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「自分という人間にそこまで自信を 持てない」ジェーン・スーに語った “肩書きなし”の田中みな実とは

「自分という人間にそこまで自信を 持てない」ジェーン・スーに語った “肩書きなし”の田中みな実とは

文=ジェーン・スー
イラスト=那須慶子

田中みな実インタビュー〈前篇〉

出典 : #CREA
ジャンル : #ノンフィクション

「素敵なあの人は、どうやってここまでたどり着いたんだろう?」

 ジェーン・スーさんのそんな問いかけから始まった『週刊文春WOMAN』のインタビュー連載が、この度『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』として書籍化されました。

 本書の刊行を記念して、スーさんがお話を聞いた13人の女性の中から、田中みな実さんのパートを特別に公開いたします。


嫌いな女子アナ殿堂入りを目指すの真意

 田中みな実。人気者の宿命なのか、とかく一面的に語られがちな人だ。TBS時代には「ぶりっ子」と呼ばれ、恋人と別れ落ち込めば「闇キャラ」と揶揄された。30歳を過ぎたら「結婚できない」レッテルを貼られ、ひたすらわかりやすい、極端なキャラクターを背負わされてきた。女優、タレントとマルチに活動する現在は、ストイックな「美のカリスマ」、または「あざとい」恋愛テクニックの持ち主として、多くの女性の心を捉えて離さない。人は本来、もっと複雑な存在であるはずなのに。

「テレビが人にキャラクターをつけたがるのもありますが、そういうカテゴライズって、一般社会で私たちも無意識のうちにやっていること。エンタメ業界は、それが突出してわかりやすい人が求められるんだと思います」

 記号で語られがちな自身について尋ねると、彼女は柔らかい微笑みを湛え、こともなげに言った。

 ならば私は、美容テクニックも恋愛事情も、彼女に尋ねないことにしよう。カテゴリーに収まった答えなど、欲しくないのだから。

 彼女のキャリアは、嫌われることから花開いた。週刊文春の「嫌いな女子アナ」ランキングでは、2012年春にいきなり圏外から1位に躍り出たほどだった。とは言え、得票数はたった378票。それだけで、何十万人がそう判断しているような印象を与えられてしまう不条理。しかし、2年連続「嫌いな女子アナ」1位に選ばれた26歳の彼女は、週刊文春からコメントを求められ、こう答えた。

「アナウンス部に連絡があったんです。回答しなくていいと上司には言われたけど、『いえ、殿堂入りを目指します』とお答えくださいとお願いして、実際そのように掲載されました」

 田中は「傷ついてはいたんだろうと思う」と、当時を振り返る。しかし、担当していた『サンデージャポン』という番組の特性もあり、テリー伊藤や西川史子、爆笑問題の太田光などの出演者は、これを面白がってくれた。

「決して胸を張れることではないけれど、番組で話題になるならば、いいかなって。身内も恥ずかしい思いをしたと思いますが、当時は逆転してやろうという気持ちもありませんでした」

 私が初めて田中みな実と会った場は、TBSアナウンスセンターだった。彼女のキャッチコピーが「みんなのみな実」だった時代。

 会うなり、彼女はメディアで目にする完璧な田中みな実として私に迫ってきた。本当の私は違うんですと弁明する素振りなど、まったくない。「スーさん!」と嬌声を上げ、彼女が自腹で買った烏龍茶のペットボトルを、栓をゆるめてから私に渡した。世間が求める姿に、一分の隙もなく腹が据わっている。私は気圧された。その覚悟は、どこから生まれたのか。

 田中は自身をこう評する。

「自分から積極的に発信したい情報は、ひとつもないんです。だからSNSもやらない。自分という人間にそこまで自信を持てないし、自己評価は低めです」

 60万部を突破した初の写真集『Sincerely yours...』発売時、プロモーションの一環として、田中は期間限定のインスタグラムアカウントを開設した。フォロワーは瞬時に200万人を超えたが、期限が来ると、彼女は予定通りアカウントを閉じた。

