島田荘司が小説を書かなければ、わたしは“わたし”ではなく、そして“わたし”がいなければ、本書『盲剣楼奇譚』は存在していなかった――かもしれない。
人口わずか一五〇〇余の山村に、わたしは生まれた。インターネットのない時代、田舎の少年にとって、小説は、世界を覗き見る窓だった。
小学校の図書室で見つけた『黒猫・黄金虫』で推理小説を知り、〈少年探偵団〉〈アルセーヌ・ルパン〉に夢中になった。中学生になると同時に〈金田一少年の事件簿〉ブームが到来した矢先、これまた学校の図書室にあった、あかね書房版の『エジプト十字架の秘密』と、そして新本格の象徴だった辰巳四郎の装画に導かれるように購入した光文社文庫版の綾辻行人『殺人方程式 切断された死体の問題』の二冊によって、わたしは本格ミステリに開眼した。
島田作品との出逢いは、図書館にあった『出雲伝説7/8の殺人』だったと記憶している。実はわたしには『占星術殺人事件』『奇想、天を動かす』のみならず『斜め屋敷の犯罪』のトリックを読了前に知ってしまった苦い経験があるが、その欠落は『異邦の騎士』『暗闇坂の人喰いの木』『水晶のピラミッド』『眩暈(めまい)』『アトポス』といった傑作群が充たしてくれた。御手洗潔は間違いなく、わたしのヒーローだった。
そして、島田荘司は、ワールドクラスの文化人だった。
ロサンゼルス在住(当時)。スポーツカーを愛し、はてはパリ=ダカール・ラリーに帯同。武蔵野美術大学出身のイラストレーターでもあり、ミュージシャンとしてもポリドールよりソロ名義のアルバムをリリース。そんな異形の才能に少年が影響されないわけがなく、高校入学と同時に音楽活動に没頭、金沢美術工芸大学のデザイン科に進学したのは、むしろ当然だった。小説執筆にも何度も挑戦し、けれど挫折した。トリックは思いつくのに、物語にできなかったのだ。
世界金融危機とリーマンショックの渦中に就職し、一時は小説から離れたものの、二〇一三年、金沢市を中心に活動する読書会〈金沢ミステリ俱楽部〉入会前後からまた読書に耽溺するようになった。数年間の読書空白期間が作用したのか、学生の頃はあれほど願っても書けなかった物語が思い浮かぶようになり、二〇一四年、はじめて短篇ミステリを物した。この作品を金沢ミステリ俱楽部の会誌用原稿として提出したところ、編集担当者から「応募しては」の提案があり、掲載を中止、某賞に応募するもあえなく三次落選の憂き目にあったのだが、そこに吉報が舞いこむ。
島田荘司初の映画化作品『幻肢(げんし)』だ。
映画『幻肢』は、当時まだ珍しかったクラウドファンディングで宣伝配給費の一部を募集したが、その出資返礼のひとつに〈島田荘司×綾辻行人 特別対談への同席権〉があったのだ。人格形成に最大の影響を与えた小説家ふたりに一度に会える、と震える指でスマートフォンの画面をタップした。
なぜ震えたか。たぶんこう思ったのだ。窓の向こうの世界に触れられる、と。
いま思い返すと必死すぎて意味不明だが、その意味不明の必死さが、さらに意味不明の行動をさせる。
“あの短篇を持参しよう”
綾辻先生との対談中に「このなかに作家志望のかたはいらっしゃいますか」と島田先生が言うから挙手すると「どのような作品を書いていますか」と言うので「ここにあります」と答えたところ、休憩中に肩を叩かれ、振り返ると「君の作品を読ませておくれよ」と島田先生が笑っていた。終了後に控室に呼ばれ、気がつけば打ち上げの席にいて、その席で漏らした「このあとは映画のプロモーションで広島に行かねばならず大変に忙しい」の一言を舞台挨拶と聞き間違えて「金沢でも是非」と言ったら名刺をくれた。面識があった金沢のミニシアター〈シネモンド〉の支配人に聞き間違えたままの話をしたら大歓迎だと言うので、島田先生にお礼かたがたメールをしたら文藝春秋経由で話が進み、金沢ミステリ俱楽部の支援もあって、聞き間違いが実現してしまった。
