- 2022.09.13
- 書評
初代担当編集者が語る“異能の理系作家”の素顔と想い出
文:澤島 優子 (フリー編集・ライター)
『代表取締役アイドル』(小林 泰三)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
二年前の十一月二十五日午後、私のスマートフォンが鳴り響いた。画面を見ると「小林泰三・自宅」と表示されている。誰からであれ、最近は電話がかかってくることは滅多にない。恐ろしい現実が、「もしもし」という女性の声と同時に襲ってくる。気がつけば自分の泣く声で相手の話もなにも聞こえなくなっていた。
小林泰三さんが亡くなったのは、二〇二〇年十一月二十三日のことだ。その二日後、奥様からの電話で私はそのことを知った。ほとんどの編集者や読者はこの二十五日夜の発表で初めて知らされたことと思う。作家でご友人の田中啓文氏の告知文によると、「奥様はネット環境になく、田中さんに公表してもらえとご本人がおっしゃっていた」ため、小林家の代理で告知した、とのことだった。「奥様はネット環境になく」というフレーズが胸に迫る。私自身、ネット方面には極めて疎く、SNSなどもやっていないので、ネット上の告知にいつまでも気づけなかった可能性が高い。小林さんはそういう私の事情をよくご存じだったので、わざわざ奥様に、「澤島さんには電話で直接知らせてほしい」と言い残してくださったのだ。私なんかのために、最期まで、なんという思いやり深い人だったろう。
小林泰三さんと私が出会ったのは、今から二十五年以上も前の一九九五年、小林さんが「玩具修理者」で第二回日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞されたとき、正確には最終候補の六作に残ったときである。当時の私は角川書店の小説誌「野性時代」の編集者で、日本ホラー小説大賞の選考委員である荒俣宏、高橋克彦両氏の担当だったこともあり、最終候補作品をすべて読み、選考会当日も会場に詰めていた。
日本ホラー小説大賞は前年に第一回が華々しく開催されたのだが、結果は佳作三作の選出にとどまった。ちなみに佳作の一編がのちに直木賞作家となる坂東眞砂子氏の「蟲」だったことからもわかるように、非常にレベルとハードルの高い文学賞としてスタートしていた。関係者のだれもが、今回は大賞受賞作を出したい、それに値する傑作が応募されていてほしいという熱い想いを抱いていた。その期待に違わぬ作品が集まったという手応えが、第二回の最終候補作を読んだ編集者や選考委員にはあったと思う。一月三十日の選考会では、ほぼ満場一致で大賞に瀬名秀明さんの「パラサイト・イヴ」が、そして新設された短編賞には小林泰三さんの「玩具修理者」が選出された。選考委員も編集者も一様に興奮し、満足した結果だった。
七百枚を超える長編作品で受賞した瀬名さんは、単行本でのデビューが決まっていたため、すぐに書籍部門の担当編集者が付いた。一方、短編一作では本一冊の分量に届かないため、小林さんの「玩具修理者」はまずは受賞発表号となる「野性時代」(同年四月号)に全文掲載し、別の作品と合わせて後日短編集を出すことになった。取り急ぎ、発表号に掲載する「受賞のことば」や本人のプロフィール、顔写真などを送ってもらうための連絡係が必要となり、編集長から指名されたのが私だった。小林さんにとって、初めての「担当編集者」である。
作家にとって担当編集者は、最初の読者であり、理解者であり、ときには指導者、共作者ともなる大事な相棒なのだが、作家、特に新人作家に担当編集者を選ぶ権利はない。出版社側が押しつけてくる人間を黙って受け入れるしかないのだ。あまり好きな言葉ではないが、今風に言えば「編集ガチャ」ということになるだろう。
私は早速小林さんに電話をかけて「受賞のことば」の原稿と顔写真を送っていただきたいとお願いし、さらに、ペンネームについてうかがったと記憶している。新人賞受賞者が応募時の本名からペンネームに変更したり、逆にペンネームをやめて本名に戻したりするのはよくあることで、実際、瀬名秀明さんも応募時は本名だったが、デビューに際してペンネームに変えられている。
「小林さんはどうなさいますか?」と尋ねる私に、「え? 考えてもみませんでした」と小林さんは驚かれた。ペンネームを使うという考えはまったくなかったのだという。「小林泰三」というシンメトリーな字面、「たいぞう」ではなく「やすみ」という読み方など、「性別不詳で、作家らしい、とてもいい名前だと思います」。初めての電話で、私たちはそんな会話を交わした。
瀬名さんの『パラサイト・イヴ』が大ヒットし、小林さんの「玩具修理者」とともに日本ホラー小説大賞は大きな話題となった。特に注目されたのが、東北大学大学院の薬学研究科に在籍する瀬名氏と、大阪大学大学院で基礎工学を研究し、大手電機メーカーの研究員である小林氏の経歴だ。高度な科学知識を有する「理系作家」の誕生は、従来の新人文学賞の受賞者像を一変する衝撃だった。このインパクトが続いているうちに、小林さんのデビュー短編集を出版したい。担当編集者ならここで新人作家の尻を叩くところだが、私はあくまでも雑誌の担当者なので、最初の連絡係以降、小林さんと作品についてやり取りをしたことはほとんどなかった。ほどなく「野性時代」が休刊となり、会社も辞めてフリーランスとなった私が、なぜ本書の解説を書くことになったのか。もうしばらく、昔話におつき合いいただきたい。
-
「文春文庫 秋100ベストセレクション」プレゼントキャンペーン
2022.09.01特集 -
<小林泰三インタビュー>会社という不思議の国に迷い込んだアイドルの奮闘記
2020.06.05インタビュー・対談 -
『代表取締役アイドル』小林泰三――立ち読み
2017.10.19ためし読み -
関わるものを皆狂わせる、ロックバンドという魔物——高橋弘希、圧巻の音楽小説
2022.08.22書評 -
「神」の本質とアイドルの末路――古市憲寿が『キャッシー』を読む
-
ラジオは嘘がつけない──『どうかこの声が、あなたに届きますように』で描いたのは、二十歳の元地下アイドル
2019.09.04インタビュー・対談
-
『リーダーの言葉力』文藝春秋・編
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/12/17~2024/12/24 賞品 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。