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【期間限定:2023年1月11日まで】 浅葉なつ新作ファンタジー『神と王 謀りの玉座(たばかりのぎょくざ)』11月8日の発売まえに、たっぷり「本文」公開します!

【期間限定:2023年1月11日まで】 浅葉なつ新作ファンタジー『神と王 謀りの玉座(たばかりのぎょくざ)』11月8日の発売まえに、たっぷり「本文」公開します!

『神と王 謀りの玉座』(浅葉 なつ)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『神と王 謀りの玉座』(浅葉 なつ)

古事記からインスピレーションを得たという壮大な世界観が提示された第一巻『神と王 亡国の書』に続く、待望の第二巻は、とある小国を支配する女神と、悪い噂のある王が登場します。

「世界のはじまり」の謎を追う琉劔は、歴史学者の慈空とともに畏怖の森「闇戸」へ。ますます熱い神話ファンタジー、冒頭からたっぷり本文公開!(2023年1月11日まで)

* * *

第1巻『神と王 亡国の書』の第1章はまるごと公開しています! こちらもあわせてどうぞ。


 

序章

 夜の(とばり)に追われ、夕陽は朱赤の裾を引きながら西の山端へ逃れた。
 同時に扉と窓を閉め切った御鳥殿(おんちようでん)の中では、硝子(がらす)の覆いを外した灯火器に、神官の手から小さな火が入る。
 それは神事の嚆矢(こうし)となり、この場にいる誰もが息を殺す合図となった。
 わずかな空気の揺らぎひとつ、ふと動かした指先がおこす微風の一端すら、ここでは許されない。

 果たして今宵、この浄闇(じようあん)の中
 女神が王に指名するのはどちらの者か──。

 清められた神託の間では、壮年の男と若い女が、それぞれ決意を込めて目を閉じ、その時を待っている。神官は今まさにその二人へ、女神『丹内仙女(にないせんによ)』の意を受けた羽根を降らそうとしていた。その羽根を浴び、頭や肩に一枚でも留まれば、それが神に選ばれた証となる。

 集まった見届人達は目を見開き、女神の採択を見逃すまいと、拳を握り、肩を強張らせる。

 誰にも(くつがえ)すことのできない神勅(しんちよく)が、今(くだ)されようとしていた。

 

一章 女神の国

一、

 かつて丈水山(じようすいさん)に住んだと言われている丹内仙女(にないせんによ)の信仰は、丈水山周辺の少数部族に広く浸透している。中でも千芭(せんば)族と黄芭(おうば)族が、山をぐるりと囲むように土地を支配しており、十年前には二つの部族が合わさって丈国(じようこく)という国を創った。

 この世には、大国と呼ばれるにはそれなりの条件があるが、国を(おこ)すことはそれほど困難ではない。例えば百人にも満たない部族が領土を区切って、今日からここは我らの国だと言い出せば国になる。群雄割拠(ぐんゆうかつきよ)のこの世では、そのように国が生まれ、乗っ取られ、吸収され、水面を漂う泡のように形を変えていくのが常だ。南にある十六州の大国斯城(しき)に比べ、たった四州の小さな丈国が、建国から十年という月日を無事に過ごせたことは、奇跡にも近いことだった。

「ったく、なんだってどこもかしこも連携ができてねぇんだ」

 明日から始まる建国十年を祝う三日間の祭の準備は、着々と進んでいる。本番は二日目の昼に行われる『祝賀の儀』で、その夜に開かれる晩餐会(ばんさんかい)は、各国から招かれた国賓が一堂に会する華やかなものになるはずだ。

 すでに町の大通りには天幕が並び、その一角を貸し与えられ、商売の許可を得た者たちが、卓を持ち込んで売り場を整えている。雑貨や干物を売る店は、早くも店頭に商品を並べ始めていた。店の見栄えを良くするために、女たちが卓に布をかけて飾ったり、値段を書いた板に色を塗ったりしている。その傍では、暇を持て余した子どもたちが、梱包に使われていた粗末な縄を繋ぎ合わせて、縄跳びに興じていた。

 そんな光景を横目に見つつ、民部(みんぶ)の下級役人は毒づきながら足早に歩いていく。周りに(ひるがえ)る旗や(ばん)には、水の女神である丹内仙女が描かれている。近頃斯城国が生産に力を入れている蚕糸のように艶やかな長い髪と、長い裾の白い上衣。ただし手首までを覆う袖は丈が短く、庶民が着る(ほう)のように腕に添った細い作りになっており、それゆえ民に寄り添ってくれる女神だと言われている。同じ柄を木札に描いて、記念品として売る予定の店もあるようだった。本来は薬の神でもあるのだが、丈国では水天としての認識が強い。

「こんな大規模な祭やって、一体どこに見せつけたいんだか」

 西にある通称『白水敷(はくすいじき)』という広場にやってくると、今まさに大量の天幕が張られようとしているところだった。予定ではすでに終わっていなくてはいけない時間なのだが、各所の担当者がことごとく勝手に動いていて、統制が取れていない。

「そこの天幕はもっと右だ! 地面に印があるだろ、そこからはみ出さないようにしろ!」

 役人は持っていた図面を確認して、声を張り上げる。そして通りかかった物品の担当者を捕まえた。

刺青(いれずみ)用の材料はどうなってる?」

「今、久洙(ぐしゆ)(とげ)を山から運んでいるところで……。あれは鮮度が落ちると(もろ)くなりますから」

「間に合うんだろうな? 古雫(こだ)の実は?」

「あれは搬入済みですが、去年の余りと混ざってしまって──」

「それくらいはいいだろう。とにかく間に合わせろ」

 この国では、十五歳になると成人の証として刺青を入れる風習がある。男は耳の横から顎にかけて、女は両手の甲に、それぞれ流水を模した文様を入れる。本来は一番寒くなる織物候(おりもののこう)に、それぞれの町や村で行われる儀式だが、今年は建国十年の祭に合わせて王都でやると決まった。

「ああもう、なんでこんなにうまくいかねぇんだ」

 ぼやいて、役人は短く息をつく。材料の調達に加え、彫り手の確保や、地方から王都に移動するための案内など、祭の開催が決まった一年前からやることは山のようにあった。それなのにこうも順調に進まないのは、この決定に不服な者がちらほらといるからだろう。

