- 2022.12.09
- インタビュー・対談
構想20年以上、伊岡瞬の集大成! 「慈悲も正義もないこの世界」で、人はどのように生きるのか?
伊岡 瞬
『白い闇の獣』(伊岡 瞬)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ベストセラー『代償』をはじめ、『悪寒』『本性』など読者の心を深くえぐる作品を発表し続ける伊岡瞬さん。文春文庫では『祈り』(単行本『ひとりぼっちのあいつ』を改題)、『赤い砂』(書き下ろし文庫)に続く3冊目となる、最新書き下ろし文庫『白い闇の獣(けもの)』がこのほど発売されました。
舞台は西暦2000年の東京・立川市郊外。冒頭で小学校を卒業したばかりの少女・滝沢朋美が誘拐され、殺される。犯人として捕まったのは少年3人。しかし彼らは少年法に守られ、わずかな期間の少年院入院や保護観察処分を経て、再び社会に戻ってきた。
4年後の2004年、犯人の1人・小杉川祐一が転落死する。朋美事件後に妻・由紀子と離婚して失踪した朋美の父・俊彦が復讐に動いたのか? 朋美の元担任教師・北原香織はある秘密を胸に転落現場に向かい、そこでフリーライターの秋山満と出会うのだが――。“慈悲なき世界”に生きることの意味を問う、伊岡さんの集大成といえる作品です。
――冒頭で12歳の少女・滝沢朋美が凄惨な殺され方をします。伊岡さんの作品はオープニング・シーンで一気に読者の心を捉える作品が多いですが、今回も非常にショッキングな始まりですね。このような発想は、どこから来たのですか?
私は小説を書くときに、まず2つのことを細部まで考えます。1つは主要登場人物のキャラクターや立場、もう1つはストーリーの舞台の設定です。
実はこの話を最初に構想したのは20年以上前、まだ作家デビューする前のことなんです。その時はまだ長編を一度も書き上げたことがなかったのですが、登場人物たちが極めて理不尽なことに巻き込まれるという話にしよう、という基本構想だけはありました。そしてこの世で最も理不尽なことは何かと考えたときに、親が子供を突然失うという悲劇はその最たるものではないか、と思い至りました。
――理不尽な事件でいえば、子が親を殺される、またはきょうだいや配偶者が殺される、というケースもあり得ると思います。そういうお考えはなかったのでしょうか。
もちろん、どれも辛い事例です。しかし、当時私自身にちょうど朋美と同世代の娘がいたこともあって、自分が死ぬよりも辛いことは何かと考えたときに、この結論に至りました。
――あっさり捕まった犯人は、15歳の少年3人組です。彼らは少年法の分厚い壁に守られて、大して罪を償うこともなく、まもなく野に放たれますね。少年らが少女を殺害する、という設定にしたのは、なぜなのでしょうか?
