失われたテクストの復元に勤しむ文献学者・嵯峨野修理。
紙切れ一枚も彼の手にかかれば謎の宝箱に早変わり。
『図書館の魔女』著者が奏でる知的探索ミステリー、開幕!
第一話
ディレッタント、近世を解く
一、例により嵯峨野家訪問のこと
忘れたるにあらねども、
えがたくて、
のこしたる紅き林檎の果のやうに。
負け惜しみじゃあないけれど、だって仕方がないじゃない。都々逸みたいに繰り返しては、それでも別れた旦那のことを日に一度は思いだし、なんとはなしに胸が疼く。忙しくしていれば日々の営みに紛れてしまうこんな虚しい懊悩も、ひとり車を走らせる道のりがちょっと長くなると途端に頭をもたげてくる。
癪な気持ちも切り替えてやらんとばかりに、副変速機を四駆にいれて未舗装の切り通しに車を進めると、隧道のように高く頭上を覆う木立から驟雨の名残の雨雫が落ちて、ルーフとボンネットにばらばらと小気味のよい音を立てる。手探りで窓を薄めに開けたらむっとした草いきれが躍り込んで却って車内の湿度が上がったみたいだった。申し訳程度に砕石を敷きひろげた両の轍に沿わせるように車輪を導き、速度の割にはやや吹かし気味にして慎重に登坂するが、それでも石塊が轍の泥濘にめり込んでしまってハンドルを取られる。このポンコツ軽四駆に乗って何年にもなるけれど、ここに来る用事があるうちは手放せないのが腹立たしい。
東京で暮らす編集部の同僚達は、骨の髄まで都人士で車など持たぬと決めているか、持つなら持つでもっといい車に乗っているのが常だった。ある時ゆえあって上司のツーリングワゴンに同乗したことがあったが乗り心地に驚いて「空飛ぶ絨毯かよ」と歯嚙みをしてしまったものだ。かたや自分の軽四駆の乗り心地はといえば、件の前夫が「台車みたいだね」と含み笑いで呟いていたのが思い出される。さしたる悪気もなく絶妙の悪口を浴びせやがって本当に腹に据えかねる。何事につけ腹蔵無いのが長所に見えていた時代もあれど、別れのきわでは口さがなさがいちいち業腹でならなかった。台車みたいだか、大八車みたいだか知らないが、大きなお世話だ。そもそもあんたがこんな山ん中に引っ込んでるのも、こっちが今なお台車に乗ってなきゃいけない理由の一つだ。軽トラか四駆でもなけりゃあ、こんなとこまで入ってこられるものじゃない。
惚れて通えば千里も一里、逢えずに帰ればまた千里、か。自分の気持ちが御座敷芸の都々逸か、安手の演歌に酌み尽くされているようで、ほんとに嫌になる。この台車ががたぴし刎ねて尾骶骨に響いてくる度に、お前の未練のなすところだぞと突きつけられているようで、今度こそ買い替えようと決心しては翻意して、それで何年になるんだったっけ、もう思い出したくもない。
そしてまさしく今日もその別れた前夫の修理に用向きあっての山行である。前夫が壊れたので修繕しようという話ではなく、嵯峨野修理が前夫の名前だ。
九十九折りの坂道は山肌に沿って続く。山側にはもう手が入らなくなって枝打ちもせぬままに好き勝手に繁茂している桑畑の名残が石垣の上に棚になって拡がっている。いまとなっては産業といえる規模では残っていないものの、上州(群馬県)甘楽郡では明治からこちらの主要産業の一つが養蚕だったのだ。
桑畑の段々をいくつかやり過ごすとひときわ広い山棚が雑木林にめり込んでいる一画があり、かつては養蚕業の豪農の古民家が建っていたそうだ。その名残は裏の崖の裾に並んだ大谷石積みの蔵二棟に窺われる。惜しまれながらも取り壊された古民家の代わりに、いま山棚の奥に坐すのはウッドデッキのあるペンション様のモダンな木造建築だ。浅間山麓の別荘地によくみられるつくりの三角屋根、じっさいこれは前夫の御尊父、故嵯峨野算哲氏が別荘として建てたもので、氏の御逝去ののち御母堂の妙さんは武蔵野の旧本邸を畳んでこちらに引っ込むことになった。
ぱっと見はログハウス風に見えるが実は軸組みパネル工法で、修理の弁によればひとたび基礎が決まったらあとはプラモデルのキットを組み立てるみたいにあっという間に建ったという話だ。木造建築の大工仕事といえば、鋸に鉋に、釘と玄能という印象があるものだが、すでに出来上がった部材を金物とボルトで組み立て、接着剤でばんばんパネルを貼り付けていくのだと。