だから映画『幻肢』で島田先生が舞台挨拶をしたのは東京と金沢だけだったりするのだが、意味不明はさらに続き、金沢でのメディア取材に同席することになった。取材中、加賀藩が舞台の大ヒット映画『武士の家計簿』が話題に出たので、ためしに「島田先生が金沢が舞台の作品を書き、北國新聞で連載、文藝春秋で単行本化、そのうえで映画化はどうでしょう」と言ってみたところ、これがまた実現に向けて動きだし――
もちろんすべては関係各位の水面下の尽力の賜物だが、本書の背後にはこんな顚末があったのである。
*
この『盲剣楼奇譚』は〈吉敷シリーズ〉二〇年振りの長篇ミステリだ。
一匹狼の刑事、吉敷竹史が主役の〈吉敷シリーズ〉は、天才にして奇人、御手洗潔が主役の〈御手洗シリーズ〉と並び立つ、島田荘司の二大看板だ。
ところが全国七紙に順次掲載された新聞連載版〈盲剣楼奇譚〉は、美剣士・山縣が主人公の剣豪活劇小説だったから、吉敷の活躍を期待した長年のファン、リアルタイムの新聞読者は驚倒した。
この新聞連載は、本書の挿話「疾風無双剣」に相当するが、特徴がふたつある。
ひとつは物語としての“結構”だ。
この剣豪譚は単体の物語として綺麗に完結していて――と書くと、挿話の完結は当然では、の疑義があろうが、これは島田作品においては異例なのである。最新作『ローズマリーのあまき香り』でも同様だが、島田長篇の挿話は、何の前触れもなく“突然の終焉”を迎えることが多い。
もうひとつの特徴は“分量”だ。
過去作品で最も挿話の比率が大きいのは「長い前奏」が約半分を占める『アトポス』だが、実は〈エリザベート・バートリ〉の挿話は「長い前奏」の半分ほどで、つまり作品全体においては1/4ほどである。しかし「疾風無双剣」は本書の2/3を占めていて、つまり挿話のほうがボリュームがあるという逆転現象が発生している。
分量で驚くべきは解決篇に相当する「金沢へ」も同様で、なんとこれは作品全体のたった5パーセント未満である。文庫上下巻で七〇〇ページ超の『アルカトラズ幻想』の解決篇はラスト五〇ページほどで、こちらは大胆にも解決の直前に新たな謎が登場するから誇張ぬきで卒倒しかけたが、本書においても単行本で読んだとき「あと二〇ページで本当に解決するのか」と本気で困惑をした。
この“解決篇の異常な短さ”は後述するとして、挿話の“長大化”と“物語としてのまとまりのよさ”は新聞連載ゆえだが、わたしはここに、本格ミステリが構造的に抱える欠陥への問題意識を見てしまう。
その欠陥とは“犯人のアイデンティティの剝奪”だ。
フーダニット、つまり、犯人の正体が主眼の謎になることが多い本格ミステリは、真相隠蔽のために犯人を無個性化せねばならず、この問題解決にはいくつか手段があるが、アガサ・クリスティは『ナイルに死す』で“事件以前”の群像劇に筆を割くことで、その構成員として犯人の個性を豊かに描いた。
本書は、このクリスティ・メソッドの類例と言える。もちろん、犯人と〈盲剣さま〉は別人だが、しかし、無辜の人々を護りたい、その想いは共通で、つまり、ひとつの正義を複数人に共有させたことに本書の眼目はあるのではないだろうか。
*
正体を隠蔽しつつ、犯人を登場させる方法のひとつに“変装”がある。
代表的なのは〈少年探偵団〉の怪人二十面相だが、一部の島田作品にも“怪人”が登場する。『異邦の騎士』のドッペルゲンガー、『水晶のピラミッド』のアヌビス神、『アトポス』の吸血鬼、『涙流れるままに』の首なし男、『透明人間の納屋』の透明人間、「UFO大通り」の宇宙人、『ゴーグル男の怪』のゴーグル男など、これら島田作品の怪人には“唯一無二のある特徴”があるのだが、さきに別の論点に触れておきたい。
それは、島田荘司の筆力についてだ。
