本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
水牛のウンコを魚に食べさせ、その魚を住民が…イラクの数千年変わらない“秘境湿地帯”に最先端のSDGsを見た!

水牛のウンコを魚に食べさせ、その魚を住民が…イラクの数千年変わらない“秘境湿地帯”に最先端のSDGsを見た!

高野 秀行,山田 高司

高野秀行✕山田高司 対談

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

 ティグリス=ユーフラテス川の合流地点に広がる謎の巨大湿地帯に挑んだ『イラク水滸伝』が話題のノンフィクション作家・高野秀行さんと、旅の同行者にしてレジェンド探検家の山田高司さんが語り合った特別対談。

高野秀行さん(左)と山田高司さん(右) ©細田忠

◆◆◆

“怪獣ムベンベ”を探しにコンゴへ行っていた高野秀行

高野 今日は『イラク水滸伝』の旅をともにした山田隊長と、旅路を振り返って裏話をしていきたいと思います。山田隊長というのは、私だけでなく、多くの人が敬意を込めて呼んでいる愛称で、レジェンド探検家にして日本の環境活動家の草分け的な存在です。

 僕が山田隊長に最初に出会ったのはもう30年以上前のことで、隊長が「緑のサヘル」という環境NGO団体の現場責任者をしていた頃でした。

山田 うん、1991年だね。チャドで植林活動を始めるときに、チャド政府に出す公式の申請書が必要になったんですね。自分はフランス語を話したり読んだりはできるけど、書くのは難しかったから、友人に「フランス語の出来る奴を連れてきてよ」って頼んだら、来てくれたのが高野だった(笑)。

湿地帯をゆく山田隊長(手前)と高野秀行さん(左奥) ©高野秀行

高野 僕はその前に、コンゴに謎の怪獣ムベンベを探しに行っていたんですね。コンゴは公用語がフランス語で、僕は政府への許可申請みたいな書類を書くのに慣れていたから、すらすらと翻訳できた。そのお礼に飲みに連れて行ってくれたのが、隊長との最初の接点でした。

山田 そこから何度か手伝ってもらったんだけど、当時は「高野、暇か?」って電話するといつも暇で、晩飯と酒をつければすぐフランス語に訳してくれたよね。

高野 その後、隊長は97年にご自分で四万十・ナイルの会というNGOを立ち上げるんですね。ナイル川沿いで環境活動している地元のNGOを支援する団体を。

 そこで現地のどのNGOを支援したらいいのか視察に行かないとわからないから、4カ月かけて広大なナイル川流域を調査するためのパートナーが必要になった。ある程度アフリカを知っていて、英語とフランス語ができて、4カ月時間が取れて、しかもノーギャラで受けてくれる人が。普通そんな奴いるわけないですよね!?

山田 それがいた! 君だった(笑)。

麻薬地帯に行ったヤバい本を出版社に持ち込んだら…

高野 実は隊長に声がけしてもらったのは、僕にとってもすごく有難いタイミングだったんです。あの頃、精神的にも経済的にもどん底だったから。ミャンマーのワ州でアヘンの取材をしてきた後、原稿を書いて出版社に持ち込んでも全く相手にされず、どこの馬の骨かもわからないフリーライターが麻薬地帯に行ったヤバイ本なんか出せないと門前払い。「君まだ若いのに、こんなことしてちゃ駄目だよ」と説教されたりして、30過ぎて無職の絶望感に浸っていた。

 タダでアフリカに行けて、その間、飲み食いできて泊るところもある。ありがたい!と思って同行したんですね。

山田 今ならありえない話だろうけど、4カ月で、ルワンダ、ケニア、タンザニア、エチオピア、スーダンを一緒に回ってくれたよね。

高野 アフリカ以外にも、隊長は「世界中を川で結ぶ」ことをライフワークにかかげて世界中の川を巡っていて、非常に早い段階から環境保全を訴えて植林活動をしていた。隊長がよく言っていたのが「持続可能な成長」。当時の日本ではまだ誰もそんなことを言ってなかった。

山田 川の流域から陸を見ると、森林破壊や砂漠化の問題が最前線でわかるんですよ。

高野 そんな隊長といずれナイル川を舟で旅しようと約束してたんですね。僕はずっと隊長が各国で川下りの冒険をしてきた話を聞いてたんで、一緒に行くのが夢だった。「いつかやろう」と言いつつ、なかなか機会と時間が合わなくて、話が遠ざかっていたんですよね。

 時を経て2017年。たまたま僕がイラクに巨大湿地帯があるのを新聞記事で読んで、すでに失われたはずの湿地帯が復活しているのを知って、絶対に行こうと決めました。ただ、やっぱり1人で行くのは不安だからパートナーが欲しい。辺境に強くて危険地帯も良く知っていて、カメラの撮影もできて自然の生態に強い人。そんな人いるわけないだろうと思ったら……。