「毎日更新して、新しい情報を提供しなきゃと思ってしまって。みんなが欲しいのはこういうので、どういうふうに撮ったらわかりやすいかなと、そればかり。SNSのために生きることになってしまうから、やめようと思いました」

 なんとも勿体無い話だが、迷いはなかった。

好きなものがない。わからない

 いまほどの認知が広がる前、田中は長期休暇にひとり旅をすることが多かった。沖縄の離島には、ほとんど行ったことがある。

「ひとり旅が好きなわけではないんです。たとえば5日間のお休みがあったら、どこかへ行かなきゃいけないという気持ちになる。あとから尋ねられたときに、どこどこに行って、なにをしたと答えられないといけない気がしちゃって。誰かと行きたくても休みが合わないし、学生時代からの友人とはライフステージが変わってくる。人といると、どこかで気を遣っちゃうところもあって。子どものころから、サービス精神が旺盛なんだと思います」

 祖母の口癖は「みな実は本当に気が利くね」だった。

「私はおばあちゃん子でした。祖母がぬか床をかき混ぜていたら『私もやる』と一緒に混ぜて。お手伝いが大好きだったんです。祖母に褒められるのが嬉しくて、私はお手伝いが得意なんだと思い込んでました。『気が利くね』と言われ続けたことで、そういう人間になったのかもしれない」

 常に誰かのために動いていると田中が言い表す母は、専業主婦だ。父親の仕事の関係で、田中は小学校時代を海外で過ごした。

「ロンドンに住んでいたころ、母はよくスコーンを焼いてくれました。だから、ここのスコーンはこうだったよって、あとで母に話せるってちょっと思って」

 インタビューの途中で注文したスコーンを口へ運びながら、田中が言う。食べたかったわけではないのだ。最初にオーダーしたフルーツプレートは? 常に果物を持ち歩いているし、さすがに好物だろう。

「フルーツも好きで食べているわけではないというか、いまのところ体の調子も良くて。だから密着番組で好きな食べ物を尋ねられたときも、すごく考えてしまったんです。生魚は体に合っていると言われたから積極的に食べてますけど、好きなわけではない。かといって、好きなものを我慢しているわけでもないんです。好きなものがない。わからない」

 田中は、チョコレート好きとしても知られている。

「チョコレートも、どこかで、人よりも詳しいなにかがあったほうがいいという気持ちがあるかな。純粋に好き、誰とも共有しなくてもいいというものはないです」

 世に発信したい欲望はないが、他者の期待を察知する能力には長けており、それに応えたい気持ちもある。サービス精神は旺盛だが、自分の好きなものはわからない。そんなアンビバレントを抱える田中が、長く続けている仕事がラジオだ。

「終わると言われない限りは続ける、という美学でしょうか」

 テレビの仕事よりホッとするとか、リスナーとの絆とか、ありきたりな答えを期待した私が浅はかだった。

 取り付く島もないようにも思えるが、相手の望みに応える能力が高い彼女の口からこういう言葉が出てくるのは、真摯に向き合ってくれている証でもある。

「テレビのバラエティ番組は、終わらない限り続くじゃないですか。最近、ドラマや映画に携わるようになり、終わりが決まっている仕事に対する取り組み方と、続けていく意識の中でやる仕事、人間関係の築き方の違いを考えています。向き合い方が全然違うんです」

 彼女の解説はこうだ。

「続けていくものは、時間をかけてお互いを知り、ジワジワと人間関係を築き上げる。続ければ続けるほど、定期的に会う人たちって、すごく愛おしくなるんです」

 今年(2021年)の3月、田中はTBS社員時代から続けてきた『ジョブチューン』と『有吉ジャポン』から離れることになった。

「居場所がなくなっちゃったなと。ドラマや映画って、3カ月かけてやるものもあれば、1話ゲストで呼んでいただくものもある。ゲストだと撮影は数日だけで、その間にチームに溶け込まなきゃいけない。既に人間関係が出来上がっている中に、ポンッと入っていく大変さがあります。そこで、まだ慣れない芝居をする。居心地がいいか悪いかで言ったら、あまりよくはないですね」