かくして上州甘楽の谷間を見晴らす山棚に、蔵を背後に従えたログハウス風別荘という奇観が整ったわけだが、故算哲氏がこの物件を選んだ理由というのがそもそも二棟の蔵にほかならない。氏は稀覯書の蒐集家であり、鼠と紙魚、直射日光と高湿度を終生の敵と定めていた。大谷石の蔵の明かり採りをペアガラスのサッシでふさぎ空調を整え、隙間という隙間を漆喰で埋めてから薫蒸して、書物のための無菌室みたいなものを拵えたのだ。
また妙さんがこの立地に首を縦に振ったのは、いままさに私が車を停めつつある、屋敷の広い前庭を理由とする。妙さんは香草、薬草の園と猫とを畢生の友と定めていた。車通りがなく、隣家もない、林間から崖上に張り出した空地。こうした庭に自由に猫を放って、自分は野良仕事に精を出すというのが、長年を都会の住宅地、商業地に過ごしてきた彼女の念願だったのだ。
ちなみに、妙さんの方はおよそ終生の敵なんていそうもない人なのだが、ある時にあなたにとって敵といえばなんですかと訊いてみたところの答えはきっぱりと「鹿」だった。いつもにっこりしている妙さんの目が一瞬険しくなっていた。なんでも丹精していたみさきの畑を荒らされたらしい。「みさき」は筍形で葉のやわらかい甘藍の一品種のことだ。
「なんだったら一玉、二玉ぐらいまるごとあげたっていいのに。ぜんぶ先っちょだけ齧っていったのよ」
そして小さな声で「許せない」と呟いていた。私は背筋がすっと寒くなった。普段めったなことでは怒らない人を怒らせるのは本当に怖い。
ハンドブレーキを引き、エンジンを切ると嵯峨野邸の背後のブナ林が風にざわめき、凪いだひとときの静寂の後に小啄木が木をつつく音が谷間にこだまする。都会の喧騒を離れて「静けさ」を感じはするが、こうした深山は即物的にはけっこう騒がしい。車を出てドアを閉めたら、雨上がりの庭園の入り口まで出てきていた妙さんに声をかけられた。
「真理ちゃん、鍵差しっぱなし」
「乗り逃げる人なんていないでしょ?」
「必ず抜く習慣にしておかないと、大事な時に締め出しくらうわよ」
昔からなんとなく妙さんには逆らえないので、窓から手を突っ込んで鍵を引っこ抜いた。車の後ろに回ってバックドアに手をかけると……私は周囲の林にさっと一瞥をくれ、そののち妙さんに視線をやった。すでに事情は御案内である妙さんがかるく頷くのにあわせてドアを開けた。
この奇妙な儀式が必要なのは、この車のバックドアは巨大な片開きで、こうした山中で不意の颶風が吹きつける瞬間に開こうものなら、蝶番も引きちぎれんばかりにもの凄い勢いで開いて、次いで跳ね返りに轟音をあげて閉まってみたり、剣呑なことこの上ない。手を挟んだら大変なので、風を読まねば、ドアを開けるもままならないのである。ひとまず無事にドアを開けおおせて、フラットにならしたラゲッジスペースから引っ張り出したのは、浅い段ボール箱にならんだ苗の数々である。来訪に先駆けて妙さんに電話して、この午後に寄せていただくから、なにか用足しがあれば承りますが、と告げたところ、ふもとの農協に頼んでおいた苗が届いているから取ってきてくれれば有り難いとのことだったのだ。礼の言葉もそこそこに、妙さんは「やるから、やるから」と段ボール箱を自ら抱え、麦わら帽の首を傾げて相も変わらぬチャーミングな笑顔で私をウッドデッキの方に招く。
妙さんは本人が言うところの野良着姿であったが、野良着でこんなに瀟洒にみえる人もそうそういない。生成りの麻のシャツは七分袖が風にはためいている。白いゆったりしたコットンのパンツを膝下で長靴に押し込んでいるが、この長靴もゴム長と言われて想像されるようなものとは異なり、脹脛に沿って優美にすぼんだシルエットの綺麗なもので、ひとめ乗馬用のブーツみたいに見える。前に「ヒールの高い長靴なんてあるんだね」と言ったら「しゃがんだ時に楽なのよ」と実用性を説かれて虚を衝かれたものだ。