©細田忠

山田 ここにいたわけだ(笑)。20年来の舟旅の約束を果たさにゃいかん、4カ月タダ働きさせたお礼をいつかしようと思ってね。それが蓋を開けたら、足かけ4年も縛られた。

高野 本当に隊長には頭が上がりません。一番最初に隊長のところに相談に行って、イラクの湿地帯アフワールの動画を見せたら、「おお、いい舟やな。いい舟大工がおるんやなぁ」と言うので、ビックリしたのを覚えています。

山田 まあ舟があれば、普通舟大工がいるものだから。かつて四万十には村ごとに舟を作れる人がいたから経験的に分かるんですよ。自分も2回くらい作ったことがあるし。

高野 そんな人なかなかいない(笑)。舟があれば地元の人たちに警戒されずに湿地帯を巡れるんじゃないかと考えて、僕たちはイラクに行って最初に、伝統的な舟タラーデを作れる舟大工を探したんですね。そしたら代々、マンダ教徒が舟大工をやっているという。非常に不思議な人々でしたよね、マンダ教徒たちは。

舟大工に頼んでタラーデを作ってもらう。彼らはムスリムだが、祖先がマンダ教徒に舟造りを習ったという。 ©高野秀行

山田 うん、実に変わっていた。マンダ教の人たちはあたりがとてもソフトで、表情も柔らかい感じでしたね。

怒ったフセインが反体制勢力に行なったこと

高野 2000年近く湿地帯に隠れてひっそりと暮らしてきたマンダ教徒は、古代の新興宗教ともいうべき独自の世界観をもっていて、古くは死海文書に出てくる謎の宗教集団がそれとも言われています。イラクでイスラムが厳格化する過程で弾圧を受けて、もともとは10万人近くいたのにいまや国内に数千人しか残っていない。そんな被差別民のマイノリティは土地や家畜を持てないから職能に秀でていることが多くて、まさに舟大工はマンダ教徒の職業だったわけですね。

山田 思わぬ方向に転がっていった舟づくりの顛末は本に譲るとして、実際湿地帯をめぐってみると、東部湿地帯は鳥がたくさんいて植生が豊かで、実に興味深かったね。

©細田忠

高野 そうでした。ティグリス=ユーフラテス川にはさまれた中央湿地帯とユーフラテス川より下の南部湿地帯は反体制勢力の牙城で軍隊が入っていけないエリアだったので、怒ったフセインが水を堰き止めて壊滅状態に追い込んでいるんですね。

 でも東部湿地帯は4割くらいイラン側なので、水を止めきれなかったから継続性があって、ペリカンの大群もいた。一説によるとイラン・イラク戦争の激戦地で沢山の人が亡くなっているのであまり人が住みたがらない。だから鳥の天国になっているのかも知れない。中央湿地帯は水牛の天国で、遊動民マアダンの人々が沢山住んでいるのとは対照的でした。

 世界各地の湿地帯を知っている隊長からみて、アフワールの特徴ってなんですか?

山田 やっぱりまずこの巨大さだよね。かつては四国がすっぽり入るくらいのスケールだったし、関東平野の7割ほどだったとも言われている。世界的に見ても稀少だと思う。

 それともう一つ、人類最古の文明が生まれた場所がすぐ近くにありながら、湿地帯では古代シュメール人とほとんど変わらない生活をしている人たちが脈々と生き延びてきたこと。文明の浮き沈みに左右されず、水牛とともに生きるマアダンの人々は浮島に葦でつくった家に住み、数千年変わらない生活をしている。「この人らこそ、本物のSDGsだ」と思ったね。あの自然がある限り、彼らのライフスタイルは永遠に続けられるだろうから。

葦でつくった浮島 ©高野秀行

シュメール文明を見て実感した都市文明の脆弱さ

高野 辺境は文明から遠く隔たっているのがほとんどです。でも、マアダンの人々は、町のかなり近い所に住んでいて、魚の網や刃物を入手できるし、水牛の乳でつくった乳製品を売ったりもする。でも文明側の都合――徴兵や徴税のような面倒なことがあると去っていって、つかず離れずの生活をしているのは、非常に興味深かったですね。

 現在の湿地民は、4500年前のシュメール文明の石板のレリーフに描かれているのと全く同じような葦の家に住んでいる。僕らが舟大工に依頼して作ったタラーデの形も、やはり4000年以上前の遺跡から出てきた舟の模型とそっくり。文明の栄枯盛衰からは切り離されたところで、シュメールの生活文化を温存しているのは、「持続可能な社会」の生きた証ですね。

山田 目に見える景色の中で、生活が完結できることの強さ。仮に周りの町がなくなっても、彼らは最後まで生きていけるだろうね。水や食糧のようなライフラインは全部揃っているし。

