- 2022.12.26
- 特集
直木賞候補作・雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』の恐ろしさを語り合う。あなたの周りにも、こんな人はいる!
『クロコダイル・ティアーズ』(雫井脩介)書店員・読書会
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#エンタメ・ミステリ
『犯人に告ぐ』『検察側の罪人』など数多くのベストセラーを生み出してきた雫井脩介さんの最新長編『クロコダイル・ティアーズ』がこのほど、直木賞候補作となりました。雫井さんの出身地である東海圏の書店員お二人が、傑作サスペンスについて語り合った読書会の様子をお伝えします(「本の話ポッドキャスト」の人気番組・謎の読書会グループによる【本の螺旋階段】より)
妻は、元恋人を利用して、夫殺しを実行したのか。
司会 「お二人は雫井さんのご出身の東海圏で書店員をされてますよね。今日は『クロコダイル・ティアーズ』を課題図書にして、みなさんと読書会しようと思います。よろしくお願いいたします」
書店員A、B 「よろしくお願いします」
司会 「まずは、あらすじをご紹介します。神奈川県鎌倉市近郊に、大正時代から続く老舗の陶磁器店があります。その店を営む初老の夫婦が主人公です。彼らの近くには、息子夫婦が住んでいて、孫も生まれて幸せに暮らしていました。ところが、息子が何者かに殺害される、という事件が起きてしまいます。しかも、殺人犯として逮捕されたのは、息子の妻である想代子の元恋人。殺人事件の裁判が始まると、被告人となった男が、『想代子から夫殺しを依頼されたんだ』という衝撃の主張を展開します。ここから家族の心の奥底に疑念が生じていきます。息子の母である暁美は、嫁の想代子を信じられず、『実際に想代子が殺人犯をそそのかしたのではないか』と考えるようになる……、といった家族内のサスペンス小説です」
書店員A 「登場人物たちのリアリティがすさまじかったですね。こうやって疑心暗鬼は生まれていくし、実際にこういう人はいる! ということを感じながら読みました」
司会 「姑の疑念の対象となるのは、殺された男性の妻である想代子さん。見た目も美しく、とてもまじめ。結婚して長男を産んだ後は、夫の実家の『陶磁器店』の商売を盛り立てていこうという気持ちで頑張っているように見えます」
書店員A 「彼女は、とても控えめでもある」
書店員B 「ある意味、非の打ち所がない妻ですよね。であるのに疑念が生まれてしまう」
書店員A 「想代子の行動をめぐる描写が、雫井さんは上手いんです。どれもこれも怪し過ぎて(笑)」
司会「Aさんは、想代子がクロだと思って読んでいましたか?」
書店員A「そうとしか読めませんでした。クロだというのを大前提として、読みどころは、どうやって夫を殺させたのか、その方法がいつ明かされるのか、ということに注目していました」
司会 「ところがラストまで、その真実は明かされませんよね」
「嫁姑問題」を題材にした究極の心理サスペンス
書店員A 「連載が始まった時に驚いたんです。雫井さんが『嫁姑問題』を書くんだ、と。『犯人に告ぐ』で劇場型犯罪を、『検察側の罪人』で検察官にとっての正義を、『霧をはらう』でリーガルサスペンスを書いてきた雫井さんが! ですよ。でもよくよく考えると、雫井さんは、『家族』の問題、とりわけ、家族の中における『女性の立場』をとても上手く書いてこられた作家なので、納得しました。ただねぇ、今回は、姑の暁美さんが、かわいそうで辛かった。暁美さんは、嫁の想代子と上手くやっていこうと思いつつ、努力していたんですが……」
司会 「これは読む人によって感じ方が違いますね。私は、暁美さんの想代子に対する『疑いの眼ざし』が読んでいてとても辛かった。想代子の行動をどうしてそこまで『悪い方』に捉えるのか、正直ひどい姑だなと思いましたよ」
書店員B 「暁美さんも、陶磁器店をやっている方なので、もともとは明るくて、人づきあいが得意な、オープンな方だったはずです。ところが、大事な息子を殺された。原因の一端が嫁ではないか! となったら、冷静ではいられませんよ」
書店員A 「はっきり言うと、『あなたとかかわったから息子が死んでしまったんだ』と思ってしまいますよね」
書店員B 「発端は些細な行き違い、ありがちな嫁姑トラブルに見えても、そこから恐ろしい出来事が、積み重ねて描かれていきますね。ところが想代子さんは、何も語らない。想代子の気持ちは一切出てこない。悪女なのか、そうじゃないのか、という心理サスペンスとして完成度が高いですよ」
トラブルの中心に必ずいる「ある人物」のリアリティ。
書店員A 「以前の仕事で、想代子のような人物と、かかわることがあったんです。たとえば、人間関係のトラブルが起こるとします。周囲がいつも険悪な雰囲気になっている。その中心には必ず『ある人物』がいる。ところが、誰も『ある人物』の存在に気が付いていない。その本人にはトラブルの中心にいる自覚さえない。そういう存在を現実に知っていただけに、想代子の造型がリアルで……」