「『入れ墨の儀』は、織物候と決まっておる! 今の時期になどやるものではない!」

 案の定、通りかかった年寄りに食って掛かられて、役人はうんざりと頭を()いた。今日はこれで何度目だろうか。

「あのなぁばあさん、俺が担当者になってから、その台詞(せりふ)何回聞いたと思ってんだ」

「今からでも中止にせい! まだ暑さの残るこの時期に墨を入れるなど、前代未聞じゃ!」

「俺だって、祭の日にこんな面倒臭いことまでやることないと思うよ」

「この刺青は、丹内仙女(にないせんによ)様の御子になった証の文様じゃ! 決まりごとをおろそかにすれば、今に仙女様からの罰が下るぞ!」

 老婆の鬼気迫る言葉に、役人は一瞬息を詰める。この国で丹内仙女の名前を出されて、(ひる)まない者の方が珍しい。

「ば、罰とか言うなよ。俺だって指示されてやってるだけだ」

 役人は周囲を気にしながら、声量を落として口にする。

「しょうがないだろ、御上(おかみ)がお決めになったんだ。神をも恐れぬ冷王牟西(れいおうむさい)様が、お決めになったんだよ!」

 現場でこき使われるだけの下っ端に、異論など唱えられるはずもない。

「明日にはあの大国、斯城からの国賓もご到着になる。今更中止なんてできるわけないだろ」

 すでに他国からも招かれた王族や要人が続々と集まっており、同僚はそちらのもてなしのために朝から忙しく走り回っている。斯城国からは王ではなく副宰相が来るということだが、王の叔母ということもあって、王宮にはすでにただならぬ緊張感が漂っていた。

「おお恐ろしい! あの神殺しの国から人を招くなど……!」

 老婆は大袈裟に身を(すく)めて、小刻みに震えてみせる。斯城王の代替わりの際に、国教が廃止されたことは丈国(じようこく)でも有名な話だ。

「そうは言っても、あの大国を無視するわけにはいかねぇんだよ。斯城にとっちゃ、丈国(うち)なんか赤ん坊みたいなもんだ。その気になりゃすぐにでも捻り潰せる」

 老婆をあしらい、役人は深々と息を吐いた。近くの強国と良い関係を築いておくことは、小国が生きながらえていく秘訣でもある。

「副宰相で王の叔母か……。一体どんな御人なんだろうな……」

 ぼやいて、役人は再び自分の仕事へと思考を切り替えた。

 人生には負けられない戦いというものがある。

 そんな決意を込めて、飛揚(ひよう)は新調したばかりの眼鏡を押し上げ、真剣な面持ちで目の前に座る甥──斯城国琉劔(りゆうけん)王を見つめていた。

 生まれつき癖の強い赤毛を無造作にひとつに括り、薬品の染みが付いた(ほう)を適当に着る。それが齢三十二になっても格好に頓着(とんちやく)しない飛揚の日常姿だった。黙っていれば二十代に見られるほど若々しい顔ではあるが、(ほお)に薄い雀斑(そばかす)があり、甥に比べれば目鼻立ちの美貌も劣る。おまけに眼鏡も手放せない。しかし本人は、微塵も外見など気にしてはいない。そもそも美醜に関する執着がないのだ。美醜どころか、「整える」などの行為にも興味がないので、憤怒した女官に強制的に部屋を掃除されたこともある。幼い頃から運動は全く駄目で、未だに鹿(しし)には一人で乗れず、先日は黒鹿(くろじし)に振り落とされて腰を痛めたばかりだ。

 そんな飛揚が、甥である琉劔の帰還を心の底から待ち望んでいたのには、理由がある。

 丈国から、建国十年を記念した式典への招待状が届いたのだ。

 一カ月ほど前、図らずも沈寧(じんねい)源嶺(げんれい)王の最期を見届けた後、琉劔は諸々の後始末を終えた後で斯城国へ帰国した。王が国を空けていたことを悟られないため、梨羽謝(りうじや)の率いる軍とは日をずらして入国し、ごく普通の旅人を装って帰還したと聞いている。

 飛揚としては、その帰国直後の甥を捕まえ、招待状についての話をしたいところだったのだが、自分の望む大義のためには、もう少し大人しくしておくべきだと判断した。

丈国(じようこく)というと……、闇戸(くらと)の北にあるあそこか」

 ごく親しい者しか招き入れない王の居室で、ようやく宰相から招待状の件を聞いた琉劔(りゆうけん)は、やや疲れた様子で椅子の綿入れに身体を預けた。

 王が不在の間、彼の代わりに仕事をしていたのは飛揚(ひよう)たちだが、王の決裁を待っていた案件も多くある。そのすべてを、ここ三日ほどで片付けにかかっているのだ。それは疲れもするだろうなと、飛揚は目の前の茶が冷めるのを待ちながら思った。事務仕事は、自分も得意ではない。ついでに熱い飲み物も苦手だ。

「確かまだ若い国じゃなかったか?」

 即位の際、先代王が使っていた部屋は広すぎるからと、王太子だった弟が使っていた部屋──元をただせばそこは、五歳まで琉劔が使っていた部屋でもあるのだが──を自室に決めた彼は、装飾を好まず、彼の瞳の色とよく似た(あお)を基調とした色彩で部屋をまとめている。もっとも、卓や椅子を選び、壁の色を変え、こまごまとした寝具や綿入れなどを揃えたのは女官たちだ。そうでなければ、一見質素に思えても、目を凝らせば日金(あかがね)糸での細やかな刺繍(ししゆう)があったり、上質な蚕糸(さんし)を染めたものが使われていたり、そういう高級品を琉劔自身が選ぶことはできない。何しろ本人には、美的感覚が見事に欠落しているのだ。それは、美醜に頓着しない飛揚とはまた少し違うものだ。十五年間神の依り代である祝子(ほおりこ)を務めてきた弊害(へいがい)でもあるのだが、本人に自分を良く見せようとか、着飾ろうとかいう欲がないことも原因のひとつだろう。そうでなければ、王宮内でも髑髏(どくろ)柄の上衣を引っかけて歩き回っていない。

千芭(せんば)族と黄芭(おうば)族が作った若い国でございます。建国の際は我が国の暦や制度を参考にしており、先代王の應円(おうえん)様の時代には人材の交流もございました」

 應円は飛揚の兄であり、琉劔の父親だ。二百年続く斯城(しき)国の歴史の中でも、美貌の賢帝と呼ばれ、民に人気を誇った王だった。

「あちらの国では、丈水山(じようすいさん)に住んだと言われる水と薬の神、丹内仙女(にないせんによ)(あが)めており、国内の重要事項は全てその神にお伺いを立てるのだとか。王を選ぶときも『神託の儀』によって決まるので、丈国の王は、神に選ばれた王、なのだそうでございます」

 説明する宰相、宿弘文(すくこうぶん)の言葉に、扉近くに控えていた彼の息子である根衣(ねい)が、同意するように頷いた。小臣という身分の彼は、幼い頃から飛揚の遊び相手兼世話役として付き従っている。もっとも傍から見れば、遊び相手というより遊ばれ相手であることは否めない。真面目で頭はいいのだが、融通が利かないところが玉に瑕だ。