カーキ色の帆布の前掛けは胸当ての部分を裏に畳みこんで、柳腰にきりっと巻き付けており、大きめのパケツ(妙さんは東京暮らしのころはミッション系の女子大に出講していた英文学者でポケットをパケツと発音する)に剪定鋏を差している。手先にはやはりカーキのキップスキンの園芸グラヴ。庭園の一画を薔薇園にしようと苦心惨憺しているところで、軍手じゃ薔薇の蔓を誘引するのに差し支えるからということで革のグラヴをしているわけだが、こんなところまでいちいち洒脱に見える。ちなみに薔薇園の方は、いまだ苦労のほどが実を結んではいなかった。ウッドデッキに近い白薔薇のアーチになるはずだったところでは、円弧の四半分までしか花が開かず、花弁吹き散らす花園となるべき煉瓦敷きの小径の両側には、このほどの熱波のために夏枯れてしまった薔薇の蕾が、咲き誇る以前にドライフラワーになってしまっている。人類滅亡後のローズガーデン跡地といった風情で、妙さんの失望は大きかったが、まだ諦めてはいないらしく来年こそはと雪辱を期している様子だ。臥薪嘗胆というか、滅びの薔薇園を横目に見るたび決意も新た、大きな麦わら帽の下にやや涙目で、唇を嚙んでいる妙さんであるが、化粧っ気もないのに相変わらずお綺麗で肖りたい。私の母と同い年なのに、雀斑の散った美人なんてずるいだろ。
若い時は凄みのある貴なる佳人だったと母はよく言っていた。妙なりとはあっぱれよくぞ名付けたものだと。つまり母と妙さんとが元来長らくの友人同士で、どっちかが男だったならこの二人がきっとあんじょう結婚していたのではなかったかと思うぐらいに仲が良かった。この上、それぞれが嫁いで子供をもうけたのも同時期だったので、わが実家と嵯峨野家との間には初めから昵懇な家族ぐるみのつき合いがあり、いきおい歳の近い私と修理も幼なじみの腐れ縁、婚姻関係を解消したところで切るに切れぬ縁が身に絡みついている。
そんなわけですでご覧じていただいたごとく、修理と離婚しても妙さんとは変わりなくつき合いが続いているわけだ。もともと妙さんは私と妹にとっては「二人目のお母さん」みたいな存在で、ちょっと厳しめで強持てのする実母に比べると甘々に優しかったので小さな頃から大好きだった。嫁姑の煩いなど無いに等しかったし、「お母さん」との間にはなんの葛藤も不満も生じなかったが、唯一の欠点を挙げるとすれば、甘やかし放題のあげくに修理をあのような偏屈者に育ててしまったことだろう。かかる見解を修理本人に投げつけてみた時には、先方は「魅力的な人間はみな、甘やかされて育ったものだ」とワイルドか何かを引用して澄ましていやがって、本当に腹が立った。悲しいかな修理は一定の魅力の持ち主だということは認めざるを得ない——さもなければ好きになりゃしないし、まして結婚までするわけもないのだが、同時に度し難い偏屈者で冷血漢で、甲斐性なしの社会不適合者だということも否定されざる事実だ。
離婚を考えた時も最初に妙さんに相談したものだ。いくたびかの慰留にも拘わらず決心を告げると、別れても「お母さん」でいいんだからねと手を握ってくれた。でも、こんな勝手を通してそれはどうなの、甘え過ぎではということで、なんとなく結婚する以前の「妙さん」「真理ちゃん」という称呼に落ち着きつつある昨今なのだが、時々は「お母さん」が出てきそうになり、一瞬言い淀んだ揚げ句に「お妙さん」などと口走ってしまうことがある。突然に使用人か何かに対する呼びかけみたいになってしまって汗顔の至りであるが、妙さんは例のごとくに妙なる微笑を浮かべて、大慌てのこちらに切り返し、楽しそうにきっと言うのだ——「いとはん、なんぞおしたんか」
「今日は何? お原稿の催促?」
「というか月末催促しなくていいように釘刺しに来た」
「カレンダー? ほんとうに甘えっぱなしで困っちゃうわね」
「妙さんのせいなんだよ」
子供時代からのつき合いだから、もと義母とあっても敬語がなじまない。「カレンダー」というのは修理のカレンダー——というか二ヶ月一覧のホワイトボードに予定を書き込んで、今週はこれをする週です、と尻をひっぱたくのが私の仕事の一端だからだ。手綱を緩めると何ヶ月でも無為に過ごして平気の平左という奴だから始末に負えない。修理の仕事の進捗管理は妻の立場からなにくれとなく気遣いするよりも、今のように担当編集としてビジネスライクに立ち向かう方がずっとすっきりした形になった。以前は有るか無きか判らない、奴の自主性に任せていたばっかりに本業の論文と余技の雑文の締め切りが重なって、どっちも抛って揚げ句の果てに出奔したりしていた。その時は出講のないシーズンとあって数ヶ月を雲隠れしていたが、風の噂に地方の学会には出席していたと聞いて呆れ果てたものだ。
