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捜査の最終防衛線(ラストライン)を守る刑事・岩倉剛の作り方

捜査の最終防衛線(ラストライン)を守る刑事・岩倉剛の作り方

堂場 瞬一

『灰色の階段 ラストライン0』(堂場 瞬一)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『灰色の階段 ラストライン0』(堂場 瞬一)

 小説の登場人物は、「どこまで作家本人に寄せるか」という問題がある。

 作家が自分をモデルにして書けば人物造形が楽だという説がある一方、人間は自分のことが一番分からないから、かえって不自然な人物像になってしまうという説もある。私は後者の考えで、主人公についてはできるだけ自分とかけ離れた設定にするようにしてきた。ついには女性主人公まで出してしまったから(警視庁総合支援課シリーズ=講談社文庫)自分でも徹底していると思う。唯一、警視庁失踪課シリーズ(中公文庫)の主人公・高城賢吾は私と同い年という共通点があるが、私がまったく酒を呑まないのに対して、滅茶苦茶な酒呑み(自分のデスクにウイスキーのボトルを隠している)なので、一八〇度違う人間と言っていい。

 さて、「ラストライン」のシリーズ主人公、ガンさんこと岩倉剛はどう生まれたか。

 岩倉が初登場したのは週刊文春の連載で、二〇一七年だった。自分より五歳下の設定にしたのは、「自分に寄せない」という方針に従ってである。若い人から見れば、「五十代なんて皆同じでしょう」かもしれないが、なに、五十代も前半と後半ではだいぶ違うのですよ。

 その頃の私は、仕事人生の終わり、ということをしきりに考えていた。私自身は注文がなくなるまで仕事は続けるつもりなのだが、当時五十代半ば、会社勤めを続けていたら、そろそろ定年について考える年齢になっていた。同じ歳の人に「定年後のことなんか考えてる?」と聞くと、たいてい「いや、まだ全然」という呑気な返事が返ってきたのだが、会社というか組織を離れてしまったが故に、ある種のノスタルジーのような感覚で、定年を意識していたのかもしれない。このシリーズ以外でも、『帰還』(文春文庫)では五十代を迎えてそろそろ会社員人生のまとめにはいっている新聞社の同期三人(プラス一人)の物語を描いている。

 という個人的なこだわりの中で生まれたのが、五十歳を迎えたばかりで定年まであと十年になった、岩倉というキャラだった。年一冊ペース、十冊で定年間際になれば綺麗だろうな、という計算もあった。あるいは十一冊でちょうど定年、六十歳まで描いてもいい。要するに、警察官人生の終わりが見えていて、残りの十年間をいかに生きるか、という物語にしたかったわけ。

 まだ折り返したばかりなので、本当に予定通りにいくかどうかは分からないが。

 年齢はこれで決まった。後はどういう性格づけにするか。

 一つ考えたのが「猪突猛進にしない」である。

 私の作品のシリーズ主人公には、猪突猛進、自分勝手、周りが見えない、唯我独尊タイプが少なくない。チームワークを重視して、仲間と協力し合って事件解決に向かう、というパターンは例外的だった。

 この辺、自己分析すると、昔からのハードボイルド好きが背景にある。ハードボイルドの基本は、やはり一匹狼の探偵だから、一人で暴走するしかないわけだ。

 とはいえ、こういうキャラばかりでは、似たような話ばかりになってしまう。そこで岩倉は「待ったの岩倉」にすることにした。

 あなたの職場にもこういう人、いませんか? 会議などで何となく方向性が定まりそうになった時、「ちょっと待って」と言って反対意見を出す人。大抵疎まれるのだが、その指摘が当たっていることも多い。少し引いた立場から見ると、物事のマイナス面が見えてきたりするものだから……そのせいで会議は長引いてしまうが。

 警察の仕事はミスが許されないが、やはり組織、しかも徹底した上意下達の組織であるが故に、反対意見が出にくいという特徴もある。そんなところに頻繁に「待った」を言える人間がいたら面白いのでは、と考えたのがきっかけだ。

 そして、この「待った」がミスを防ぐきっかけ、警察の捜査としては最終防衛線になるということからついたシリーズタイトルが「ラストライン」である。ただし、やはり岩倉自身が暴走してしまうことはある。心に染みついたハードボイルド好きは、どうしても拭い去れないものですね。

 もう一つが記憶力だ。

 どんな仕事でも、抜群の記憶力は絶対に役に立つ。しかもこと事件に関してだけ、異常に記憶力が良ければ、刑事としては最高の武器になるだろう。というわけで、腕っぷしが強いわけでもない岩倉に、怪物的な記憶力という能力を付与した。ただし仕事以外では役に立たない記憶力で、私生活では「ちょっと大丈夫か」と思えるぐらい抜けているのだが。

 その私生活では、離婚前提で妻と別居中、若い恋人がいるが、娘には構ってほしい――この辺は後からできた設定だが、こういう風にしてしまったので、話に奥行きが出たと言えるか、混乱したと言うべきか。しかし岩倉の彼女の実里さん、ちょっと世間とずれた性格が個人的には好きなんですよね。

 作家はどうやって登場人物を生み出しているか――その一端を想像していただければ幸いである。

 キャラクターを作る時には、表に出ない裏設定もある。

 小説に登場する全てのキャラクターに細かい設定をすることは難しいが、主要登場人物に関しては、細かい行動・性格の設定をしておくのが普通だ。中にはきちんと履歴書を作る作家もいるそうだ。私はそこまでやらないが……いずれにせよ、裏設定をすることで、人物造形が薄っぺらくなるのを防ぐことができる気がする。特有の考え方や行動の背景には、過去のこんな事情が関わっていた――という感じだ。実際にはそういう事情は書かずに、作家の頭の中で転がしているだけ、ということなのだが。

 そういう「背景」を表に出さなければならないこともあるのだが、どう描いていくかは難しい。ストーリーの流れを阻害しないためには、できるだけシンプルに書く方がいいのだが、そうすると単なる「説明」になってしまって味気なくなる。

 過去の出来事と現在のリアルタイムの展開を交互に書いていく手もあるが、これだとスピード感が落ちるし、シリーズものにはそぐわない。

 そこで「外伝」である。「アナザーフェイス」でも使った手だが、本編が始まる前の若い時代を描いていくことで、「今」の主人公がどのように形作られたかが分かる、という手法だ。

 岩倉に関してもこの手法を使い、自分の中にあった裏設定をほぼ出した。かつて捜査一課の中でも強行班の他に火災班にいたこと、「アナザーフェイス」の大友鉄が実里を紹介した詳しい経緯……まだ二十代、警察官として駆け出しの岩倉が、五十代でこういう人間になるまでに何があったか、さまざまな出来事を描いてきたつもりである。これで少しでも、岩倉のベースが分かってもらえれば、作者冥利に尽きる。というわけで、ヤング(後半は若くもないが)岩倉の活躍をお楽しみ下さい。

 とはいえ、一つだけまだ書いていないことがある。結婚当初から何かとぎくしゃくしていて、やがて別居・離婚に至る妻との出会いである。

 正直に言おう。実はこの件、裏設定でもまったく考えていなかった。後づけで理由はいくらでも作れるだろうが、今のところは謎のままにしておこうと思う。全部明らかにならなくても、それはそれでいいのではないだろうか?

 どうしてこの設定を考えていなかったか?

 単に忘れていただけです。


(「あとがき」より)

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