 幼少期に海外生活を経験した田中は、知らない人の輪のなかに入っていく術を熟知しているはずだが。

「知ってるけど、得意分野じゃない。アナウンサーは専門職だと思っているので、ポンッと入って仕事をして、求められたことに応えて帰っていく爽快感があります。でも、芝居はまだ手探りでやっているし、呼ばれた理由もわからない。なにを求められているんだろうと、ちょっとした不安を抱えながら現場に行きます」

 提供する、呼ばれる、求められる。田中が自身について語るとき、そこには必ず他者の存在がある。自分はなにを約束できるのか。その答えが田中の行動や気持ちをガイドする。彼女にとって、世間のニーズは羅針盤だ。

「いろんなやり方があるんでしょうけど、いまのところ、私はお芝居の現場に入って、まず台本に書いてあることを自分なりの解釈でやってみます。そこから監督に修正してもらう。そうやって作り上げていく。でも、全体が把握できていないから、怖いんですよね」

 田中がTBSを退社し、フリーアナウンサーになったのは2014年のことだ。

「退社するとき、先輩アナウンサーの小林豊さんから『フリーアナウンサーという仕事はないから、あなたはもう田中みな実一本で勝負できる人になってください。肩書きなしでやっていけるように頑張ってください』と言われました。退社したらブラッシュアップがのぞめないから、技術職を名乗るのは心苦しいなと。だから、フリーアナウンサーという肩書きも、いまはあまりしっくりきていなくて。かといって、女優という肩書きも、まだ大変おこがましい。だから肩書きなしで、『田中みな実』にしてくださいと常々お願いしています」

スタッフとの対話がそのまま週刊誌に

 独立後、すぐさま順風満帆だったわけではない。初めてメインMCの仕事を任された帯番組では、スタッフとの意思疎通に苦労した。

「そんな度量はないと思っていたけれど、念願の帯番組に起用してもらえたからには、
やらなきゃいけない。情報番組なので、新しいもの、有益なものじゃないと見てもらえないから。一人でカリカリ、大騒ぎしていました」

 スタッフとの対話がそのまま週刊誌に書かれたこともあった。

「当時の自分を振り返っても、若かったから仕方ないとは思わないんです。でも、面白くなかった人もいたでしょう。ぶりっ子をやってくれるだろうと思ったらやらないし、求めるものは多いけれど、実力はついてきているのかと。私にも問題があったと思います。小娘がピーピー言ってるなと思われてるのも感じました。対等に見てもらえなかったのが、すごく悲しかった。あれは経験になりました」

 観てくれている人などいるのかと投げ出したくなったとき、祖父の存在が田中を支えた。

「祖父母の家に行ったら、チラシかカレンダーの裏に『何月何日、何曜日、みな実、ポニーテール、ピンクの服、テーマ、浅草』とあって。祖父が毎日観てくれていたんです。実は、祖父が咽頭がんを患って声を失ったときに、私がアナウンサーに内定したんです。祖父の代わりに喋っているとは思いませんが、不思議な運命だなと思ったりはします」

 以来、腐りそうになったら祖父のメモを思い出し、自身を奮い立たせてきた。

 田中の「求められたい」を言い換えるならば、「誰かの役に立ちたい」となるだろう。六年ほど連載エッセイを続けている女性ファッション誌『GINGER』では、昨年(2020年)の緊急事態宣言の際に独自付録の制作を編集部に提案した。