最初の構想を立てた2000年当時は、1997年の神戸の少年A事件などを受けて少年法改正に関する議論が巻き起こり、社会的にも少年事件に関心が高まっていた時期でした。作品にも書きましたが改正前の少年法では15歳を刑事裁判にかけることは非常に難しく、被害者遺族が犯人の名前すら知ることができないケースが多かったんです。さらに刑事事件に問えない場合に被害者遺族が民事訴訟を起こすケースがありますが、裁判に勝訴して加害者に賠償請求をしても賠償金が支払われる方が稀なんです。被害者がわが子でその上犯人が少年となると、被害者遺族の苦しみは二重にも三重にもなります。
――たしかに読んでいて被害者遺族である父・滝沢俊彦や母・由紀子、俊彦の兄夫婦や由紀子の実家の竹本家、そして朋美の元担任教師・北原香織たちの苦しみは痛いほどに伝わります。ただ、今作の主たるテーマは少年が犯人である点にはない、とおっしゃっていましたね。
少年法の是非を問うことにももちろん関心はあります。執筆前も書いているあいだも、かなり勉強しました。しかしそれ以上に、タイトルにも織り込んだように「闇」を描きたいという気持ちが強くありました。もともと仮タイトルは「真空の闇」というもので最終的に「白い闇の獣」というタイトルにしましたが、「闇」とはつまり「この世には慈悲も正義もない」ということを象徴しています。それから初稿ではエピグラフに「心の闇」という言葉と、その意味を掲げていました。実は広辞苑で「心の闇」を引くと、「親が子を思って心が迷うこと」という意外な意味が載っているんです。根本には「闇」の中で人間はどのように生きるか、ということを書いてみたかったということがあります。
――山岡翔也、小杉川祐一、柴村悟という犯人の少年3人組は、非常にリアリティのあるキャラクターですね。
さきほども触れましたがこの作品を構想するにあたって、少年法や少年事件に関して書かれた本を20冊以上読みました。その結果、犯人たちには共通性があると感じたんです。実話やモデルケースから犯人の要素を集めて再構成した結果、この3人の人物像が自然にでき上がったといえるかもしれません。ボス格の山岡、口の上手いボンボンでNo.2の小杉川、使いっ走りの柴村というトリオですが、この組み合わせは一種典型的だと思います。小杉川は山岡にうまく取り入る一方で柴村を小馬鹿にしていて、柴村は山岡や小杉川に逆らえないコンプレックスの捌け口をより弱い少女に向けています。強いものが弱いものを虐げていく、という構図です。
――3人の中でも山岡翔也は、最も“獣”に近い、身勝手で過剰に暴力的で非常に度し難い人物として描かれていますね。自分の生活範囲にこんな人間がいたら本当に怖いな、嫌だなと思いながら読んでしまいました。個人的には『代償』の安藤達也に匹敵する気持ち悪さを感じました。
“獣”をタイトルに取り入れた理由の1つは、未成熟な子供というのは獣に近いところがあるんじゃないか、という発想です。「子供は天使」という言葉がありますが、同時に悪魔でもあると思っています。たぶん、誰にも思い当たることがあると思いますが、子供は残酷だと意識せずにとても残酷なことをする生き物です。
また、ある登場人物が「少年は可塑性に富む」と言います。しかし可塑性(外力を加えて容易に変形させることができ、力を取り去ってももとに戻らない性質)がある=教育と指導によっては変われる可能性がある、ということは、裏を返せば悪くなる可能性もあるということです。作品中に飼育係の人間を嚙み殺した虎のエピソードが出てきます。あれなども、主張というより問題提起のつもりで書きました。
――冒頭以外のストーリーは何を言ってもネタバレになってしまいそうなので触れにくいのですが、印象的な人物として朋美の元担任教師の北原香織がいます。彼女はニュースや映画や本の中で気になる言葉、引っかかる文章を見つけては蒐集し、自宅の壁に貼っています。この言葉の数々が文中に引用されることで、作品の通奏低音のようになっていると感じます。実はタイトルの「白い闇」もこの言葉の中に登場するのですが、非常に面白い設定ですよね。
実は私自身が、格言コレクターなんです(笑)。中学生の時には故事成語の本を愛読していました。当時から、気に入った故事成語や格言を日記に書き写したり、自作の寸言風なものを書きつけたりしていました。自分でも子供らしくない趣味だと思っていましたが、今ごろになって役立つとは思いませんでした。今も仕事場の机の前に好きな言葉をいくつも貼っていますよ。たとえば、黒澤明監督の『野良犬』に出てくる「狂犬の目に真っ直ぐな道ばかり」という川柳の言葉などはお気に入りです。
