- 2024.04.25
- CREA
「30代で過去の自分を目指しても限界が決まるだけ」バレー柳田将洋が考える“キャリアの進化”
文=第二文芸編集部
写真=榎本麻美
ヘアメイク=k.e.y小池康友
協力=東京グレートベアーズ
柳田将洋×坪田侑也 #1
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
日本バレー界を代表主将としてけん引し、現在もプロ選手として高い実力と人気を兼ね備える柳田将洋選手。一方、中学3年生で新人賞を受賞し、現在は医学部に通いながら2冊目の『八秒で跳べ』を上梓した作家の坪田侑也さん。ふたりを繋ぐキーワードは「慶應」と「バレーボール」だ――。
坪田 ぼくは慶應の幼稚舎(小学校)出身なんですけど、中・高とバレーボールをやっていて、特に高校の時は大学とユニフォームが同じだったので、柳田さんの慶應大学時代の写真を見た時にすごく親近感を覚えて。代表の試合を観ていても、コートにいる柳田さんが、何か自分の先に繋がる想像ができる人だとわくわくしながら、ずっと応援してきました。
柳田 同じ大学といっても、坪田さんは医学部でしょう。ぼくはSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)ですから、サッカー部だったり野球部だったり、もちろんバレー部だったり、体育会の学生と一緒にいました。でも、慶應のバレー部は僕からすると、色んな考え方を持った人がいて、すごく面白かったです。
坪田 柳田さんの在学当時、慶應は関東大学リーグの1部にいましたか?
柳田 そうです。4年間ずっと1部で、2年生の時にインカレ(全日本学生選手権)で準優勝して、いい経験をさせてもらったんですけど、たとえば東海大学や日本体育大学のような強豪校の選手たちは、ずっとバレーボール一筋の集団で、それに対して慶應には「バレーもやってきたけれど、他にこれも……」みたいな人も多い。
僕は高校までバレーしかやってこなかった人間ですから、チーム内での交流によって視野の狭さや、こんな表現や考え方もあるんだと、気づきが沢山ありました。バレーが上手いとか下手ではなく、どうやったら強くなれるのかという、プロセスに色んな意見が出てきて、ほかの大学では出てこないようなアイディアも多かった気がします。
坪田 僕も慶應高校の同級生が今でもバレーを続けていて、アナリスト(データ戦略スタッフ)で頑張っていたりします。内部進学組もいれば、外部から受験で入ってきた子もいて、僕の高校時代は、スポーツ推薦枠で中学時代にジャパンだった子もいました。
二つ上のエースの先輩が、「大学でバレーもするけど、留学に行こうとも思っている」と話してくれたことがあって、勝つためにあんなにコートで動き回っている先輩が、将来のことをそんな風に考えているなんてすごく意外だったし、それも面白いと感じたのを思い出しました。
柳田 確かに若い世代は、色んな可能性があるから。僕はもう本当にバレー、バレーで。結局4年間、バレー以外のやりたいことも模索しながら過ごしたんですけど、どうしても行きつく先はバレーボールで。休んだらバレーをやりたくなるし、負けたら悔しいし、出来たら面白いし楽しい。
辞めようかな、続けようかなみたいな感じだったのが……
坪田 小学生の頃からバレーを続けていると思うんですが、バレーボールが楽しいという感覚はずっとあるんですか。
柳田 楽しいという感情でバレーができるようになったのは、高校くらいからでした。始めた頃は、厳しいし勝てない時期があって、中学時代までは結果も出ずに正直しんどかったです。バレーは身長がある程度ものをいう競技なので、身長が追い付いてきて、やれることの幅が1回ぐんと広がる。
僕の場合は自分で考えながら、これが通用するのか試行錯誤することで、ベースがぐんと広がったタイミングが高校時代です。それまでは辞めようかな、続けようかなみたいな感じだったのが、辞めずにここまでこられたのは、本当に運に恵まれたと思います。
坪田 高校時代を経て色んなことが出来る楽しさに気づき始めて、今もその感覚に変わりはないですか。
