〈「ステージ4でも諦めない」国立大学の教授でさえも騙された…「がん“エセ医療”」の悪質すぎる“実態”とは〉から続く
有効性が立証されていない自由診療のがん治療を、末期がん患者に高額で提供する医者が存在する――ここでは、ジャーナリストの岩澤倫彦氏が日本医療の深い闇に迫った『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。
日本医科大学腫瘍内科の勝俣範之教授が“エセ医療”と闘う理由とは?(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
がん治療に携わる医師に聞くと、大半はエセ医療に強い憤りを抱いているが、公然と批判する人は極めて少ない。医療倫理の観点では許し難い行為であっても、現時点では違法ではないからだ。また、医療界の重鎮とも言うべき人たちが、エセ医療に関わるようになったことが影響している。がん医療のブランド病院や医科大を定年退職した医師たちが、エセ医療の関連施設に再就職しているのだ。
さらに、大学の医学部に寄付講座が設置され、エセ医療の関係者が「特任教授」などの肩書きを簡単に得ることが可能になった。いつの間にか日本の医療界にエセ医療が広がり、医師たちにとって、この問題に触れることはタブーになった。
だが、こうした医療界のタブーなど意に介さず、「エセ医療」を厳しく批判し、SNSも駆使して警鐘を鳴らす医師がいる。がん自由診療をめぐる裁判で証人になった勝俣教授だ。
「がん治療は信頼関係が大切」
手塚治虫の「ブラック・ジャック」のような外科医に憧れて、国立富山医科薬科大学(現・富山大学)に入学。医師免許を取得後は大学の医局には入らず、徳洲会病院で救急医療など臨床医として修業を積んだ。この90年代に担当した肺がん患者との出会いが、医者としての方向性を決めた。
「当時は、がんの告知をしないのが一般的でした。担当した肺がんの患者さんは、抗がん剤の辛い副作用で心が折れそうになるたびに、『本当はがんじゃないのか?』と聞いてくるんです。上司の医師が告知しない方針だったので、患者さんには『肺腫瘍です』とごまかしていました。
やがて、患者さんが抗がん剤に耐えられない状況が来たので、私の独断で肺がんであることを伝えました。すると患者さんは『本当のことを言ってくれて、ありがとう』と言って、抗がん剤治療を継続してくれたのです。がん治療は信頼関係が大切であることを、この患者さんは教えてくれました」
この経験から腫瘍内科医の道に進むことを決め、国立がんセンター中央病院で抗がん剤治療による薬物療法に約20年間従事した。
2011年に、日本医科大の武蔵小杉病院で、新たに腫瘍内科を立ち上げて現在に至る。EBM(科学的根拠に基づく医療)による、抗がん剤治療のガイドライン作成メンバーでもあり、がん医療の啓蒙活動や患者会にも積極的に参加している。
私(筆者)が初めて彼に会ったのは、2013年に埼玉で開かれたリレー・フォー・ライフの会場だった。これは、がん患者や家族を支援するチャリティー活動だが、勝俣教授はそこにアマチュアバンドのボーカルとして出演していたのである。ギターを抱えた姿は、医者らしくない人というのが第一印象だった。
闘う決意をした出来事
腫瘍内科医として、常に進行がんの患者と向き合う日本医科大学の勝俣範之教授に、「エセ医療」を放置してはいけないと決意させた出来事があった。
「抗がん剤治療をやめて免疫細胞療法に切り替えてしまった、30代の卵巣がんの人がきっかけでした。『病状が悪くなったら、ここに帰ってきてくださいね』と外来の予約もしたのに、来なくなってしまった。電話にも出てくれない。最後はどんどん悪化して、腹水が溜まっているのに免疫クリニックは診てくれなかった。結局は救急病院に運ばれて、救急室で亡くなったと聞き、もっと強く阻止しておけばよかったと後悔しました」(勝俣教授)
様々な自由診療の免疫クリニックがあるが、どこも同じような宣伝文句を並べている。“副作用が少なく、通院治療が可能”と“ステージ4でも諦めない”は定番だ。
抗がん剤治療の辛い副作用に耐えている患者にとって、こうした謳い文句は朗報のように思えるだろう。だが、ステージ4の患者が急変した時に、免疫クリニックには対応できる入院設備も専門的なスキルもない。実際のところは“通院治療しかできない”のだ。
勝俣教授には、もう一つのエセ医療に関する苦い記憶がある。
免疫クリニックの残酷な仕打ち
「この患者さんも卵巣がんの女性で、腹膜播種(がん細胞が種を播いたように腹膜に広がった状態)になって、腹水がどんどん溜まってしまった。こうなると抗がん剤も効きづらいので勧められません。患者さんはどうしても免疫細胞療法をやりたいと言って始めましたけど、効果があるわけがない。どんどん悪化していくのに、免疫クリニックの院長は『まだ効果があるかもしれない。まだ可能性があるから頑張りましょう』と言って延々と治療を続けたんですね。
とても具合が悪くなったので訪問診療に切り替えて、しばらくしてから彼女は亡くなりました。その後に挨拶にいらした夫に聞いたら、実は亡くなる前日まで免疫クリニックに通っていたと。ほとんど動けなくて、息も絶え絶えで誰が見ても危ない状態だったのに、這うようにタクシーに乗って行ったそうです。ショックを受けました……」
これが免疫クリニックの“ステージ4でも諦めない”という実態なのだ。耳当たりの良い言葉の先に、こんな残酷な仕打ちが待っていると分かっていたら、女性は免疫細胞療法を受けたであろうか。
「患者から金を取るため、そこまで非人道的なことをやれるのか。患者さんの夫からこの話を聞いて、免疫クリニックの医者を絶対に許さないと決めました」
こうして勝俣教授は、SNSなどを使ってエセ医療に関する注意を広く呼びかけるようになった。がん医療のインフルエンサーとして、注目される存在になっていたが、予想外の反応が起きる。免疫細胞療法の第一人者を自負する医師が、自分のクリニックに勝俣教授を呼び出したのだ。
◆勝俣教授と自由診療の医師たちとの対決、その予想外の顛末については『がん「エセ医療」の罠』に掲載されています。
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