島田作品の小説としての面白さは、その圧倒的なストーリーテリングにある。
あらゆる物語に共通する普遍的な駆動力。それは“欲求”だ。三大欲求とはつまるところ生存欲だが、形而上的欲求で最も強力なものはおそらく“執着”であるはずで、考えてみれば島田作品の登場人物はまず例外なく何かに強烈に執着していて、ゆえに喜怒哀楽が激しく、だから島田荘司の物語は猛烈にドライブするのである。
この執着は実はミステリとしての要素にも大きく貢献していて、ときに荒唐無稽な島田作品の真相の説得力に有無を言わさぬ迫力があるのは、犯人の執着が、トリックや犯罪計画の瑕瑾(かきん)もろとも読者を呑みこんでしまうからだ。犯人の鬼気迫る執着の前にあっては、第三者視点の客観的整合性やトリックのコストパフォーマンスなど些事なのである。
初期作品、パズラー色の強い『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』「数字錠」「ある騎士の物語」などにおいてさえ、犯人の心情を丁寧に描いていることが象徴するように、
“心ある人間として犯人を描きたい”
という首尾一貫した執着が、島田荘司には明確に存在する。
これは連城三紀彦も同様だが、島田荘司の筆力は、しばしば“豪腕”の一言でさしたる説明や分析もされずに済まされてしまうが、その正体とは、人間の欲求のなかでも最も強烈なものである執着を描くことに対する、作者本人の執着なのだ。
“犯人のアイデンティティと怪人としての容姿が不可分である”
これこそが、島田作品の怪人における唯一無二の特徴だ。
ほとんどの変装には恣意性がある。正体を隠すことができれば、外見はなんであってもよいのだから。しかし、島田作品の怪人には、その容姿でなければならないその人物固有の切実な理由が存在する。
つまり、島田作品の怪人とは、犯人のアイデンティティを描くための“装置”なのだ。
島田作品の解決篇が異常なまでに短いのは、真相をたった一言で説明できるためだ。
では、何故、そのシンプルな真相を我々は看破できないのか――
それは“トリヴィア”だからだ。
トリヴィアとは、一般的には“雑学的な事柄や豆知識”だが、本稿では“特殊知識”の意味で使用させてほしい。
島田作品における最たる例として、長篇は『ロシア幽霊軍艦事件』、短篇は「糸ノコとジグザグ」を挙げておくが、そもそも『占星術殺人事件』のメイントリックが実在した詐欺事件のそれを別の物品に応用したものだったように、島田荘司のトリック発想の根幹には、トリヴィアへの指向性がある。
ある本格作家志望のマジシャンは、ぼくにこのように言った。マジックは本格ではない、精神はホラーに近いものです――。
エイドリアン・マッキンティ『アイル・ビー・ゴーン』島田荘司解説より
右記引用中の“マジシャン”とは実はわたしなのだが、観客におけるマジックの価値とはトリックではなく、そのトリックによって作られる不思議にある。
マジックやホラーと異なり、ミステリには解決篇が存在するが、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」の真相もまたトリヴィアだと考えるならば、“トリヴィアによる新たなる謎の創出”こそが、本格ミステリの根源的価値だと言える。
本書は、特殊知識(トリヴィア)による新たなる謎としての怪人(ファントム)を創出し、のみならず、この〈トリヴィアル・ファントム〉を心ある人間として描くために挿話を極限まで肥大化させ、そして、たった一言で説明できる真相によってもまた犯人の執着とも呼ぶべき憐憫と慈愛を描いた、どこまでも島田荘司らしい作品なのである。
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