柳田 むしろ楽しさの種類は、確実にキャリアとともに広がってきています。昔はバレーをすることが楽しかったけど、今はバレーを通じて何か繋がりが増えたり、練習やトレーニングのプロセスが厳しい時でも、試合を楽しくするためにやっていると思える。僕にとってバレーは、ニアイコール人生みたいになっていて、バレーが楽しいから、自分の人生が楽しめるような状況に今ではなっていますね。
坪田 柳田選手にとってのバレーボールは、僕にとっては小説を書くことに行きつくような気がするんです。小学校2年生ぐらいから小説を書きはじめて、中学生の時に『探偵はぼっちじゃない』という前の作品でデビューして、今作の高校のバレー部を舞台にした『八秒で跳べ』は、5年ぶりの2作目になるんですけど……。
柳田 えっ!? 5年ってオリンピックの間より長いじゃないですか。
坪田 本当に長くかかって、完成した時は安堵しました。でも、それまで書いていて楽しくないと思うことの方が多くて、ずっと小説を書いていくつもりだったけど、この先どうなっていくのか不安も抱えていました。お話を聞いていて、何となくその先が見えたような気がして嬉しいです。
過去の自分を目指すだけでは、限界が決まってしまう
柳田 書いている時に詰まったら、どうしているんですか。
坪田 もう頭を抱えて、文字を打っては消して、それを1日中繰り返しても、1行も進まない日もあってとにかく辛い。でも時々、「これだ!」っていう文章や、展開を思いつくこともあって、今は確かに自分の中に小説を書く楽しさがあるし、かつてはこういう文章が書けたんだから、また同じような文章が書けるんじゃないかという思いもあって――そういう部分はバレーボールや、ほかのスポーツにも通じるような気がします。
『八秒で跳べ』の中でも、主人公が、過去の自分の良かったプレーをよりどころにしている場面を書いたんですが、そういう経験はありますか。
柳田 高校の時はあったような気がします。ただ20代後半、30代になってくると、同じプロセスを踏んだとしても、環境の変化だったり、肉体的な変化だったりで、過去と同じクオリティでやれるかどうかという問題が生まれます。たとえば、5年前のプレーがいちばんキャリアで良い時期だったと仮定して、プロセスを見直して、考え直して、ああだこうだ言っても、たぶん同じものにはならない。
むしろ、過去の自分を目指すのは制限がかかるだけで、選手としての限界が決まってしまうと僕は思っています。もっといいプレーをしたいから続けていて、キャリアを積んだ今だったら、もっと頭を使えばさらに上を目指せるかもしれない。それは分からないですけど、だからこそ、冒険みたいな感じでチャレンジができるわけであって。今までやっていたことにたどり着くことがゴールになったら、それは僕にとっては、キャリアが終わるイメージです。
坪田 どんどん過去を更新していって、今が自分のバレーボール人生の中で、いちばん輝く瞬間みたいな感じですか。
柳田 それを信じてやっています。だからこそ、僕の場合は間違いなく、同じプロセスを踏むことはないんです。過去の経験をもとに、もっと良くならないと、良くなる理由が生まれない。モチベーションとの戦いでもありますから。
坪田 なるほど。高校時代とは違って、自分の判断で辞めることも出来る世界だからこそ、常に先へ先へと考えていくことが、選手生命にも繋がるわけですね。
柳田将洋(やなぎだ・まさひろ)
1992年、東京生まれ。東洋高校2年時に主将として春高バレー優勝。慶應義塾大学在学時に全日本メンバーに登録。2015年、サントリーサンバーズ入団、17年、プロ選手としてドイツ移籍。18年から20年まで男子日本代表主将を務める。23年、杭州アジア大会でもB代表主将として銅メダル、東京グレートベアーズに入団。
坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年、東京生まれ。2018年、15歳の時に書いた『探偵はぼっちじゃない』で、第21回ボイルドエッグズ新人賞を当時史上最年少で受賞、翌年KADOKAWAより出版された。中学、高校時代はバレー部に所属。24年、高校のバレー部を舞台にした青春部活小説『八秒で跳べ』を上梓。現在、慶應義塾大学医学部生。
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