- 2022.09.13
- 書評
初代担当編集者が語る“異能の理系作家”の素顔と想い出
文:澤島 優子 (フリー編集・ライター)
『代表取締役アイドル』(小林 泰三)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
会社というのは不思議な場所だ。社風というか企業風土のようなものがそれぞれあって、はたから見れば滑稽で、理不尽で、信じられないことが、日々会社では起こっている。某カバン屋や某家具屋のドロドロお家騒動や、吸収合併を繰り返してシステムダウンを起こす某銀行など、会社で起こる事件は枚挙にいとまがない。
長いおつき合いの中で、小林さんから会社勤めの愚痴や悩みなどを聞いたことはほとんどないが、『世界城』を刊行した頃、珍しく職場の話をされて驚いたことがある。ご自身の会社で起こっているドタバタを、ユーモアを交えてあれこれ話してくださった。それからしばらくして、小林さんは会社を辞めて専業作家になられた。愛妻家で子煩悩の小林さんにとって、会社員を辞める、つまり安定を手放すということはとても大きな決断だっただろうと思う。
専業作家となったことで執筆時間も増え、小林さんの作品世界は一段と深まり、広がっていった。その一方で、二十年ほど続けた会社員生活を自分なりに小説に描いてみたいと考えられたようだ。そして私が文藝春秋でのお仕事をご提案したとき、この『代表取締役アイドル』を書き上げてくださったのである。ここで描かれる「レトロフューチュリア社」のドタバタ劇はもちろんフィクションだが、多分に小林さんの実体験が反映されていると思われる。そこに地下アイドルを加えたのは、いかにも小林さんらしい工夫だ。会社というものの滑稽さや理不尽さ、創業家という厄介な存在、現場の平社員と幹部との乖離、企業研究員あるあるなど、これまでの小林さんの作品とはひと味もふた味も違う小説に仕上がったと思っている。
ホラーにしろSFにしろミステリーにしろ、小林さんの描く世界はある意味、異次元や異空間が舞台のものが多いのだが、その反面、リアルで身近な物語だという印象がある。それは小林さんが長く会社員を続けられたこと、また家族思いの生活人であったことと無関係ではないと思う。現実から遠く離れた「どこか」の場所ではなく、日々の暮らしと地続きの、すぐ隣か目の前にこそ恐怖や狂気や事件があるのだということを、私は小林さんの作品から教えられたし、それこそが小林さんの作家としての凄さでもあるとも思っている。
デビュー以来、さまざまなジャンルの(あるいはジャンル分けできないような)素晴らしい作品を発表されてきた小林さんは、作家と研究者という二足の草鞋を履きながら、ほぼ毎年、新刊を出し続けた。並大抵のことではない。「作家は、なることよりもあり続けることのほうがはるかに難しい」とは私の敬愛する大沢在昌氏の言葉だが、デビュー後に消えていく作家のほうが、活躍し続ける(つまり売れ続ける)作家よりもはるかに多いのが現実である。そして、有名小説雑誌や大手出版社ではないところからの依頼にも、ただ私が「最初の担当編集者」であったというその一点から、小林さんはいつも応えてくださった。どんな編集者に対しても真摯に向き合い、誠実に仕事をする。小林さんはプロの作家であり続けた人だった。
ここ数年の小林作品を読むと、一種のクロスオーバーを試みていらしたようにみえる。新たな物語のアイデアも数多く持っていらしたと思うが、シリーズ化されている作品や単発で書かれた短編を別の作品と融合したり、登場人物が別々の作品を行き来したりするような、大きな世界を構想されていたのではないだろうか。本書でも、ラストで河野ささらが新たな会社「駄沙未来」を興している。いったいどんな会社になったのだろう? ぜひ続編も読んでみたかった。
「人生一〇〇年」とか「超高齢化社会」と言われるこの時代に、享年五十八。小林泰三さんの早すぎる死に、私は今も途方にくれたままだ。
小林さん、コロナはまだ終息していません。今年も自然災害が各地で起こりそうです。「シン・ウルトラマン」という映画が公開されましたよ。ロシアは今、ウクライナに侵攻しています。世界はこれからどうなっていくのでしょう? 私の「今度小林さんに会ったら聞きたいことリスト」は、日々伸び続けている。
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