高野 コロナ禍で、都市文明の脆弱さを僕らは実感したわけです。密集、密接、密閉の三密は都市の条件だし、家畜と人間が至近で暮らし、人同士も密集しているところに感染症は流行する。さらに都市は災害にも弱い。とくにイラク南部は高低差が少ないので、洪水が発生すると都市部は住居も農地も駄目になるわけですが、湿地民のマアダンは水牛たちと一緒にボートで移動すればいいだけで、生活に支障がない。自然災害に圧倒的に強いんですね。

湿地帯の水牛たち ©高野秀行

山田 マアダンの人々は、本物の循環共生型の社会をつくり出している。90年代以降、世界中でアグロフォレストリーといって持続可能な土地利用の仕方が見直されていったけれど、そのはるか以前から彼らはその知恵を持っていた。

 湿地帯に分散して暮らす彼らは水牛をたくさん飼っていますが、水牛のうんこの一部を燃料として使い、残りの大半は魚が食べるので漁場が非常に豊かになる。これを専門的には「パストピシキュリチュール」と言いますが、牧畜と漁業を組み合わせた理想的な循環が成立している。

 似たような光景をアフリカでも見たことがあって、川べりの遊牧民の飼う家畜のうんこで魚がたくさん育って、それを目当てに漁師たちが集まってくるような場所もありました。マアダンの人々はそれをひとつの民族でやっているのがすごい。

山田隊長のイラスト

「俺はもう殺されるんじゃないかと思ったよ!」

高野 本当にそうですよね。隊長はものすごく絵がうまくて、湿地民の生活文化や民俗誌的な記録を克明にイラストにしてくれたのには、随分助けられました。葦の家のつくりとか、浮島のつくり方とか写真で見ても読者はわからないんですね。でも隊長のイラストがあると非常にクリアに仕組みがわかる。

 現地では似顔絵師として大人気でしたよね。

山田 思えば、50人以上描いたよね。ほとんどの絵は現地であげてしまったけど(笑)。

高野 イラク社会では外国人が女性の顔写真を撮るのは絶対NGなので、似顔絵ってすごく貴重なんですよね。ただ、似顔絵だって保守的な家では歓迎されるものではなく、かなりヤバイ場面もありましたよね。

山田 そうそう。高野が湿地民の家でインタビューしているとき、お母さんが顔を覆っているヒジャーブをとって「描いてくれ」っていうの。岩のような顔をしたお父さんは憮然とするんだけど、お母さんが喜んでるからまあそこまでは良かった。ところがそこに年頃の娘さんがやってきてパッと素顔をさらして、「私も描いて」と。

高野 突然、お父さんの目が怒りに燃え上がって、「はぁん?」みたいな顔になった。

本当にヤバい!と思って…


山田 俺はもう殺されるんじゃないかと思ったよ!

高野 本当にヤバイと思って、僕が唐突にエレキ漁で痺れた魚みたいなコントをして、みんなの笑いをとった。まわりがゲラゲラ笑っているからお父さんもホストとして怒るに怒れなくて……。そうやってなんとか矛をおさめてもらったこともありましたね(笑)。

タラーデにのる山田隊長(左)と高野秀行さん(中央) ©高野秀行

山田 もうホント命がけだったよ。すごく美人な子で、彼女だけ描かないのもかわいそうだから頑張ったけど。

高野 まあこれは笑い話ですが、こうやって必死に二人で力をあわせて3度の現地取材を重ねられたのは、隊長とのタッグだったからこそ。僕だけでは実現できなかったすごく貴重な民俗誌的記録の詰まった一冊になりました。

 隊長が命がけで描いた似顔絵も『イラク水滸伝』には載っているので、ぜひみなさんに楽しんで頂けたらと思います。今日はありがとうございました。

山田 こちらこそ、ありがとうございました。

(くまざわ書店八王子店にて)

プロフィール

 

高野秀行(たかの・ひでゆき)

ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞等を受賞。他の著書に『辺境メシ』(文春文庫)、『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)などがある。

 

山田高司(やまだ・たかし)

探検家、環境活動家。1958年、高知県生まれ。東京農業大学在学中の1981年に南米大陸の3大河川をカヌーで縦断し、「青い地球一周河川行」計画をスタート。85年にアフリカに渡り、セネガル川、ニジェール川、ベヌエ川、シャリ川、ウバンギ川、コンゴ川の川旅を成し遂げる。1990年代後半から2000年代前半にかけて環境NGO「四万十・ナイルの会」を主宰。愛称は、山田隊長。

単行本
イラク水滸伝
高野秀行

定価:2,420円(税込)発売日:2023年07月26日

電子書籍
イラク水滸伝
高野秀行

発売日:2023年07月26日

プレゼント
  • 『俺たちの箱根駅伝 上』池井戸潤・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/4/30~2024/5/7
    賞品 『俺たちの箱根駅伝 上』池井戸潤・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

提携メディア

ページの先頭へ戻る