『イラク水滸伝』が話題の高野秀行さんと、旅の同行者にして同書のイラストを描き下ろした探検家・山田高司さんが、コンビで第28回植村直己冒険賞を受賞した。仲間たちから“山田隊長”と称される川下り冒険界のレジェンドと、後輩の高野秀行さんが“今だから話せる”旅の裏話を語る抱腹絶倒対談!
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受賞第一報の電話は、詐欺かと思った
高野 受賞を知らせる第一報の電話、山田隊長は、詐欺だと思ったんですって?
山田 そう、ちょうど多摩の森を走っていたんだけど、何度目かの知らない番号の着信に古い友だちかな?と思って出たら、「植村直己冒険賞の候補にあがっています」という。賞金出すから振込先教えろという詐欺かと思ったの。でも、途中で古くからの友人で選考委員の関野吉晴さんが電話に出てきて、あっ本物だなと(笑)。
高野 それで騙すとしたら、特殊詐欺にも程がある! 僕も関野さんから電話がかかってきたんですが、「山田隊長とコンビで受賞が決まった」と聞いて、最初冗談かと思ったんですね。だって歴代、登山家を中心に山や極地の冒険をやっている人が選ばれるすごい賞で、山田隊長はとっくの昔に受賞していてもおかしくないけれど、僕のような物書きが受賞したら不自然だから。
山田 俺は「賞をもらうような冒険はしてないですよ」と断りかけたんだけど、ダブルでの話だったから高野に迷惑をかけたくないと思って、「高野が受けるならいいですよ」と伝えたんです。
高野 こちらは「山田がOKなんだから、お前も受けるだろ」みたいに言われたんですよ(笑)。それで、隊長が受けるならもう頂くしかないな、と。
山田 関野さん、策を弄したな(笑)。
高野 あと僕が聞いたのは、今年から選考基準が変わって、冒険行為だけでなく、その報告やそれまでの長年の実績も含めて総合的に評価することにしたという。僕が文章を書いて、隊長が克明なイラストを描いてくれた『イラク水滸伝』という本への評価も含めて、選考委員の方々が推してくれたのは素直に嬉しかったです。
植村直己の世界を股にかけた青春に憧れた
山田 やっぱり植村直己さんという名前は大きくてね、尊敬している17歳くらい上の先輩で、『青春を山に賭けて』を中学生くらいのときに読んで、とてもいいなと思った記憶があります。
高野 僕はその本を高校生のときに読んで、すごく感動しました。植村さんの中でも一番好きな本ですが、世界を股にかけた青春に強烈に憧れましたね。ちなみに、僕にとっての三大世界青春紀は、先日お亡くなりになった小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』と、藤原正彦さんの『若き数学者のアメリカ』。世界を舞台に、自分の好きなことをやるんだと日本を飛び出して、自力で頑張っていく生き方にすごく憧れて。山田隊長も大学在学中に世界に飛び出てますよね。
山田 当時の農大探検部は海外遠征に必ずいくのが普通でしたからね。その経験を活かしてJICAとか国際協力で現地で農業指導をできるような人材を育てるという流れがあった。俺は20期生なんだけど、ちょうど探検部の20周年記念にでかいことをやろうと、先輩の発案で、南米の三大河川であるオリノコ川、アマゾン川、ラプラタ川を舟でめぐったんです。当時はパンタナール湿原という、イラクの湿地帯アフワールよりでかい湿原もあった。
でも南米の川を縦断して先輩の計画内でゴールするのは嫌だったから、アンデスの6000メートル級の山を10登る、世界一周の川旅をするという計画を立てたのが81年のこと。
高野 すごいですね。山も完遂されたんですか?
山田 10のうち3つね(笑)。目標設定を最初から小さくすると面白くないし、10設定すると3割いける。最初から3割目指したら1割しか打てないものだから。
で、大学7年生のとき26歳でいよいよ自分の計画を実行して、世界中の川を巡る旅に出たんだけど、当時、中国の長江やソ連のオビ川、エニセイ川、アムール川は、川下りの許可のハードルが高く、入国自体厳しかったし、ほとんど誰も挑戦できていなかった。
「俺はアフリカからヨーロッパへ行く。ソ連も俺がなんとか制覇するから、中国はお前らでやれよ」なんて後輩に伝えて、足かけ5年アフリカとヨーロッパの川をめぐったわけです。
殺人蜂の大群に襲われて死にかけた体験
高野 その頃、コンゴの川で一度死にかけたんでしょう?