「中国に生産を発注しているケースもあって、付録を作れなくなっちゃったという話が出て。じゃあなにか冊子を入れましょうと提案したんです。スタイリストさんの私物で撮影をして、私は文章を書き下ろすから付録にしましょうと」

 他者のためにできることが明確なとき、田中の推進力は極めて高い。

「役に立てればいいなと思ったのと、全員が初めて自粛期間を経験して、私もモヤモヤを感じていたから。思うことがあってもSNSはやっていないし、突発的に発信することへの恐怖もあったので」

 再び、後ろ向きなワードが彼女の口をついて出た。求められている理由がわからない不安、全体像が見えない怖さ、自分の言葉を曲解される恐怖。

「原稿は何度も推敲するんです。次の日の朝もう一回読み返してまるっと直すこともあるし、夜に見て書き換えたり、スマートフォンで見たり。いろんな環境で読み、再構築を繰り返して納得のいくものを出しています」

 連載を書籍にする予定はあるのかと尋ねると、

「もっとちゃんと自身に変化が訪れたとき、『いまだ』というタイミングが来るんだと思っています」

 と彼女は答えた。つまり、どんなに乞われても、出すか否かは自分で決めるということ。ともに作り上げることに大きな価値を見出す田中だが、自身の手綱を、他者の手に委ねることはしない。この辺りのバランス感覚も白眉と言える。

 チームワークを重んじる仕事への姿勢がつまびらかになると、一面的なキャラクター付けに不服を申し立てないわけが理解できる。求められた役割のまっとうによるチームへの貢献に、田中は充足を感じるのだろう。

 この態度は、彼女のキャリアを築く上で功を奏していると言える。というのも、彼女について下世話な憶測に基づいたと思しき記事を書き続ける週刊誌を読み漁ったところ、「ぶりっこアナ」「みんなのみな実」「ゆ~る~さ~な~い」「あざとい」「何が悪いの?」など、彼女を形容する端的な言葉で文章が締められていた記事が少なくなかったからだ。そもそも大衆誌とはそういうものではあるが、では他の女性アナウンサーで、顔を思い浮かべたと同時に決めフレーズが浮かんでくる面子がどれほどいるだろうか。これらのキャラクターはすべて、彼女とスタッフによって作られたもの。チームワークの集大成なのだ。

田中みな実(たなか・みなみ)

1986年、父の仕事の関係でニューヨークに生まれ、小学6年までロンドン、サンフランシスコなどを転々とする。青山学院大学卒業後、2009年にTBSにアナウンサーとして入社。『サンデージャポン』などで人気に。14年に退社。フリーアナウンサーとしてバラエティ番組のMCとして活躍。その後、更に活動の幅を広げ、19年に『絶対正義』でTVドラマ初出演。21年『ずっと独身でいるつもり?』で映画に初主演するなど俳優としても活躍中。

ジェーン・スー

1973年、東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THESUN』」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』『生きるとか死ぬとか父親とか』『ひとまず上出来』『おつかれ、今日の私。』、共著に『OVER THE SUN公式互助会本』など多数。

田中みな実さん出演のドラマ『あなたがしてくれなくても』が4月13日(木)よりスタート!

キャスト:奈緒、岩田剛典、田中みな実、さとうほなみ、武田玲奈、宇野祥平、MEGUMI、大塚寧々、永山瑛太 他
原作:ハルノ晴『あなたがしてくれなくても』(双葉社)
脚本:市川貴幸、おかざきさとこ、黒田 狭
音楽:菅野祐悟
プロデュース:三竿玲子
演出:西谷 弘
https://www.fujitv.co.jp/anataga_drama/

単行本
闘いの庭  咲く女 彼女がそこにいる理由
ジェーン・スー

定価:1,650円(税込)発売日:2023年03月24日

電子書籍
闘いの庭  咲く女 彼女がそこにいる理由
ジェーン・スー

発売日:2023年03月24日

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  • 『望月の烏』阿部智里・著

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