「神に選ばれた、ね」

 琉劔は気だるそうに頬杖を突く。そんな枕詞(まくらことば)が付く時点で、彼にとっては胡散(うさん)臭いものに他ならないのだ。

「しかしその王の評判は、さほど良くはないと記憶しているが?」

 二年前、琉劔が斯城の玉座についてすぐ、南にある二国と戦が始まったため、琉劔自身は丈王との面識はない。御国譲(みくにゆずり)についての祝辞はあったが、表敬訪問などについては琉劔(りゆうけん)の方が断っている状態だ。そもそも彼が、あまり自国にいないというのも原因のひとつではある。

「ええ、国力自体は上がっているようですが、牟西(むさい)王は冷徹非道との噂です。冷王(れいおう)などとも呼ばれているとか。古い伝統よりも効率化を重視するようで、保守派からは嫌われております」

 弘文(こうぶん)はあっさりと認め、手元にあった招待状を琉劔に見えるよう差し出した。

「建国十年を節目に、新たに交流を図りたいのでしょう。すぐ南には得体のしれない闇戸(くらと)、そのさらに南に大国斯城(しき)があるのは、あちらからすれば心地よいものではないでしょうから」

 先代王の時代から宰相を務めている弘文は、必要以上に琉劔に(へりくだ)ることはない。彼が玉座についた時に、今まで通りでいいと命じたからだ。

「琉劔、丈国は小国とはいえ、丈水山(じようすいさん)から流れ出る豊富な水のおかげで、麦などの穀物の栽培においてはうちに引けを取らない。今後の食料確保の面においても、これまで以上の国交を持っていて損はないと思うが?」

 冷めた茶で口を潤し、飛揚(ひよう)は二人の会話の間にさりげなく滑り込む。

 丈国から招待状を持った使者が来たと聞いた時から、ずっと楽しみにしていたのだ。ここは何が何でも、琉劔に「行く」と言わせねばならない。いや、琉劔本人でなくてもいいのだ。とにかく斯城国から丈国へ代表を送るという名目があればいい。そうすれば自分が行く大義名分ができる。何しろ好き勝手出来た公主(こうしゆ)時代と違い、さすがに副宰相が気軽に他国へ行くのは褒められたことではない。それくらいの分別は飛揚にもある。

「……確かに、飛揚が言うことはわかるが……」

 琉劔が渋く口にする。彼にとっては、わざわざ斯城王が足を運ぶほど興味を引くものも、重要に思える要素もないのだろう。正直なところそれは飛揚も同じなのだが、丈国に行けるのならこの際神も王もどうでもいい。

 琉劔の様子を見ながら、弘文が口を開く。

「主上がお戻りになる前に返事をする必要がありましたので、一応出席するとは伝えておりますが、お考え次第では欠席にすることも可能ですし、王の名代(みようだい)を遣わすことも──」

「出席でいいだろう」

 弘文の言葉を遮るように、飛揚は身を乗り出した。

「祭は一カ月後だ。今更(くつがえ)しては、先方にも迷惑になる。いくら我が斯城国が大国と言えど、傲慢に思われるのは得策ではない」

 いつになく生真面目な顔をして、先方への迷惑などという、飛揚が人生の中で百五十二番目くらいに気にしそうな単語を口にしたのを聞いて、控えていた根衣(ねい)が何やら勘づいた目をした。同時に、琉劔も綿入れからふと背中を離す。

「……飛揚、もしかして──」

「しかし! 代替わりした斯城王が、わざわざ格下の小国へ行くというのも権威を損なう」

 琉劔の言葉を遮り、飛揚はあらかじめ考えてあった言い分を朗々と続けた。

「ここは宰相の弘文(こうぶん)が適任ではあるが、丈国(じようこく)への道のりは、闇戸(くらと)を突っ切っても最短で五日はかかる。迂回(うかい)するなら十日。荷鹿車(にろくしや)を連れていくならもっと見積もった方がいいだろう。そんな長旅を、五十五歳を過ぎた年寄りにさせるというのも酷な話だ」

 飛揚は悠然と微笑んで腕を組む。

「仕方がないな、私が行こう!」

 飛揚に目を向けていた三人の間に、しばし生ぬるい沈黙が漂った。

「……やっぱり行きたかったのか……」

 十歳年下の甥が、やれやれと息を吐いた。予感が的中したらしい根衣(ねい)も渋い顔をする。弘文に至っては目頭を()んでため息をついているが、真っ向から反対してこないのなら説得してみる価値はありそうだ。

「知っているか琉劔、(けもの)(ふん)を玉のようにして集めて餌にする虫がいるんだ。しかも地域によってその種類に違いがある」

 飛揚の虫好きは、宮仕えの者なら誰でも知っていると言っても過言ではない。公主時代には身分を隠し、虫籠を持って国中を歩きまわった。今回丈国の建国十年に合わせて開かれる祭は、様々な国から珍しい物品や食べ物を取り寄せ、華やかに執り行われると聞いている。商人の道である大街道が通る斯城には遠く及ばないにしても、その三日間ばかりは、若国の王都はいろいろな人と物で(あふ)れかえるだろう。荷を運んでくる鹿の数もずっと増えるはずだ。そして鹿が増えるということは、当然糞も増えるということだ。

「斯城の王都で見かけた糞虫(くそむし)は黒いが、南に行くほど灰色がかっていくんだ。北にある丈国の糞虫は、どんな色をしていると思う!?」

「それを探しに行きたいのか」

「安心しろ、虫探しは王宮に入る前に終わらせる」

「安心する要素が見当たらない」

 叔母に言い返して、琉劔が脱力するように肩を落とした。

 どうやら自分が、世間一般で言うところの普通という範疇(はんちゆう)に当てはまらない人間だと飛揚が気付いたのは、三歳の時だ。興味を持ったものは解体・研究する癖があり、一時期は自室の床が分解された家具や、一枚一枚丁寧に頁をはがされた本、それにちぎれた虫の足や頭で埋め尽くされ、周囲からは「壊し屋」と呼ばれていた。ちなみに現在に至るまで、眼鏡も二十三回壊している。しかもそこに無尽蔵の行動力があり、甲虫の一種を見たいがために、四歳にして一人で山越えをしようとして、虫と心中する気かと、母親にひどく怒られたことを覚えている。とにかくその頃から、人間より虫に興味があったのだ。