山田 そう、相棒と一緒にカヌーでコンゴ川を下っていたとき、突然殺人蜂の大群に襲われたことがあって。でかい木にスイカ大の巣が見えた瞬間に、その巣からもう漫画みたいに蜂がブワっと湧き上がって、あっという間に囲まれた。後輩に「水に飛び込め!」って叫んで俺も飛び込んだけど、とっくにすごい量を蜂に刺されていて、もう必死でカヌーを岸に寄せて、陸に這い上がった瞬間、上からも下からも吐いてそのまま気を失った。
24時間後に気が付いたんだけど、顔が倍ぐらいに腫れあがって、まるで大福餅の化け物。俺の相方は、もう山田は死んだと思ったみたい。
高野 近くに村とかなかったんですか?
山田 あるにはあったんだけど、地元の人も恐れる殺人蜂で、歯茎を刺されたら一発で死ぬとみんな怖がってましたよ。相方はいいやつでね、彼も同じくらい刺されたはずなのに「痛いな」くらいでわりと平気で、俺がもらしたパンツを綺麗にあらって、全身刺されていた針も全部抜いて看病してくれていました。
高野 本当に壮絶な体験ですね……。川下りをしていた5年間は一度も日本に帰らず?
山田 そう、各地で稼ぎながら旅していたから。帰国したのも、中国はお前らでやれって託した後輩が中国科学院と粘り強く交渉して「ついに長江の許可取れたんで帰ってきてください。一緒に行きましょう」というから。羊飼いをしながらニュージーランドで激流下りの訓練していたその後輩のおかげで、長江の川下りが実現しました。
怪獣ムベンベ探しのおかげで山田隊長と出会い……
高野 いい話ですね。僕が隊長に出会ったのは、その少しあとの1991年です。隊長が「緑のサヘル」という環境NGO団体の現場責任者をしていた頃で、チャドで植林活動を始めるにあたって公式の申請書が必要で「だれかフランス語の出来る奴を連れてきてよ」と友人づてに紹介されたのが最初でしたね。
僕はその前に、フランス語が公用語のコンゴに謎の怪獣ムベンベを探しに行っていたから、政府への許可申請みたいな書類を書くのに慣れていた。
山田 あの頃「高野、暇か?」って電話するといつも暇で、晩飯と酒をつければすぐフランス語に訳してくれたよね。
高野 その後、隊長は97年に、ナイル川沿いで環境活動している地元のNGOを支援する団体を立ち上げて、4カ月かけて広大なナイル川流域を調査するのに僕が同行しましたね。
山田 英語とフランス語ができて、4カ月暇で、しかもノーギャラで受けてくれる人なんて絶対いないだろうと思っていたら、高野がいた(笑)。ルワンダ、ケニア、タンザニア、エチオピア、スーダンを一緒に回ってくれて。
20年ごしの約束を果たしたイラクの旅
高野 山田隊長は、SDGsという言葉なんて誰も知らない当時から、「持続可能な成長」を掲げて環境保全を訴えて世界各地で植林活動などを展開していた。そして、いずれナイルの川を一緒にめぐろう、なんて約束もしましたよね。
ところがその後、隊長はあまりの激務がたたって、心身を壊してしまった。今だから言えますが、鬱がひどかった頃は僕が訪ねていっても寝床から起き上がれず、目もうつろで声すら出ないときもありましたね。そこで、僕がかなり強引に「北上川にいきましょう」って連れ出したら、もう水を得た魚のように顔が輝いているの。ああ、これが隊長本来の姿なのだから、この人を絶対に川に戻そうと心に誓った。
それがイラク湿地帯の旅につながったわけですが、再び一緒に川をめぐろうという約束を20年ごしにやっと果たせたわけです。
山田 かつて4カ月アフリカに同行してもらったし、イラク湿地帯は面白そうだったからOKしたんだけど、足かけ4年も付き合わされることになるとは思わなかったよ(笑)。
一番最初のイラクの旅は、当時まだテロの危険も多く、とにかく行くだけでも大変だったな。俺はまだ本調子でなかったし、山仕事をやっていたから腰の調子が悪かった。腰が痛いもんだから、特製のいいコルセットを買ってガチガチにロックしていたら、それがとんだ逆効果。現地でバクダッド出るときに、強烈な痛みが頭にまできてしまって。
いつも以上に「間違う力」を発揮してしまい…
高野 本当に気を失いそうなほどでしたよね! すごく寒い時期だったせいもあって辛そうでした。そんなイラクの舟旅の計画の顛末は本書に譲るとして、僕は隊長といると安心してしまうのか、「間違う力」をいつも以上に発揮してしまうんですよね……。
同じ探検部でも農大と僕のいた早稲田はカルチャーが全く違って、農大は綿密に計画をたてるけど、早稲田の方はもっと山っ気のあるいい加減な連中が集まっていて、探検の対象も、めちゃくちゃなところを好む傾向がある。
