これは、誰の上にも等しく流れる〈時〉の物語だ。
畠中恵「まんまこと」シリーズも本書で第八作となる。ずっと引っ張ってきたあることに決着がつくという意味では、ひとつの区切りの巻と言っていいかもしれない。だが〈決着〉というのは決してそこで終わりという意味ではない。ひとつのことが決着すれば次の段階へ進む。その連続こそが人の歩む道のりなのだということを、このシリーズは思い出させてくれる。
ではこれまで物語にどのような決着があり、その後どうなって今があるのか。シリーズを振り返ってみよう。過去の展開を明かすことになるので、既刊を未読でいきなり本書を手に取られた方はご注意を。
舞台は江戸の神田。主人公は町名主の嫡男である高橋麻之助だ。
町名主というのは町政を司る役人のこと。町を統括するのは町奉行とその配下の与力らだが、武士である彼らの下に、三名の町年寄が町人から任命され、さらにその下に町ごとに実務を行う名主がおり、町の自治システムを支えていた。
町名主はそれぞれいくつかの町を担当(支配町)し、幕府からの御触れを伝達したり、行き倒れや捨て子の面倒をみたり、祭りの時には金子を集めたり、町民の公事(裁判)に付き添ったり、人別(戸籍)を管理したり――と、町内のあらゆることの世話役である。いわば事務職の公務員のようなもので、他業に就くことは許されない代わりに町から給料をもらっていた(吉原健一郎『江戸の町役人』吉川弘文館)。
そんな町名主の重要な仕事に、奉行所という幕府の警察組織が扱うほどではない内輪の揉め事の裁定がある。だから町名主の高橋家には、夫婦喧嘩から相続問題、迷子の犬探しに至るまで、常に厄介ごとが持ち込まれる。町名主である父の高橋宗右衛門から命じられ、麻之助がさまざまな難問珍問・厄介ごとに立ち向かう――というのがシリーズの骨子だ。
第一巻『まんまこと』で初登場したときの麻之助は二十二歳。評判のお気楽者だが、もちまえの洞察力で謎を解く様子が小気味いい。同じく町名主の跡取りであるモテ男の八木清十郎、謹厳実直で石頭の同心見習い・相馬吉五郎との幼馴染三人組で事に当たるのがいつものパターンだ。お気楽者の陰には叶わなかった過去の恋がちらりと匂わせられる。
この第一巻は、まだたいした責任もない跡取りたちがわちゃわちゃと活躍する捕物帳風味の連作だった。しかし二巻、三巻と進むにつれ、彼ら自身にいろいろな変化が訪れるのである。
二巻『こいしり』で麻之助は野崎寿ずと祝言をあげる。一巻でほのめかされた初恋を忘れたわけではないけれど、お寿ずを愛おしみ、似合いの夫婦になっていく様子が微笑ましい。だがこの巻では清十郎の父が亡くなり、清十郎は幼馴染三人組の中でいち早く「跡取り」から「町名主」への変化を余儀なくされる。
そして三巻。できれば未読の方はここからは読まないでいただきたいのだが、三巻『こいわすれ』では妊っていたお寿ずが死産の末に亡くなるのだ。主人公がお気楽者なことと、ほんわかほのぼのした作風のせいでうっかり見落としがちだが、主要人物が二巻・三巻で相次いで亡くなるというのはシリーズものにしてはかなりシビアな展開なのである。
それを受けての四巻『ときぐすり』は、親友たちの助けを得て、麻之助がお寿ずの死から少しずつ心を回復させる様子を描いている。元気そうに見えて、つい無意識にお寿ずに話しかけてしまう麻之助が痛々しい。
第五巻『まったなし』のメインイベントは清十郎の嫁取り。そして第六巻『ひとめぼれ』は許嫁のいる吉五郎に問題が持ち上がる。とくればもちろん麻之助にも再婚の話がやってくるわけで。多くの読者は第五巻で登場した料理屋の娘・お雪と結ばれるのだろうなと予想したはずだ。ところが第七巻『かわたれどき』で災禍がお雪を襲う。彼女は深川で台風の出水に巻き込まれ、命は助かったものの、ここ二~三年の記憶を失うのである。だから好意を抱いていた麻之助のことも忘れてしまう。だが麻之助は、そんなお雪に結婚を申し込むのだ。
そして本書『いわいごと』である。タイトルがこれで表紙が白無垢の女性(単行本)とくれば、ええ、そりゃもう、そういうことだと思うよね。思うよね? ――いや、まあ、これについては後述しよう。