 人間は国が違ってもそれほど姿は変わらないが、虫は種が違えば形も大きさも変わってくる。羽のあるなし、足の数、体の硬さ、色や模様。それに魅せられて採集を繰り返し、気づけば自室に大量の標本が出来上がった。未だ縁談のひとつもまとまらないのはそれが原因だろう。しかし飛揚(ひよう)からしてみれば、こちらの趣味を理解できない伴侶など必要ない。今ではその趣味を生かして(かいこ)の養殖を始め、斯城(しき)国の織物技術はさらに発展し、生糸(きいと)を輸出することで国にも貢献しているので、周囲も公然と批判できなくなってきている。

「……十三歳の頃には地理、歴史、天文学、語学において免状を渡されている賢女だというのに……、なぜこうも虫ばかり追う人間になってしまったんでしょう……」

 飛揚を幼い頃から見てきた根衣が、深々と息をつく。彼からしてみれば、少々美的感覚が変わっている琉劔など可愛いものだろう。その叔母の方が、生まれつきの筋金入りなのだ。

 息子のあとを引き継ぐように、弘文(こうぶん)もぼやく。

「今や行政学、財政学も学び、老師(ろうし)方からは、その才能をもってすれば、たとえどの国に行ったとしても要職に就くことは容易(たやす)いとまで言われた御方であるのに……」

「なんだ弘文、私を褒めても何も出ないぞ。緑光虫(りよつこうちゆう)が欲しいのか?」

「いりません! 虫はもう結構!」

「安心しろ、あれ以来引き出しでは何も飼ってない」

「当たり前です!」

 五年ほど前、採取してきた王蛾(おうが)の幼虫を卓の引き出しの中で飼育していたのだが、違う虫集めに夢中になっている間に、いつの間にか(さなぎ)を経て羽化(うか)していた。王蛾は成虫になると、羽を広げれば人の顔ほどの大きさになる。何も知らない母親──当時の王太后がそこを開けた途端、狭いところで羽化したことが原因か、羽の折れ曲がった奇形の巨大な蛾が飛び出してきたので、大騒ぎになった。母親は失神し、女官は泣き叫び、近衛兵は鱗粉(りんぷん)を浴びてわめきながら剣を振り回し、弘文が駆けつけた時には阿鼻叫喚(あびきようかん)惨憺(さんたん)たる有り様だったと聞く。

「これでもあの件は反省しているんだ。私も悪かったさ……」

 飛揚はふと足元に目を落とす。その時、履いてきた靴が左右で違う種類だと今更気が付いた。同じものを履いたはずなのだが、と神妙な顔をしている飛揚に、弘文が幾分気まずく咳払いをする。

「……反省なさっているのなら、結構でございますが──」

「ああ、あの子には本当に悪いことをしたと思ってる。私がちゃんと育ててやれば、まともな蛾になって空を飛べただろうに」

「……蛾に、悪かったと? 人ではなく?」

「さすがにお母様が倒れた時は、まずいと思ったけど?」

 しかし飛揚からしてみれば、当時二十七歳だった娘の自室に勝手に入って、机の引き出しを開ける方も充分どうかしていると思うのだ。しかも娘がこういう趣味を持っていると、嫌というほど知っていたはずなのに。

「……丈国(じようこく)のことだが」

 嚙み合わない二人の会話を聞いていた琉劔(りゆうけん)が、こめかみに青筋を立てた弘文(こうぶん)が口を開く前に咳払いする。

飛揚(ひよう)が行きたいなら任せていい」

「いいのか!?」

「ただ虫採りはほどほどにしてくれ。一応国賓扱いだ。式典と宴席には名代としてきちんと出席して欲しい」

 琉劔は招待状を手に取って、飛揚に差し出す。それを見て、弘文が不安げな顔をした。

「主上、よろしいのですか?」

斯城(しき)国の副宰相、しかも王の叔母となれば、名代を務め、国賓として迎えられるにふさわしいだろう。ただ、一人では行かせない。根衣(ねい)をつける」

「わ、私ですか!?」

 名指しされた根衣が、(はじ)かれたように背筋を伸ばした。

「畏れながら主上、私では飛揚様の抑えにはならないかと……」

「それでも単独で行動するよりはましだ。飛揚、丈国にいる間は、絶対に根衣から離れるなよ?」

 念を押され、飛揚は適当に頷いた。今更根衣という手綱をつけられたところで、手綱ごと引きずっていくまでだ。しかも根衣なら、引きずり慣れている。

「それから、闇戸までは俺も同行する。実は日樹(ひつき)の祖父母に会わせたい奴がいるんだ。近々そいつを呼び寄せるつもりだった」

 いつも王宮に入り浸っている日樹は、久々に闇戸へ里帰りしている。丈国の行き帰りに立ち寄ってもいいが、根衣は杜人(とじん)嫌いなのできっと嫌がるだろう。

「飛揚が戻るまで、俺は青州(せいしゆう)に滞在する。どうせ病狂(やみぐるい)木草(きくさ)の分布を調べようと思っていたところだ。あそこなら闇戸も丈国も近い。何かあってもすぐ駆け付けられる」

 それでいいな? と、琉劔が根衣の父でもある弘文に目を向ける。

「……御意」

 大きなため息のあとで、弘文が了承の拝をした。

 一カ月後、祭の初日に、飛揚を乗せた客車付の鹿車(ろくしや)と、諸々の荷物や祝いの品を運ぶ荷鹿車が十台、護衛としてつけられた小部隊の兵、それに身の回りの世話をする侍従や下男下女を含め、総勢百名以上の人間が、丈国王都『回嶺(かいれい)』の門をくぐった。見物にやってきた人々は、大国の兵が身に着ける最新の鎧や、艶やかな毛に盛り上がったたくましい尻を持つ黒鹿、それに要人が乗っている豪奢に飾り付けられた鹿車に釘付けになり、初めて触れる斯城(しき)国の一端に感嘆の息を漏らした。黒鹿に使われている鹿具(ろぐ)や、装飾品のひとつをとってみても、その色形から明らかに質の良い高級品だとわかるのだ。

 さすが斯城だ。あれが大国の一団か。美しさが群を抜いている。さぞかし立派な御方がやってきたんだろう。集まった人々が口々にそう言うのを、飛揚は群衆の後ろで聞いていた。王都に着く直前で鹿車を降り、適当な女官を鹿車に乗せて影武者に仕立て、自分は徒歩で王都へ入った。適度に汚れた袍を身に(まと)い、使い込んだ背嚢(はいのう)を背負って、癖の強い赤毛は無造作にひとつに結ぶ。これで人混みに紛れてしまえば、誰も斯城国副宰相だとは思わないだろう。

「よし、これで時間が稼げるな。行くぞ、根衣(ねい)