山田 ほんと高野は「間違う力」だらけで、一緒にチグリス川の川下りしていた時なんて、途中休憩を挟んで、「じゃ、行きますか」といったら、突然上流に向かって「川登り」し始めたこともあった。「おーい、どこに行くんや~?」って。
そもそも湿地帯の舟旅も計画そのものが間違ってたわけだし(笑)。
高野 随分と振り回しましたが、隊長はものすごく綿密に準備する方で、グーグルマップで、どこの村がどういう生活をしているとか、ここに激流があるとか、全部事前にチェックしてるんですね(笑)。
山田 グーグルマップって木の一本一本まで見れるし、ダムとか急流もかなり分かるんですよ。あまり調べると未知がなくなるとよく言われるけど、わかることが事前にわかれば安全に行けるし、そっから先がわかってこそ面白い。未知は現場にいくらだってあるのだから。
孫子の「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉通り、相手と己を知らなければ環境問題は解決できないし、戦争だって止められないわけだし。
高野 出た、山田ワールド! 振りがいつも唐突で、旅の途中でも「高野、覚えているか、さっきの葉っぱ?」みたいな感じで飛躍しているんだけど、次元の違うものの見方で、ハッとさせられるんですよね。今回の本でも、「人類の文明は、みな大河の中流域の乾燥地帯で生まれているんだ」という指摘に大きな気付きがありました。
考えてみれば、エジプト文明のナイル川も、メソポタミア文明のチグリス川も、インダス文明のインダス川もそうてす。砂漠って、実は農業に適している土地なんですよね。
自然を見るときは大きなつながりと時間軸のなかで捉えたい
山田 そう。病気も虫も少ないし、水さえあれば、決して土地は痩せてないから。農業で一番の大敵は虫と病気。それがないんだから、あとは灌漑で水さえ流れてくれば、これほど農業がやりやすいところはない。
高野 そういう視点って、いろんな本や資料を読み込んでも意外に書いてないんです。隊長は19世紀のナチュラリストのような存在で、やってることが博物学者に近いと思う。自然のことはなんでも興味を持って、それを記録して、他の人に見せる。フンボルトやダーウィンが、動物も植物も環境もトータルでわかっていたように。
山田 そんな大それたものじゃないんだけど、アメリカインディアンの言葉に、「7代先の子孫のことを思って今を生きろ」という言葉があって、土地はあくまで神様からの「借り物」という世界観。森でも川でも、自然を見るときは大きなつながりと時間軸のなかで捉えたいと常に思っています。
高野 隊長の言葉は旅の折々で、新しい視界が開ける契機を僕に与えてくれたんですね。コロナ禍をはさみつつ地図もない茫洋とした巨大湿地帯を奇跡的に探索できて、そこで住まう遊動民の生活実態を克明に記録できたのも、隊長とのコンビだったからこそだと思う。
隊長はもっと世に知られるべき存在だと僕は思っていて、この15年、本人からは「迷惑だ」って言われながら、「山田隊長を世に出す」プロジェクトを孤独に続けてきました(笑)。それがようやく実って、今回の受賞となったのがすごく嬉しい。
山田 そんなの、誰も頼んでないんだけどなぁ(笑)。
(第16回高野秀行オンラインLIVE「辺境チャンネル」より)
高野秀行(たかの・ひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞等を受賞。他の著書に『辺境メシ』(文春文庫)、『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)などがある。2024年、第28回植村直己冒険賞を山田高司氏とのコンビで受賞する。
山田高司(やまだ・たかし)
探検家、環境活動家。1958年、高知県生まれ。東京農業大学在学中の1981年に南米大陸の三大河川をカヌーで縦断し、「青い地球一周河川行」計画をスタート。85年にアフリカに渡り、セネガル川、ニジェール川、ベヌエ川、シャリ川、ウバンギ川、コンゴ川の川旅を成し遂げる。1990年代後半から2000年代前半にかけて環境NGO「緑のサヘル」に参加。その後、環境NGO「四万十・ナイルの会」を主宰。愛称は、山田隊長。公式HP https://yamada.aisa.ne.jp/
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