家族とは何か――を小説を通じて問いかけてきた雫井脩介さんが刺激的な作品を刊行した。最新長編『クロコダイル・ティアーズ』は、家族の間に広がる疑心暗鬼を描いた究極のサスペンスである。執筆の舞台裏に迫った。
未亡人となった妻は、夫の殺害を依頼したのか。
古都・鎌倉の近くで、老舗の陶磁器店を営んでいる熟年夫婦がいた。ある時、この夫婦の長男が殺害される。犯人は、嫁である想代子(そよこ)のかつての恋人。想代子の涙を疑う母親。信じようとする父親。想代子は、夫の殺害を依頼したのか……。
この着想は、いつ生まれたのだろうか。
「数年前に新聞を読んでいて、ある裁判をめぐる小さな記事が気になっていました。〈ある男性が殺された。殺人罪に問われた被告人は、未亡人となった妻の友人であり、裁判で『その妻にそそのかされた』と証言した〉というものでした。結果がどうであったかまでは追いかけていないのですが、この事件の構造は、とても悩ましいものだと印象に残りました。殺された男性の両親は、どう感じるんだろうか。もしかしたら、小説になるのではないか、と数年間、温めていたんです」
一瞬で壊れてしまう「家族の幸せ」。
代々続く老舗陶磁器店を息子に譲る日も近づき、孫にも恵まれていた熟年夫婦。家族の幸せが壊れるのは、一瞬だった。
物語は、殺された男性の父親、母親らの視点で進んでいく。夫の遺体と対面したとき、「嘘泣きをしていた」という声も届き、母親は想代子への疑念を抱く。
一方、想代子は幼い一人息子を抱えており、父親からの声掛けもあって、義理の両親と同居することになる。父親と母親、孫を連れた想代子らで、陶磁器店を営みながら、悲しみを乗り越え、新しい家族として歩んでいこうとした矢先……。
「殺人という重大犯罪では、事件発生から裁判まで、ある程度の時間がかかります。父親は、孫と暮らしながら、『いつか孫を、陶磁器店の跡継ぎに』と考えたりもしてしまいます。母親も、なんとか立ち直ろうとしていた。そんなときに裁判で『想代子に、殺害を依頼された』という証言が飛び出します。家業を営む両親と想代子の間には当然、亀裂が生じますし、『信じるか、信じないか』で、夫婦の間でも争いが起きてしまいます」
嫁姑のぶつかり合いが、とてつもない悲劇を生み出す。
今作のもう一つの読みどころは、嫁姑問題である。
夫を喪いながらも、義理の両親と暮らす「精神面の強さ」もあるが、姑にしてみれば、「想代子は何を考えているのか」、分かりづらい。大切な存在を喪ったもの同士、ともに悲しみを分かち合えると思っていた嫁が、「殺害にかかわっているかもしれない」という疑念は、姑を苦しめる。
息子を殺された悲劇の「真相」を求める姑は、物語の中盤で、とんでもない行動に出てしまう。想代子の本心が分からないからこそ、どこの家族でも起きそうなぶつかり合いが、不穏な空気を膨らませていく。
家族を疑うことは、家族だから疑ってしまうことは、悲しくも切ない。物語の終盤、静謐でありながらも、恐ろしさが加速していき、クライマックスを迎える。
「この家で起きていることは、一般的な『嫁姑の行き違い』ではないんですね。姑の立場、嫁の立場から、それぞれの言い分がぶつかって、という普通の対立ではないからです。嫁の本心が分からないから、心の奥に悪意はあるのかどうか、そんな疑念が、嫁と姑、夫婦の間で、ぶつかり合って軋んでいく。想代子の人間性をめぐる展開を、究極のサスペンスとして楽しんでもらえたら、と思っています」
タイトル『クロコダイル・ティアーズ』の由来。
聞き慣れない言葉であるタイトルも、興味深い。
「物語の中心人物である想代子に関する言葉を、タイトルにしたいと思っていました。小説の中で、夫が殺された想代子はおそらく涙を流すであろう。周りからは、それが嘘泣きと思われるんじゃないだろうか、と考えていったときに、『クロコダイル・ティアーズ』という言葉に出会ったんです。ワニは獲物を捕食するときに涙を流す、という由来から、『嘘泣き』という意味があることを知り、これは面白い、と」
雫井脩介が家族を描く理由。
著者は、これまで『望み』や『つばさものがたり』といった、家族というテーマを正面に据えたエンタメ作品を描いてきた。今作も、鎌倉という町を舞台に、息子を、また夫を喪ったひとたちが、家族として、もう一度、繋がろうとした物語でもある。雫井さんにとって、家族という存在とは。
「家族というのは、『お互いに助け合って、仲睦まじく』といった一面が取りざたされることも多いですが、そうじゃない部分もあると思うんです。ある種の運命共同体であるからこそ、こうしてほしいという願望を押しつけあったり、求めあったりして、生きづらさも生んでしまう。だからこそ、ドラマが生まれる。家族が一枚岩になれないときに生ずる『心の行き違い』は、サスペンスにしかならないんです」
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