 斯城国の一団が王宮へ向かっていくのを見送り、飛揚は砂埃で汚れた眼鏡を袍の裾で拭って、早速歩き出す。その後ろを、もはやすべてをあきらめた顔で根衣がついていく。

「……だから言ったのですよ父上……主上……私では手綱になりませんと……」

 何やらぼやいているが、飛揚からしてみれば、意地でもこちらを一人にさせまいとする根衣の根性は称賛に値する。あわよくば()こうと思っていたが、地の果てまで追ってきそうなので、このままにしておくのがいいだろう。それよりも今は、糞虫集めのための人手が欲しい。どうせ明日の昼に行われる『祝賀の儀』まではまだまだ時間がある。なんなら国賓としての本番は、その後の晩餐会だ。今日陽が落ちるまでは、虫探しに時間を費やしても許されるだろう。

 人と物が行き来する大街道のほぼ中間地点に位置し、街のそこかしこで珍しい陶器や織物、動物や香料などが見られる斯城国の王都に比べれば、こちらは同じ王都でも随分慎ましい。そもそも丈国自体が四州しかない小国で、国土のほとんどは人の住まない丈水山(じようすいさん)だ。おまけに建国からまだ十年となれば仕方のないことだろう。それでも今回の祭には随分力が入っていると見え、異国から呼び寄せた大道芸を見せる一団や、見慣れぬ楽器を奏でる楽師などもおり、この地域でよく食べられる公羊(バルマ)の肉を使った伝統料理に加え、南方の国で有名な辛味のある肉菜汁や、蜜のかかった焼き菓子などの屋台が出ている。狭い通りは人々で溢れ、すれ違う者は皆一様に、この賑わいを楽しんでいるようだった。

「しかしまいったな、ここまで人が多いのは予想外だ」

 少々(あなど)りすぎたかと、飛揚は周囲を見回す。至る所に翻る旗や、建てられた(ばん)には、すべて丹内仙女(にないせんによ)が描かれている。建国十周年を迎えられたのは、ひとえにこの女神のおかげだということだろう。

「飛揚様、あまり勝手に動かれませんよう。この人の多さでは、何かあってもすぐに対処できません」

 今更勝手に動くなとは面白いことを言うなと、飛揚は汗を拭う根衣に目を向けた。人々の熱気と、まだ残暑の厳しい豊穣候(ほうじようのこう)の気温が相まって、立っているだけでも汗が噴き出してくる。随分北に来たので涼しかろうと思っていたのだが、今年の夏の暑さは未だ尾を引いていた。

根衣(ねい)、お前この町を見て、何かおかしいと思わないか?」

 唐突(とうとつ)に問われ、根衣は慌てて周囲を見回した。

「何か……おかしいですか?」

「えらく神を(あが)めるものばかりだなと思ってな。王を称えるものがどこにもない」

 それは自分が、曲がりなりにも王族だからこそ気になるのだろうか。かつての斯城国も、聖女蓉華天(ようかてん)(まつ)る寺院の力が強い国だったが、ここまで露骨なことはなかった。

牟西(むさい)王は人気がないということですから……。情が薄く、神をも恐れない冷徹な王だと聞いています。何しろ初勅(しよちよく)で、神への拝所を何カ所か(つぶ)したという話ですし……。そのせいでかなり反感を買って、強固な反対派もいると聞いています」

 根衣の話を聞きながら、そういえば弘文(こうぶん)が同じような話をしていたなと、飛揚(ひよう)は思い出す。国を維持していくことは、決して神頼みだけでどうにかなるものではない。そこには必ず有能な為政者が必要だ。この国の民は、そこに目を向けていないのだろうか。

 思考の中に沈みそうになって、飛揚は気分を切り替えるように顔を上げた。そうだ、今は他国のことなどどうでもいい。糞虫を探すために自分はここへ来たのだ。

「根衣、どこかに荷を運んだ鹿を繋いでいるところがあるはずだ。そこを探せ」

 もはや国賓として招かれたことなど忘れ、飛揚は使命に燃えるように指示を出す。

「探せと言われましても……。この状況でどうやって」

(かん)だ。勘を使え。一人十匹が目標だが、お前は慣れてないから五匹でもいい。最悪三匹だ。それが達成できないなら国には帰れないと思え。糞虫の捕獲は、私の丈国(じようこく)訪問における最重要事項だ」

「無茶を言わないでください!」

 どうにか人の間を()って歩きながら、飛揚は王都の西側にある広場へと出た。集会や祭祀場なども兼ねる場所なのか、ここだけは白い化粧石が敷かれており、周囲とはやや違った雰囲気になっている。そしてそこに立ついくつもの簡易の天幕を目にして、飛揚は思わず足を止めた。どの天幕にもずらりと行列ができているのだが、そこに並んでいるのはいずれも若い、同じ年頃と思われる十代の少年少女だ。それ以上の大人も、それ以下の子どももいない。それに、天幕からは食欲をそそる香りも音も聞こえない。一体何のために彼らは並んでいるのか。

「あれはおそらく、刺青の列でしょう」

 飛揚の視線を追って、根衣が頬に()れてくる汗を拭う。

「この国では、十五歳になると皆、成人の印(しるし)のための刺青を入れるんですよ。男性ならちょうどああいう感じに」

 根衣が指す方に目を向けると、ちょうど耳から顎にかけて、流水を表すような渦巻(うずまき)の文様を彫った男が歩いていくところだった。

「女性は同じ文様を手の甲に入れるようです。本来は冬の儀式なので、毎年一番冷え込む織物候に『入れ墨の儀』が行われるのですが、今年は建国十年の祭に合わせて一斉に墨を入れるのだとか」

 事前に調べていたのか、根衣(ねい)は淀みなく説明する。飛揚(ひよう)はもう一度周辺を歩く人々に目を走らせた。先ほどまでまったく視界に入っていなかったが、確かに大人の男性には頬に、女性は手の甲に青黒い墨が入っている。確かこの国の神である丹内仙女(にないせんによ)は、水と薬の女神だ。流水紋はそれに倣ってのことだろう。腕に家ごとの文様を彫る波陀(ぱだ)族をはじめ、自らの体に刺青を入れる者たちは、それほど珍しいわけではない。

「墨には古雫(こだ)の実の汁を使うそうです。それを久洙(ぐしゆ)の樹の棘につけて、皮膚に細かく傷をつけていくのだとか。鎮静には伝統的に伏葉(ふしのは)を一晩水に浸したものを使っていて──」

 説明を続ける根衣を置き去りにして、飛揚は天幕のひとつに歩み寄り、中で行われている施術を覗き込む。ちょうど少年が墨を入れてもらっているところで、簡易の椅子に座って行われていた。小ぶりな平皿に、潰した青黒い古雫の実。傍には、(ふた)の開いた壺の中に伏葉が入っているのが見える。針となる久洙の棘は、事前に樹から切り取られて、(ざる)の中に盛られていた。それを伏葉で拭いながら施術は行われる。