香織はある“罪”を背負っているのですが、そんな自分が許せないわけです。交際上手ではない性格ですから、何かすがるものが欲しい。人によっては歌や映画や小説なのかもしれないですが、彼女の場合は短い言葉だったということです。
――作品のテーマでいうと、「あとがき」で伊岡さんご本人に今作は「これまでの集大成」とまで書いていただきました。「家族」「愛情」「憎悪」「暴力」「裏切り」「誠実」「応報」「赦し」と、たしかに伊岡作品のすべてが詰まっていると思います。
この中では「家族」は1つの重要なキーワードだと思います。個人的に「宗教」のような特殊な「社会性」や「民族性」に根差す物語よりも、「家族」を主テーマにしたいとずっと考えてきました。どんな国、どんな民族にも家族という概念があって、「最小単位の社会」である家族を描くことには普遍性があると思うからです。
また、「赦し」も大きなテーマです。生きていくことそのものが罪を犯すことである人間が、何かを「赦す」には、自分の奥底を見つめる必要がある。「赦す」に至る過程の大きな葛藤はやはり人間らしいもので、人の心を動かすと思います。
――実は今回はある程度の量の原稿が元々あったものを、すべて書き直すという形で出版していただきました。端から見ていても大変苦しまれていて、このような作業をお願いしてしまったことには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
この作品は誰かの要請があって書き始めたものではなく、20年以上前に最初に構想を立ててから少しずつプロットを練り、何年もかけて書き上げていった原稿が元になっています。ただやはり、今の自分の目から改めて読み直すと、すべての文章を書き直したくなり、実際に書き直しました。たとえるなら、プロの料理人が途中まで作った筑前煮を出され「これを作り直せ」と言われるようなものです。すでに材料は切られているし煮込まれているし、これを一体どうすればいいの?という気持ちはありました。ひょっとしたら一からすべて書いた方が早かったんじゃないか、と今では思っています(笑)。
――しかし元原稿を書き直す形を取っていただいたおかげだと思うのですが、冒頭から最後まで一気読みするようなストーリーのうねりがありますね。最初に拝読したときはあまりに面白くて読むのが止められず、徹夜で読み通してしまいました。
最初に構想を立てたのはまだデビュー前でしたので、かえって大胆な発想ができたというのはあると思います。それまでに長年内面に溜まっていたものが一気に迸(ほとばし)ったのかもしれません。当時持っているものは全部出したので、そのエネルギーがいい形で残っているのかもしれませんね。
ストーリーにうねりがあるとしたら、後に自覚するようになるんですが、書くなら徹底的に、という思いが最初からあったのだと思います。私はハリウッド的ご都合主義が嫌いで、絶望の淵に都合よくヒーローは現れないと思っているんです。人がいったん坂道を転がり落ちたら、壁に激突するか、海にでも落ちないことには止まらないだろう、と思っています。
――だからだと思いますが、滝沢一家も北原香織も、徹底的に理不尽な目に遭い、苦しみますね。一方で犯人側になかなか罰が与えられないため、胸をかきむしられながらも、先が気になって読んでしまいます(笑)。
私は、いったん登場人物が立ち上がったら、彼らが勝手に喋るのを現場で聞いて取材する形でしか書けないんです。滝沢俊彦、由紀子、殺された朋美、香織の苦しみをすべて背負わなくてはならないし、山岡翔也たちの薄汚い言葉も書き留めなくてはならない。本当は聞きたくもないんですが(笑)。ですから書いていると、いつもぐったり疲れ果ててしまいますね。
――そのように非常にコストを払った書き方を取られているからこそ、伊岡作品には圧倒的なリアリティがあるんだと思います。
最後になりますが、読者に向けて一言いただいてもよろしいでしょうか。
いつも思っていることですが、読者の心に小さな爪痕を残す作品を書くことを心がけています。何年か経って、この作品の何かのシーンが読者の心にふと浮かぶようなことがあれば、私も私が生み出した作品も幸せだと思います。そしてこの物語にはそんな印象に残るシーンがたくさんある、という自信を持っています。ぜひ手に取って読んでいただけると嬉しいです。
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