いし、細々とおつき合いを続けていた。二〇〇二年、「東京カレンダー」の版元が立ち上げた小説誌を手伝うことになった私は、小林さんに初めて連載小説を依頼した。当時の小林さんは会社員と作家の二足の草鞋状態で、作品のほとんどを書き下ろしで発表されていたのだが、不慣れな月刊誌連載を快諾してくださった。それが、雑誌「生本 NAMABON」でスタートした「世界城」という作品である。巨大な「城」の中で、傷つきながらも成長していく少年の姿をドラマチックに描くジュブナイル的ファンタジーで、小林さんにとっても新たな挑戦だった。しかし、雑誌の売れ行きが期待ほど伸びず、「世界城」にも連載中止命令が出て、小林さん初のファンタジー小説は未完のまま、幻の作品となってしまった。
その十年後の二〇一三年、今度は日経文芸文庫の立ち上げに参加することになった私は、すぐに小林さんに連絡して、「『世界城』の残りを書き上げて、書き下ろしとして出版させてほしい」とお願いし、二〇一五年十二月、ついに刊行に漕ぎつけた。出会いから二十年、私は初めて小林さんの本を企画から出版まで担当することができた。作家と編集者の仕事は、実に長い時間がかかるものである。
本稿のために、二十年以上ぶりに『玩具修理者』(角川ホラー文庫)を読み返してみた。「玩具修理者」と書き下ろし「酔歩する男」の二作を収録した短編集である。
面白かった。そして、やっぱりわからなかった。応募作品として「玩具修理者」を読んだときも、とても面白く、楽しめたし、緻密で完成度の高い小説だと唸った。だが、私は「ラヴクラフト」も「クトゥルー」も知らなかったし、呪文に隠された謎にも気づかなかった。小林さんから、「これ、実はビートルズなんですよ」とこっそり教えてもらったにもかかわらず、である。
「酔歩する男」にいたっては、なんだか変テコな恋愛小説だなあ、でもその変テコぶりが怖くて面白くてとても印象的な作品だなあ、その程度の感想だった。今、井上雅彦氏の文庫解説を読むと、ほとんどが私の理解を超えていて、つくづく私は小林作品をきちんと理解できていなかったことがわかる。発売当時、同僚や知り合いの編集者から、「『酔歩する男』はすごいね」「ハードSFの傑作だよ」などと称賛されたし、小林さんのオールタイムベストでも一位になるような作品なのだが、私自身は小林さんにトンチンカンな感想しか伝えていなかったと思う。先ほど「編集ガチャ」と書いたが、私は小林さんにとっていい編集者ではなかった。作品への理解力もなければ、SF脳もホラー脳もミステリー脳も持ち合わせていない。そのことを小林さんは、かなり早い時期に気づいておられたのだと思う。
『海を見る人』か『天体の回転について』の献本に添えられた手紙だったと思うが、「電卓片手に計算しながら読む人にも、澤島さんにも楽しんでもらえるように書きました」と書かれていた。電卓を片手に小説を読む人がいることにも驚いたが、小林さんが私という人間をきちんと理解してくださっていたことに感動した。そして、「専門知識のない一般読者」を想定する際に、私という「編集ガチャ」が少しはお役に立てていたのかもしれないと、今になって少しホッとしているのである。
昨年出た「SFマガジン」(二〇二一年四月号)の小林泰三特集の追悼座談会やエッセイを読むと、小林さんは「仮面ライダーとウルトラマンの話をする人」だったという記述がいくつも出てくる。「え、本当に?」と驚く。私は小林さんと一度もそんな話をしたことがなかった。ただの一度も。私は理系方面が苦手なだけでなく、一般常識や社会情勢にも疎いので、テレビや新聞で新しいことを知ると、それがどういうものなのか、どんな仕組みになっているのか、未来にどんな影響を及ぼすのかなど、小林さんに会ったら聞いてみようと思うことを頭の中で箇条書きのリストにしていた。小林さんと私は三歳違いの同世代で、作家と編集者というよりは、物知りで頼れる先輩と不出来な後輩のような関係に思えて、私は甘えていたのだと思う。実際にお会いすると、ただお喋りするのが楽しくて、箇条書きの質問など聞けたためしがないのだが……。他愛のない日常のあれこれを、時間が許すかぎり話していた。
「野性時代」が休刊して書籍部門に異動した頃、すでに担当ではなかった私は(むしろ担当を外れた気楽さからだったかもしれないが)、小林さんから「今、占いの勉強をしているので、生年月日を教えてもらえないか」と頼まれたことがある。後日、A4用紙数枚に占いの結果がびっしりと書かれた手紙が届いたのだが、そのなかに印象的なフレーズがあった。「孤独を愛する一匹狼」というものだ。その頃の私は会社員生活に耐えがたい息苦しさを感じていて、なんとかうまくやっていきたいと思う反面、企画会議を抜け出してトイレで吐いたりしていた。当時の職場がどうこうではなく、そもそも自分は組織に合わない人間なのではないかと思い始めていた。そんな心情を小林さんに吐露した記憶はないのだが、このフレーズは天啓のように胸に響いた。「孤独を愛する一匹狼、いいじゃないの! 人生という荒野を、ひとり駆け回るのだ」。まもなく私は退職を決めて、フリーランスの道に踏み出した。
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