毎回さまざまな事件に相対する麻之助・清十郎・吉五郎の三人だが、こうしてみると、それぞれ年齢を重ねる中で、いくつもの人生の区切りを経験しているのがおわかりだろう。妻を持つ。妻に先立たれる。清十郎は親を看取り町名主になり、妻を娶って子も生まれた。吉五郎は本書で「同心見習い」ではなくなり(では何になったのかは本編でどうぞ)、仕事の内容のみならず屋敷も変わる。彼らの性格は一巻から変わらないが、それでも事件に向き合うとき、過去の経験から学んださまざまなことが生きているのがわかる。これは三人の成長物語なのだ。
だが、私が冒頭で本書を「誰の上にも等しく流れる〈時〉の物語」と書いた理由はそれだけではない。
私が全編の中で最も好きなのは『ひとめぼれ』所収の「わかれみち」である。これはある事件を解決するため、三人組ではなく「大人たち」が動く話だ。札差の大倉屋、盛り場を統括する大親分の大貞、吉五郎の義父である同心の相馬小十郎、海千山千の高利貸し・丸三。他の話では、彼らは三人組のサポート役だ。時には麻之助がうまいこと大人たちを利用しているかのように描かれることすらある。
しかしこの「わかれみち」では大人四人が、まだ若い三人組と、大貞の息子の貞に「大人ならこう動く」というのを見せるのだ。覚えておけ、というかのごとく。いつかはこれをおまえたちがやるのだ、というかのごとく。その余裕。その経験値。そして格の違いを見せつけられた若者たちの背筋が伸びる。
この話を読んだとき、私はこのシリーズは時が巡るとはどういうことかを描いているのだと確信した。清十郎はすでに町名主であり子もいる。吉五郎のお役目も本書で変わった。そして麻之助は本書で無事に祝言をあげ、次巻『おやごころ』ではついに親となる。時の中で積み重なっていくものがあり、それが本人を成長させ、同時に人の助けになる。そしてそれは次代へと受け継がれる。
三人組と貞がいずれも二代目に設定されていた意味。歳の離れた丸三が三人組の「友」である意味。武士、札差、高利貸し、盛り場の親分、そしてもちろん町名主、さらには料理屋や大工や小間物屋、絵師、裕福な大店から長屋暮らしの棒手振りに至るまで、多くの人が登場する意味がここにある。
もうひとつ、「誰の上にも等しく流れる〈時〉の物語」と書いた理由がある。それは決して本書が麻之助のためだけにある物語ではない、ということだ。麻之助には忘れられない初恋の人がいたが、その人物は麻之助に思いを寄せながらもよんどころない事情で他の人に嫁いでいる。ところが二巻と三巻で、ふたりとも連れ合いをなくすのである。
これが麻之助の物語であれば、初恋の人と結ばれる運命だったとなってもおかしくない。しかし畠中恵はそうしなかった。なぜならそうしてしまえば、亡くなったお寿ずと、初恋の人の夫は、当て馬になってしまうからだ。初恋を貫く物語はそれはそれで感動的だが、一度切れた縁は戻らないという現実の上に新たな将来を築いていく、そして気づけば過去の恋は思い出になっているという描き方の、なんと誠実なことか。
いつしかお寿ずも思い出の箱に入るのかもしれない。それは初恋の人が入っている箱とは別の場所にあるはずだ。そんな箱を心の中に積み重ねて麻之助の今がある。いや、すべての登場人物の今がある。三人組だけでなく、この八巻までに畠中恵は多くの登場人物が心の中に抱えている箱を丁寧に紡いできたのだ。
麻之助の祝言の相手は誰なのか、どうか本編でお確かめいただきたい。江戸時代と現代の結婚に関する考え方の違いが最も色濃く出た展開と言っていい。本書はどの話も縁談や嫁取りをテーマにしているが、さまざまな身分の、さまざまな環境の人が、どのように連れ合いを見つけるか、じっくり味わっていただきたい。今では考えられないような結婚のシステムだが、「ここから始まる未来」を共に歩いていくふたり(たち)の幸せを願わずにはいられない一冊である。
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