- 2022.10.18
- 書評
既成概念を覆すSF小説
文:楊子葆 (前台湾文化部次長、前台湾駐フランス代表、現駐アイルランド代表)
『拡散』(邱挺峰)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
あるいは漫画に登場する特殊なキャラクターのように、ワインの香りや味の細かい違いを正確に見極め、「アロマホイール」の指標と対照できるのが「味が分かる」ということなのか。香りはエーデルワイスかスミレ、味はレッドチェリーかクロスグリ。ブラインド・テイスティングでは、ワインのブドウ品種、混醸の割合、産地、生産年、ワイナリーまでを正確に当ててみせる。
だが、人工知能が勢いを増す今の時代、これらの情報を識別し、分類し、分析し、整理し、結論を導き出すのは人間よりもロボットが得意とするところで、すなわち「味が分かる」とは言えない。
人間にはもっと別の能力がある。フランスを思いだしてほしい。十九世紀フランスの詩人、小説家、劇作家、文芸評論家であるテオフィル・ゴーティエ(一八一一~一八七二年)の叫びを。フランス語の原文は示さないが、一部を訳してみる。
「いけない、愚か者よ。血迷うな、ばかげたまねをするな。
本はゼリーや甘いスープではない。
小説は縫い目のない靴ではない。
十四行の詩は連続圧縮注射器ではない。
芝居は鉄道ではない。
あらゆる物事は文明化されるべきだ。進歩の道筋の上で人は前に進める」
もっと「新しい」引用なら、二〇一八年フランスの高校入試で出題された哲学の問題はどうだろう。「文化は私たちにより豊かな人間性をもたらすか否か」
クレイマー氏が文章の最後に書いたように、「味が分かる」とはすなわち「洞察力がある」ことを意味する。クレイマー氏は自分と読者に問いかける。「洞察力のある友人と一緒にワインを味わい、その感想を聞いたあと、もう一度同じワインを飲むと、まったく新しい味わいが生まれる、そんな経験が何回ありますか? 私には何度もあります……」
この魅力的なワイン小説はどうだろう。言っておきたいのは、誰が書いたかは重要ではないということだ。台湾人? フランス人、スペイン人、ポルトガル人、ラテンアメリカ人、アメリカ人? ダン・ブラウンに似ているかどうかも本質的な問題ではない。「優れた口蓋」すらさほど重要ではない。肝心なのは、作品の優れた味わいが読者に何をもたらすか、人間というものについてのどんな洞察を見せてくれるか、それだけだ。
この小説を最初から最後まで何度もめくる中で、最も印象深かったのは、混乱が収束したあとの教授の言葉だった。
「ブドウの樹は毎年生まれ変わる。新たな年の気象条件の中で、新たな枝葉を伸ばし、新たな実を結び、冬が来ると眠りにつく。その年に作られたワインは、今生の味だ」
「ワインを飲む時、人はブドウの生命の一部を体験し、一生に一度の味を味わっている」
「ブドウの命は循環する。一年の周期で生から死までを繰り返す。ワインのヴィンテージとは、永遠の循環の中で君と再び出会うための過程なのだ」
面白い小説における味わいとは何だろうか? それはすなわち、私がしつこく語ろうとしている「優れた味わい」を意味する。
共感を求める必要がどこにある? 本を読んだら、好きか嫌いか、得るものがあるかないか、もう一度読みたいか否か、思うことはそれだけだ。人が水を飲むように、ただそれだけの、ごく当たり前のことなのだ。
この小説の面白さを十分に享受した私は、深い印象を残したこの言葉と、それを詳細に描写する物語も謎もすっかり暗記してしまった。先ほど引用した、ゴーティエが一八三五年に出版した小説『モーパン嬢』の訴えを暗記してしまったのと同様に。そして、韓国出身のマスター・オブ・ワインであるジーニー・チョ・リー氏が言う「アジアの味覚(Asian palate)」の意味について思考しながら、少しでも「より豊かな人間性」を得ようと試みる。
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