書店員B 「あああ、恐ろしい! 自分一人で疑うだけなら、疑念ですむんです。ところが、暁美の姉・東子が『想代子の悪意を増幅して伝えてくる』ことで、暁美の心が軋んでいく。姉の東子はまさに『いらんことしい』です。印象深かったのが、タイトルですね。『クロコダイル・ティアーズ』を直訳すると『ワニの涙』なんです。その割に『ワニ』がどこにも出てこないぞ、と思いながら読んでいたら、あるとき登場します」
司会 「『クロコダイル・ティアーズ』とは、『噓泣き』を意味する英語の言い回しで、昔からある表現だそうです。ワニは獲物を捕食する際に目から水滴をこぼす。この涙は悲しいから流れるのではなく、あくまで生理現象である。そのことが転じて『嘘泣き』という意味を持っているそうです」
書店員B 「姉の東子が、告別式の想代子の様子を見て、こう言うんです。『犯人があの子の元カレだったってことも分かってたから、正直、どういう反応なのかなって、私も気にしてたのよ。(中略)ハンカチで目もとを押さえるんだけど、どう見ても涙が出てないの』と」
書店員A 「暁美の中で、想代子への疑念がさらに膨らんだエピソードですよね」
「私を早死にさせたいんなら、そういう味つけでもいいんだけど」
司会 「この小説で一番好きなシーンがあります。晩御飯の食卓に、焼き鮭が出てきて、暁美さんが『塩辛い』と不機嫌になるんです。想代子に対して『どこで買ったのか』と問い詰めると、想代子は『マルサワさんです』と答えます。暁美は『魚は魚松さんで買わないと。塩気が強いんだから』と怒るんです。さらには『私を早死にさせたいんなら、そういう味つけでもいいんだけど』と。この場面がすごくおかしくて」
書店員A 「食べ物の好みの違いって、嫁姑の問題においてはとてもリアルです。母親は、自分の味付けで子どもを育てますよね。でも、結婚した後は、自分の息子が、奥さんの味に慣れていく。暁美にとっても寂しいことなんですよ。焼き鮭一枚で嫁姑問題を描く。ここはとても上手い場面だなと思いました」
司会 「暁美の夫の貞彦は『鮭なんて食べてみないとどれくらいの塩気なのか分からないしな』と想代子をフォローします。それが暁美は気にいらない(笑)。食事は毎日のことですから、家族の亀裂のファースト・ステップになりえます。仲良く商売をやってきた初老夫婦の間に、息子の妻が入ることで、『行き違い』が始まっていくんです。さらには孫の那由太君も、おばあちゃんの料理だと食べないんですよね」
書店員A 「孫の子の態度は、暁美には辛い。ただ、おばあちゃんの味に慣れていないだけだと思うんですけどね」
書店員B 「暁美は、息子を失い、心に傷を抱え、孤独だからこそ、想代子への疑念を深めていきます。ところが、貞彦から見ると『何を馬鹿なことを言っているんだ』ということになる」
司会「貞彦は、嫁である想代子のことを信じたいんです。なぜなら、孫がいるからです。息子亡き後、想代子と孫である那由太とともに暮らし始めますが、いつかはこの孫に陶磁器店を託したい。そのためにも、孫の母親である想代子には良い人であってもらわないと困るんです」
書店員A 「雫井さんは、どこからこういった『日常生活』のディティールを集めてきたんでしょうか」
書店員B 「もし、実体験だとしたら……」
司会 「どうでしょうか(笑)。この物語は、まさにディティール小説ともいえますよね」
書店員A 「夫の貞彦さんは、どんなにひどい事が起きても最後まで冷静さを保っていましたよね。ふつうはもっと感情的になって、夫婦で転がり落ちてしまうところを、彼は踏みとどまる」
司会 「貞彦の冷静さがあったからこそ、家族が破綻することなく物語が進んでいくのだと思います。そして、最後に『ある瞬間』が訪れます。ウイリアム・アイリッシュの『幻の女』や、宮部みゆきさんの『火車』で描かれるような展開となります」
想像を超えるラストシーン。読み終えた後に、想代子の恐ろしさが……。
司会 「最後に改めて感想を聞かせてください」
書店員B 「とにかくラストシーンです」
書店員A 「私は『とあるラスト』を期待していましたが、想像を超えてきました。読み終わって、すべてを振り返ったあとに、もう一度、想代子の怖さが来るんです。あの結末が本当なら、恐ろしさに震えます」
書店員B 「私も、『この最後』は想像していないものでした。雫井さんのディティールの積み重ねから生まれる心理サスペンス。とても面白かったです」
書店員A 「この小説の別の楽しみ方として、陶磁器の魅力も存分に描かれています。雫井さんは東海圏のご出身だからなのでしょうか、貞彦が営む陶磁器店では美濃焼が扱われています。私も大好きな『志野』『織部』などの焼物が出てきた。『その価値が1000万、2000万どころじゃない』という陶磁器がどういうものなのか、焼物の描写にも注目して読んでみて欲しいですね。実際に見に行きたくなりますよ」
司会 「雫井さんが自ら選んで購入した『美濃焼』のプレゼント企画も開催中です。『本の話』WEBに詳細がありますので、ご確認ください」
書店員A、B 「それ欲しいですっ!」
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