「……本来は冬に行うと言ったか?」

 飛揚の問いに、後を追ってきた根衣が頷く。

「はい。でも冬の寒い時期に刺青なんて、考えただけで痛さが倍増しそうですよね」

 飛揚はもう一度天幕の中に目を向け、再び歩き出した。

「飛揚様、お待ちください!」

 置いていかれそうになった根衣が、小走りで後をついてくる。腕を組んだまま歩いていた飛揚は、進行方向に誰かが立ちはだかっているのに気づいて足を止めた。男性が二人、女性が一人。その三人組が、意志を持ってはっきりとこちらを見つめている。

「──斯城(しき)国副宰相、斯城飛揚様とお見受けいたします」

 一番年配の男が、一歩進み出て低く口にした。張りのない皮膚は小鼻の脇から口元へ(しわ)を刻み、(まぶた)の脂肪でやや重苦しく見える一重の目には、魚鱗(ぎよりん)のようなぬらりとした光がある。唇は血色が薄く乾いており、顔色が悪くさえ見えた。

 追いついた根衣が、咄嗟(とつさ)に飛揚を(かば)って前に出る。その様子に、彼らは敵意がないことを示すように軽く両手を開き、武器を持っていないことを示した。

「ご安心ください。危害を加えるつもりは毛頭ございません。ただ少しだけ、我らの話を聞いていただけないでしょうか」

「無礼者! 主上の叔母上である御人に、このような場所でかような申し出、叶えられると思ったか!」

 さすがに忠義を見せて、根衣が腰の剣に手をかけた。文官ではあるが、武術も(たしな)むのが宿(すく)家だ。しかしこの場で騒ぎを起こすのは、できるだけ避けたい。

「え、円規(えんき)さん……やっぱりやめましょうよ」

 根衣の気迫に動揺したのか、若い男が前に立つ男に呼びかける。

「何を言う、ここまで来ておいて!」

「でも、やっぱり斯城(しき)国はいくらなんでも……」

 中年の女性も、若い男に同意する。

「なんだ、聞いて欲しい話があるんじゃなかったのか?」

 やや挑発するように、飛揚(ひよう)は問いかけた。

「飛揚様!」

「わかってる。さすがにここで騒ぎを起こしては、琉劔(りゆうけん)の顔がつぶれる」

 根衣に囁いて、飛揚は居並ぶ三人を一人ずつ眺めた。武器は携帯しておらず、ごく普通の町人と変わらないように見える。飛揚が一歩前に出ると、三人の間に緊張が走るのがわかった。世間知らずというよりも、斯城国副宰相に声をかけるという行為がどういうことなのか、わかっていてあえて実行したのだろう。

「多大なご慈悲を感謝いたします。用件はただひとつ。どうか斯城国に、我らの後ろ(だて)になってほしいのです」

 若い男の制止を振り切って、円規(えんき)がやや早口に告げた。

「後ろ盾?」

 飛揚は眉を(ひそ)める。

「お前たちはどういう集まりだ? 目的は?」

「飛揚様、耳を貸してはなりません!」

「我らは千芭(せんば)族有志。牟西(むさい)王へ異を唱える『白奈(はくな)の者』──」

「あなたたち何をしているの!?」

 声が重なり、飛揚はこちらへ駆け寄ってくる若い女性に目を留めた。

「くそ、安南(あんな)か!」

 女性の姿を認めるや、三人は素早く身を翻して人ごみの中に消えた。その後ろ姿を目で追い、飛揚は思案して顎をさする。丈国(じようこく)は神を同じくするふたつの部族が合わさって作られた国。そのふたつの部族というのが確か、千芭族と黄芭(おうば)族だったはずだ。

「ごめんなさいね、どうせ妙な勧誘をされたんでしょう? 忘れてくれていいわ」

 駆け寄ってきた安南と呼ばれていた女性は、飛揚と同年代だろうと思われた。長い髪を結い上げており、そこに月金(しろがね)色の鳥を模した(かんざし)を差している。切れ長の目が落ち着いた印象を与え、手の甲の刺青が白い肌によく映えていた。よくよく見れば、その辺りを歩いている人々とは少し違う、垂領(たりくび)で袖丈のある白の装束を着ている。

「勧誘と言えば勧誘だったが、随分思い切った勧誘だったな」

 飛揚は目の前の彼女を、興味深く眺める。この鳥を模したような装束は、おそらく宮仕えの神官だろう。確かこの国では、白い鳥を神の使いとしていたはずだ。

「千芭族と黄芭族は未だに()めているのか。斯城を後ろ盾に使おうとは、相当焦っていると見える」

 その言葉に、安南(あんな)は明らかに顔色を変えた。斯城(しき)からの国賓が王都に入ったことは、すでに町中の人間が知っている。さらに根衣(ねい)が、自らの剣の柄にある日金細工をちらりと見せた。そこに咲くのは、斯城国を表す八蓉(やよう)の花。

「平伏はしなくていいよ」

 まさに地面に伏せようとした安南を、飛揚(ひよう)は素早く止める。

「その代わり事情を訊いてもいいかな、羽人(はねうど)殿。──ああそれから、鹿の糞がたくさんあるところを教えてくれ」

 にっこりと微笑んで言う飛揚の真意を測りかねるように、安南は息を詰めてその場に立ち尽くしていた。

 丈国(じようこく)で神の遣いとされている白い鳥は、白奈鳥(はくなどり)という名前だ。全身が白い羽で覆われており、(くちばし)と足は黒く、一部の個体には羽に灰色の筋模様が入ることがある。丈水山(じようすいさん)に多く生息し、国内でも郊外へ行けば見ることができるが、時折町中を飛ぶこともあって、その姿を見た者には幸運が授けられると言われている。

 しかしその神秘的な姿に反して鳴き声は大きく、特に警戒時の声は空を切り裂くようにすら聞こえるらしい。そのあたりも、神の遣いと言われる所以(ゆえん)なのかもしれなかった。

「我が丈国では……いえ、丈国になる以前から、千芭(せんば)族でも黄芭(おうば)族でも、一族に関する重要な物事の決定には、神の判断を仰いできました。神の遣いである白奈鳥の羽根を降らし、その羽根が載った者を()とする方法です。私はその『神託の儀』において、羽根を降らす羽人の役を代々仰せつかっております」

 安南が飛揚たちを案内したのは、王宮のすぐ傍にある厩舎(きゆうしや)だった。ここでは王族をはじめ役人が使う黒鹿が飼育されており、糞は一カ所にまとめて堆肥(たいひ)に利用しているという。

