- 2022.05.20
- ためし読み
何もかもが始まった十八歳の春――『嘘と正典』の小川哲、初めての自伝的青春小説
WEB別冊文藝春秋
小川哲「walk」
出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル :
#小説
#001 walk
かつて、ブックファーストが巨大すぎて言葉を失った人間がいた。僕だ。
山手通りから文化村通りに出た僕は、自転車に跨ったまま口を開けてしばらく立ちつくし、「これが……海なのか……」とつぶやいた。水溜まりしか見たことがない子どもが生まれて初めて海を見たときみたいに。
というのは噓だけど、太古の昔、渋谷に巨大なブックファーストがあったのは本当だ。信じてほしい。地下鉄渋谷駅と連結していたブックファーストではない。あのブックファーストより二百倍くらい大きくて、僕の実家の近所にあった「あづま」という本屋より二万倍くらい大きいブックファーストが存在した。
初めて店の前に立った僕は、その辺に自転車を止めて店内へ入ることにした。二千何百年も前、アレクサンドリア図書館にやってきたバルバロイの気分がよくわかった。すべてのフロアのすべての本棚に、みっちり本が詰まっていた。店内に置かれたソファには書痴たちが座り、本を抱えて恍惚の表情を浮かべた東京人たちがレジの前に列を作っていた。彼らはレジの前で「リョーシューショ」という聞いたことのない呪文を唱えた。生まれて初めて、「本屋に殺される」と思った。呼吸ができる場所を探して、僕は慣れ親しんだSFコーナーの棚の前に立った。「あづま」では一度も見たことがないハインラインとアシモフの本を買った。逃げるように店外に出て、近くにあった普通の大きさのスタバに入り、二階席の隅で買った本を読んだ。スタバを出たら、ジョイフル本田で買った六千円の自転車が撤去されていた。
東京だ、と思った。これが東京なのだ。
二〇〇五年のことだ。
二〇〇五年は愛知万博があった年で、福知山線で脱線事故があった年で、郵政民営化をめぐって衆議院選挙があり、小泉純一郎率いる自民党が圧勝した年だった。『ドラゴン桜』がドラマ化され、ヴィレヴァンにリリー・フランキーの小説が天井まで高く積まれた年だ。
僕は十八歳で、高校を卒業して大学生になった。
僕が入学した東大の駒場キャンパスは渋谷の近くにあって、受験前に一度だけ下見をしたことがあった。駒場東大前駅から出ると、すぐ目の前に赤くない門がある。門を抜けると偽田講堂と(僕の中で)呼ばれている安田講堂の偽物があって、その裏手には銀杏の並木道が噓みたいにまっすぐのびている。当時は食堂や校舎のいくつかが工事中で、何十年も前に建てられた古い建物と新しい建物がちょうど半分ずつくらい混在していた。
僕の実家は千葉市にあって、無理をすれば通えないこともない距離だったけれど(駒場まで片道一時間半くらいだ)、両親に頼みこんで一人暮らしをさせてもらうことにした。僕の両親は共働きで、父は会社員、母は小学校の教員だった。決して金持ちではなかったが、僕の学費と家賃を払える程度の余裕はあったし、お金が理由で何かを断念したことは一度もなかった(僕は人生において、その幸運を何度も嚙み締めてきた)。
東大の合格発表があったのが三月十日で、新学期は四月の頭から始まるので、春休みは新生活の準備で忙しかった。忙しさそのものが楽しかったのは、今のところ人生でもこの時期だけだ。世間ではライブドアがニッポン放送を買収しようとして、ホリエモンだの村上ファンドだの日枝会長だのが出てきてTOBだの新株予約権だの第三者割り当て増資だの何だのと、資本主義の裏技みたいなものが騒がれていた。その間に、僕と母は入学の手続きをしたり、不動産会社を回って内見をしたりした。豪徳寺の物件と永福町の物件と迷い、最終的に新代田と代田橋駅のちょうど中間にあるワンルームのアパートに決めた。目の前に環七が通っており、少し歩くと甲州街道があった。物件を紹介したエイブルの社員は「夜間は車の音が気になるかもしれません」と言っていた。僕はその後、経堂に引っ越すまで、十年間新代田に住むことになったのだけれど、一度も音が気になったことはなかった。経堂への引っ越しを手伝ってくれた友だちは、「こんなにうるさくてよく寝れるね」と言っていた。
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