「先々月には、調べがついてないことがあるとか言って著者校戻しをぎりぎりまで引っ張って岩沢さんの娘さんを泣かせたんだから」
「岩沢さん? ……の娘さん?」
「大和印刷の岩沢さん。校了データ待ちで祝日に印刷所待機になったんで、葛西臨海公園の水族館に行くという約束が反故になったわけ。『お父さんなんかだいっきらい』って言われたって」
「修理のせいなのね」
「無理を言ったのがこっちだからもう岩沢さんにも娘さんにも申し訳なくって……あんな悲劇は二度と御免です」
妙さんは緩やかな傾斜地に庇のようにかぶさるウッドデッキ下の日陰に苗の箱を下ろすと、靴脱ぎ石のところで長靴を脱いで石段を四、五段、とんとんと上り、デッキの上に残してあった革のサンダルをつっかけた。ウッドデッキは邸の南面、西面をぐるりと取り囲んで一階と段差なくつながっており、前庭に向けて張り出したテラス席になって妙さん御自慢の(というか現状では「屈辱的な」)菜園と薔薇園を一望できるようになっていた。妙さんが麦わら帽をフリスビーみたいに回し投げると白ペンキのガーデンチェアの背もたれにすっと引っかかった。そして開いたままだったフランス窓をぬけ、レースのカーテンを潜ってサロンの方に入っていく。私はズック靴のままウッドデッキのテラスにあがり、ガーデンテーブルの脇のベンチに書類かばんを放って妙さんのあとに続いた。この家はグラウンドフロアーは土足可なのだ。はたして妙さんはサロンに続くカウンターキッチンで調理台のそばのスツールに園芸グラヴを脱ぎ捨てると、常備品のペットボトルの軟水を流し込んでサイドテーブルの電気ケトルのスイッチを入れ、さらにはオーブンのダイヤルを通りすがりに回していた。すでに中になにか入っていた様子で、多分再加熱だ。
「なに焼いてるの?」
「スコーン」
果たして私の来訪を知ってすぐに予めこしらえておいたイングリッシュ・スコーンがオーブン(妙さんは「アヴン」と発音する)の中で軽く炙られているところで、妙さんは茶器をトレイの上に並べていた。ボーンチャイナの浅いティーカップを出してきたところからすると、お気に入りのダージリンを点てるつもりだろう。英文学者にはしばしば見られることだが、妙さんはかなりのイギリスかぶれで紅茶党、いや紅茶狂だった。
湯が沸けばカップとポットを温め、再びケトルに火が入る。お茶缶を開けたときには一度はなを突っ込んで嗅いでいた。以降は厳密なお作法に則ったお点前がしばらく続くことになる。湯切りをしたら茶匙に四杯のセカンドフラッシュ、再び沸騰した湯がどっしり丸い白い陶器のティーポットを満たし、茶葉が踊っているところにさっさとティーコゼーを被せて一式のトレイを私に持たせた。
「テラスでいただこう」
はーい、ということでウッドデッキのテラスに戻ると、折しもキッチンの奥ではオーブンがチーンとなり、ベンチの書類かばんの上には無愛想な雉虎が鎮座していた。嵯峨野家の猫の一、タビ氏である。茶器のトレイをガーデンテーブルに据えると私は雉虎を構いはじめたが、タビ氏は昔から私には愛想が悪い。ほぼ無視である。タビ氏は修理の手先だ。
妙さんが白いデザート皿を両手に持って出てきた。テーブルに置かれた皿二枚にそれぞれスコーンが二つずつ、じわっと溶けたバターが角を焦がし、クロテッドクリームをこれでもかと山に盛った上に、さらにごそっとのったコンフィチュールは……
「なんのジャムです?」
「木苺」と言って妙さんは遠い庭の一角を指差した。
「取れ過ぎちゃってしょうがないからジャムにしたけど減らないのよね。一瓶持っていってくれない?」
そういって庭仕事エプロンのパケツに突っ込んであったフォーク、ナイフを皿の脇にセットした。妙さんはわりと雑なところがある。
私はフォーク、ナイフを手に、妙さんが紅茶をいれてくれるのを待った。妙さんもミルクを入れる派だが、今日は凶悪にクリームを盛り上げたスコーンだからストレート。スコーンの方は妙さんの十八番だが、例によってさくさくでナイフの切り口から湯気が立ち、クリームがじわっと溶けていく。再加熱は表面を炙っただけだが、そもそもちょっと前に出来たばかりだったのだろう、中まで熱々だった。高カロリーだが、仕方がない、抵抗不能の逸品である。