 獣臭と糞の臭いが交じり合ったその堆肥場の一角で、目当ての糞虫を見つけた飛揚は、背嚢から蓋に空気穴をあけた捕獲用の小瓶を取り出し、赤鹿(あかじし)の腸から作った薄い手袋をはめて、早速採集をはじめた。

「神官であることはわかったとしても、まさか初見で、羽人だと見抜かれるとは思いませんでした……」

「ああ見えて我が副宰相は、とても聡明な御方ですので」

 しゃがみ込んで糞虫を摘まんでいる飛揚を背中で隠し、根衣がどうにか取り(つくろ)う。

「この度も丈国訪問にあたり、生涯の研究とされている虫の採集も目的のひとつとされておりまして──」

「見ろ、根衣! ここにうじゃうじゃいる! 色は黒と白の斑だ! 採り放題だぞ!」

「とっとと終わらせてください!」

 根衣(ねい)は相変わらず苦労性だな、と飛揚(ひよう)は思う。事実を事実でないように説明すれば、苦しくなるだけだというのに。最初からうちの副宰相は虫が大好きだと言っておけば何も問題ないと思うのだが。そんなことを考えながら、飛揚は鹿の糞を丸めて運んでいる糞虫を摘まみ、糞玉と一緒に瓶に入れた。これを眺めているだけで、おそらく一日潰せるだろう。

 (ほころ)ぶ頬を隠しもせず、熱心に糞虫を集めていた飛揚は、足首の辺りに違和感を覚えて目を向けた。袴の裾から伸びた肌の上を、麦粒ほどの小さな赤い虫が()っている。

「……紅蟎虫(あかだむし)か?」

 指先で摘まんで、飛揚はしげしげと眺めた。人や獣の血を吸う虫で、吸血後はさらに体が紅く染まるのでこの名がついたと言われている。しかし生息地は水辺の草むらで、このような町の中にいることは珍しい。黒鹿に引っ付いてきたのだろうかと周囲の地面に目を走らせた飛揚は、厩舎の方にかけて転々と赤い虫がいることに気付いた。柱や板壁、草の陰などにもその姿がある。生息地を通った黒鹿が運んできた、と考えるには、少々数が多い気がした。

「……近くで洪水でもあったかな?」

 生息地が流され、虫たちが町中に移動してくるのはよくある話だ。卵が流されてきて、通常の生息地ではない場所で大繁殖(はんしよく)することもある。

「まあいい。せっかくだから君ももらっていこう」

 飛揚は紅蟎虫を小瓶の中に収める。このような小さい虫より、大きな甲虫の方が好みではあるのだが、吸血種というところが気に入った。うまくすれば、自分の血でも育てられるのだろうか、などと想像が膨らむ。

「あの……先ほどのことですが」

 うっとりと捕獲した虫を眺めている飛揚の背中に、安南(あんな)が恐る恐る呼びかける。

「どうか、すべてお忘れいただけませんでしょうか。御無礼は平にお詫び申し上げます」

 膝に額がついてしまうのではないか、と思うほど深く頭を下げて、安南は訴えた。

 飛揚は糞虫と紅蟎虫を入れたいくつかの瓶の蓋を締め、手袋を()ぎながら立ち上がる。

「忘れなきゃいけないほど、斯城(しき)には知られたくなかったことなのかな? 言っとくけど、私は怒っているわけではないよ」

 他国の事情に、あまり首を突っ込みたくはない。しかし斯城国や闇戸(くらと)の近くでいざこざが起こるのも避けたい。できれば丈国(じようこく)には、平和に(しず)まっていて欲しいのだが。

「もしかして、君も千芭(せんば)族の生まれなのかな? さっきのは同族、だったりして? つまり千芭族の中でも、意見の違う者が出てきているとか?」

 飛揚の問いに、安南が絶句して息を吞んだ。

 図星か、と飛揚は腕を組む。しかし一体何を仲間内で()めているのか。斯城に後ろ盾になってほしいなど、生易しい事情ではない気がする。

「……お恥ずかしい話ですが、我が千芭族の中に、昔から牟西(むさい)王を認めぬという一派がいるのです。その者たちが、今主上が計画している川違(かわたが)えの件で、自分たちの主張を通すために、大きな力の庇護(ひご)を得ようと暴走してしまいました」

 そう言うと、安南(あんな)は今度こそ地面に平伏する。

「我が一族の者が、とんだ御無礼をいたしました。どうぞお許しくださいませ!」

 ためらいなく砂にまみれる安南を見下ろし、飛揚(ひよう)根衣(ねい)と目を合わせる。大事(おおごと)にするつもりはないし、そもそも安南に責任はない。

「平伏はしなくていいと言っただろ。服が汚れるよ」

 飛揚は安南の腕をとって、体を起こさせる。自分の服が糞まみれになるのは一向にかまわないのだが、せっかくの白の装束が汚れるのは、なんだかもったいない。

「牟西王だって、(いたずら)に川を動かそうってわけじゃないだろう? 川違えは国にとって、一、二を争う重要な事業だ。何を揉めることがある?」

 川違えとは、たびたび氾濫(はんらん)を起こす川の流れを人為的に変え、水害を減らすためのものだ。一度洪水が起きてしまえば、一週間水が引かないことも珍しくなく、その度に人家はもちろんのこと、田畑は壊滅(かいめつ)的な打撃を受け、飢饉(ききん)にすら繋がってしまう。よって川違えや堤の建設などの治水工事は、国が発展するためには欠かせないものだ。

「それに牟西王は、君たちの神が『神託の儀』とやらで決めたんだろう? しかも八年も前に。今更それに異を唱えるとは、ちょっと遅すぎやしないか? まして神に(そむ)くようなものじゃないか」

 飛揚に引き起こされて、安南は顔を伏せたまま立ち上がる。

「神に背く……。そうですね……。本当に、その通りです……」

 深く息を吐いて、安南は絞り出すように声にした。

「やはりあの時、止めておくべきだったんです……」

 ふと視線を感じた気がして、飛揚は安南の肩越しに、厩舎の屋根へ目を向ける。

 そこにはこちらを見下ろすように、一羽の白奈鳥(はくなどり)が羽を休めていた。

二、

 紗幕(しやまく)がかかったような景色は、いつも同じだ。

 その向こうに見えている人は、黒い短髪で白く長い裾の上衣を着ているということくらいしか判別できず、どういう目鼻立ちをしているのかまではわからない。それでもなぜか、男性なのだろうということはなんとなく理解できた。理解できた、というよりも、知っていた、という感覚の方が正しい。

