- 2023.11.09
- 文春オンライン
「本の内容と現実がリンクし始めて、少し怖かった」作家であることが職場でばれて…芥川賞作家の“気持ち悪くも面白い”追体験
「週刊文春」編集部
著者は語る 『うるさいこの音の全部』(高瀬隼子 著)
「いかにも私小説として読まれそうな作品ですよね。実際はそんな覚悟もなく書いたので、今になって焦っているんですが」
昨年「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞した高瀬隼子さん。それから1年を経て刊行された最新小説『うるさいこの音の全部』は、高瀬さんと似た境遇の小説家、早見有日(ゆうひ)が主人公。それも芥川賞を受賞したばかりという設定なのだからニヤリとしてしまう。収録された2つの中編のうち、表題作で描かれるのは作家デビューした有日が2作目の小説を書き上げるまでの顛末だ。有日は本名の長井朝陽(あさひ)としてゲームセンターで働いているが、小説を書いていることが職場にばれ、周囲との関係が変化し始める。
「打ち合わせの段階で、編集者の方には『作中作を書いてみたい』とだけ話していました。主人公の作家が書いた作中作を多くの人が読み、もらった様々な感想を小説に反映していく中で、八方美人な主人公は何を書けばいいのかわからなくなる……という展開を考えていたんですが、結果は全然違う話になりました」
実際の作品ではむしろ、現実の方がフィクションに侵食を受ける構図になったのだから面白い。職場の同僚が、まだ発表されていない小説に書いたエピソードをなぜか知っているなど、現実と虚構の境界が徐々にあいまいになっていく展開は非常にスリリングだ。
「有日の書いた作中作と、朝陽の生きる現実とが途中から奇妙に影響しあい出すのと同様に、この本の内容と高瀬隼子の現実も少しずつリンクし始めて、それが少し怖かったです。一番大きいのはこの表題作を書いた後に芥川賞を受賞し、実際に職場で作家をしているとばれたこと。小説に書いた内容を追体験する形になり、作中ではこう書いたけど実際の高瀬隼子はこう思うのか、と答え合わせすることになったのが気持ち悪くも面白かったですね(笑)」
もう1つの中編「明日、ここは静か」は、書き上げた2作目の小説で芥川賞を受賞した後のストーリー。取材を受ける機会が増えた有日は、インタビューでなぜか嘘ばかり口にするようになり、厄介なトラブルに巻き込まれてしまう。
「実際に今日みたいな取材の場で、インタビュアーの方が私の過去のインタビューを読んできてくださり、『この時はこんな風におっしゃっていましたが……』と話を始められることがあります。でも、特に芥川賞後はインタビューの機会が増え、どこで何を言ったのか自分では覚えてなくて(笑)。過去の発言が嘘にならないように今の自分が合わせるという変な状況が生まれるんです。有日は取材中に嘘のエピソードを話しますが、そんなことをしたら自分の首をしめるだけなので心配になりますね。私も日常では何気なく嘘をついてしまうタイプなのですが、さすがに仕事の場では嘘はついちゃだめだと意識して気を付けています」
早見有日と長井朝陽、2つの名前の間でせめぎあいが起こるのも本書の魅力のひとつ。高瀬さん自身もペンネームと公言しているが、本名と使い分ける場面はあるのだろうか。
「うーん。本名の私は偏った考えを持つ一個人でしかないのですが、高瀬隼子としては複数のキャラクターを書き分ける必要もあり、3歩くらい引いた場所から物事を見るようにしています。とはいえ書き始めると登場人物の偏った意見に没入してしまうのですが。偏りとか誤りのある人物を書いていきたいですね。そういう人しかこの世に存在しないと思っていますから」
たかせじゅんこ/1988年、愛媛県生まれ。作家。2019年、「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。22年、「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。著書に『水たまりで息をする』『いい子のあくび』などがある。
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