「おいひい」
「それは重畳のいたり」
「こうさくっと出来ないんだよね」
「真理ちゃんも作ることあるの」
「妙さんがささっと作るからさあ、簡単にできるかなと思って。でもなんか生地がべちゃっとしちゃうし、焼いてもろくに膨らまないでがりがりになっちゃう」
「捏ねるところで手間取り過ぎたんでしょ」
「バターがなかなかそぼろ状にならないじゃない?」
聞けば、レシピは以前教えてもらったとおり、薄力粉二カップに、ベーキングパウダー小匙に一つ、お砂糖が大匙に一つ、バターがごそっと三センチ、ダイス状に切って、さらに粉に投じてからそぼろ状に揉んでいくというのが難所だ。ここで手間取ると……がちがちのスコーン岩石になってしまう。後入れの牛乳半カップで生地をまとめたら冷蔵庫に寝かしておいてもよい。材料もシンプルだし、手順も言えば簡単だが、どこに秘訣があったものか、私は岩石を製造するばかりでどうしてもこういかない。そう嘆くと、妙さんはいちどキッチンに引っ込んで秘密兵器を取ってきた。
「こ、これは」
「じゃがいもカッター」
ステンレスの短い円筒に、四角い網目みたいに金属の歯が格子状にはめ込んである。聞けば、レバー式のオレンジ搾り器のアタッチメントで、フライドポテトの棒状芋を大量に作るのに用いるものだそう。
「これでザクザクやるのよ。バターに溶ける暇を与えない。それがtrick」
「はあ」
「最後にミルクを入れるときに気持ち控えめにして、これで纏まるか不安だなーっていうぐらいで無理やり纏めて延しちゃうのよ、おうどんと同じ」
「そうするとこなこなのだまだまになっちゃわない?」
「そこを誤魔化すために大量にクリームをかけちゃうのよ。あとは焼いてる間にバターが面倒見るでしょ」
なるほどとフォークの先のスコーンにクリームをごっそり塗りつけて頰張って、もぐもぐやれば木苺の歯ざわりがぷちぷちと楽しい。苺にあわせるときはクリームは甘々に仕立てるが、木苺のコンフィチュールの糖分がえぐいので、今日のクリームは甘さ控えめ、濃いめに点てたダージリンは清廉にして香気が高い。茶器もお点前も優美だったが、当方はいささかがつがつしてしまって不調法で申し訳ない。
「これはフォートナム・アンド・メイソンだよね?」
茶葉の話に水を向けると妙さんは笑みこぼれて言った。
「お茶屋さんで量り売りで買ってるのよ。あれは缶だけ」
「そうなの? フォートナムがご贔屓なんだとずっと思ってた」
「悪くないけどね。ピカデリーの本店も素敵だったし。でも、ちょっと高すぎかな」
「妙さんはなんでフォションは嫌いなの?」
「別に嫌いじゃないわよ」
「そーお?」
前に妙さんがお遣い物の未開封のフォションの詰め合わせを「良ければ貰って」と寄越したことがあったのだ。紅茶党で有名だからそうした「一級品」のご贈答をしばしば受けているのは道理だが、大喜びでご賞味しそうなところ、あっさり右から左へと回してしまったのが案外だった。茶簞笥にクスミやマリアージュ・フレールの缶も残っているのにフォションの缶はついぞ見ない。なんでなのかな、と引っかかっていたのだ。ちょっと訳知り顔で妙さんの顔を覗き込んでいたら、カップを下ろして白状なさる。
「……マドレーヌ広場のパリ本店、算哲さんとうかがったことがあるんだけど……」
「もう観光名所だもんね、なにか不手際でもございましたでしょうか」
「ティーバッグでいれた薄いお紅茶だったわ」
あちゃーと私は目を覆う。眉根をやや寄せて「敵は鹿」と語った時のような険しい目で、妙さんは虚空を睨んでいた。観光客相手の商売に慣れて老舗の本義を疎かにしたフォション本店は、かくして怒らせてはならない人の逆鱗に触れてしまったのである。なるほど疑問が氷解した。
「あれが算哲さんとご一緒した最後のパリだった……」
妙さん泣きそう。逆恨みが骨髄に徹してしまっている。
「ごめんね、やなこと思い出させて」
「真理ちゃんが悪いんじゃないわ。悪いのは……」
怖い怖い。
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