 彼はこちらに背を向けて、誰かと話し込んでいる。切れ切れに聞こえてくるのは、冗談交じりで何かを要求するような軽口だった。時折試すように、手に持った四角い箱から何かを噴射して、その香りを()いでは感想を述べる。

 ああ、香霧(こうむ)の種類を選んでいるんだ、となぜだかわかった。

 仕事中に吸うのなら、彼は甘い香りよりも、爽快感のある香りの方が好きなのだ。その方が頭がよく働くという。

 やがて話がまとまったのか、彼がこちらに歩いてくる。その姿が近くなるたびに、まるで旧友に会うような懐かしい気分になった。

 ──そう。そうだ。

 僕は君のことを知っている。

 その、不思議な瞳の色のことも。

 ゆっくりと意識が浮上するように目を覚ました慈空(じくう)は、自身の寝台にはありえない、豊かな房の付いた豪奢な天蓋(てんがい)を目にしてぼんやりと(まばた)きをする。一昨日ここに着いてから、朝を迎えるのは二度目だというのに、この景色にはまだ慣れない。もっとも昨日までは移動の疲れで少し熱を出していたので、与えられた部屋をじっくりと堪能することもできなかった。

「……また、あの夢を見たな」

 ぽつりとつぶやいて、寝台脇の卓に置いた石と本に目を向ける。

 弓可留(ゆつかる)国に伝わる宝珠、『(ゆみ)心臓(しんぞう)』と『()文書(もんじよ)』。

(たね)』が硬化したものだと教えられた『弓の心臓』には、今でもしっかりと生きた『種』が浮き出ている。日樹(ひつき)曰く、あの不思議な夢は『種』が見せるものということらしいが、なぜ自分が見られるのかはよくわからない。その謎も、この旅で知ることができるのだろうか。

「お目覚めでございますか?」

「あ、は、はい!」

 計ったように扉を叩く音がして、慈空は慌てて返事をする。

 人生とは、本当に何が起こるかわからないものだ。

 国と家を失くし、天涯孤独になった自分が、こうして女官に世話を焼かれる日が来るなど──。

 琉劔(りゆうけん)がわざわざ国章入りの便箋(びんせん)で、慈空に直筆の手紙を寄こしたのは先月半ばのことだった。闇戸(くらと)にいる種術師(しゆじゆつし)が、『種の夢』を見られる慈空に会ってみたいと言うので、一度来てみないか、という内容だった。ようやく自宅の再建にも目途が立ち、子どもたちに読み書きを教えるという新しい仕事をはじめようとしていた矢先だったので、その前に思い切って訪ねることにした。なぜ自分が『種の夢』を見られたのかということにも興味があったし、『弓の心臓』と『羅の文書』の謎を解くきっかけになるなら、これ以上のありがたい話はなかった。

 旅支度を整え、あらかじめ琉劔(りゆうけん)に言われていた通り、王都ではなく斯城(しき)国の北端にある青州(せいしゆう)に向かった慈空(じくう)は、そこにある離宮に迎えられた。離宮とはいえ、かつての弓宮(ゆぐう)(しの)ぐほどの大きさで、(つい)になった塔の丸屋根に、惜しげもなく使われた貴重な青の化粧石が艶やかに陽光を照り返していた。琉劔曰く、これでも質素に作ったということだが、これが質素なら王宮は一体どんな華やかさなのだろうか。そしてそこで当然のように「主上」と呼ばれている彼を見て、慈空はようやく琉劔が斯城王であることを実感していた。

「主上が新しいご友人を連れてこられるのは、久しぶりです」

 朝食の用意をしてくれた年配の女官は、良珂(りようか)と名乗った。聞けば琉劔が幼い頃から世話をしていたという女官頭で、今回は琉劔から直々に、慈空に付くよう任されたという。

「ゆ、友人と言っていいのかどうか……」

 丁寧に裏ごしされた豆汁を口に運びながら、一体自分たちの関係性は何かと慈空は考える。知り合いというにはもう少し深く、けれど友人と呼ぶにはまだ戸惑いがある。

「私、ふうて……じゃなかった、琉劔さんには借金がありますし……」

 貸主と借主の関係というのが、実は一番わかりやすいのではないだろうか。

「主上は少し気難しいところがありますから、気に入らない方を離宮にお呼びになったり、まして金銭的援助をしたりはしませんよ」

 良珂は足の付いた硝子(がらす)の器に、赤鹿の乳を発酵させたものを(さじ)ですくって盛り付ける。乳固(ちこ)よりも柔らかなそれは、少し酸味があり、斯城でよく採れる甘い玉果(ぎよつか)と合わせて食べるのだと教えてもらった。

日樹(ひつき)さんや瑞雲(ずいうん)さんも、よく来られるんですか?」

「ええ、お二人ともここには専用のお部屋をお持ちですよ」

「やっぱり仲良しなんですねぇ」

「慈空様も、そのうちそうなるかもしれませんね」

「いえ、私なんて……。借金返すのが先です……」

 琉劔は利子を要求せず、期限も切らず、ただ借りた額だけを返せと言っているが、正直その返済の目途はたっていない。今は完全に、厚意に甘えている状態だ。

「琉劔さんのこと、最初はもっと怖い人かと思っていました」

 口数が多い方ではないので、今でも何を考えているのかよくわからないところはあるが、意外と情に厚い人なのだなと実感している。

「……あの、こんなこと訊いていいのかどうかわからないんですが……」

 匙を置いて、慈空は良珂に目を向けた。

「あの噂は、本当なんでしょうか? ……琉劔さんが、先代王である父親と弟を……」

 その先を、慈空は(にご)す。

 現斯城王は、先代王である自らの父と、王位継承者であった弟を殺し、玉座についた。それが、(ちまた)に流れている斯城王の噂だ。本人に確認する度胸がなく、今までずっと疑問に思っていた。

慈空(じくう)様は、どうお思いですか?」

 柔和な笑みをたたえたままの良珂(りようか)に問い返され、慈空は喉の奥で(うな)る。

「……正直なところ、私にはわかりません」

 沈寧(じんねい)国で見せた彼の苛烈な一面は、たとえ血の繋がった身内であっても、容赦なく斬ってしまいそうな危うさがあるのは確かだ。

「ただ、たとえそれが事実であったとしても、私には、彼がそう望んだようには思えないんです」

 慈空の言葉に、良珂はその笑みを深くした。

「真実は、ご自分でお尋ねになった方がよろしいですよ。きっと慈空様になら、お答えくださると思います」

 お茶を用意しますねと、良珂はその場を離れて準備を始める。

 女官の立場で言えるのはそこまでということなのかもしれない。

「……それができれば、ここで訊いてないんですって……」

 ぼやいて、慈空は豆汁の残りを口に運んだ。


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