紀州の自然が生んだ偉人・南方熊楠。
熊楠にとって、森羅万象そのすべてが己を覚醒させるものだった。誰よりも貪欲に世界を吸収し、生命の本流に迫らんとした男——。
その足跡を、気鋭の作家・岩井圭也が訪ねた。
JR紀勢本線紀伊田辺駅から歩いて15分の高台に、南方熊楠が眠る「高山寺」はあった
階段を上った先には、ひときわ目を引く多宝塔が待ち構えていた
熊楠はここで存分に、粘菌(変形菌)や隠花植物の採集を行っていたという
寒さが緩むと境内は花であふれる
山門をくだると、目の前をゆっくりと会津川が流れていた
田辺湾に浮かぶ神島。
亜熱帯性の植物に恵まれたこの島は、熊楠にとってかけがえのない採集場所だった
鬪雞神社の書庫には古典籍が潤沢にあり、ある時は書物目当てに、またある時は植物の採集場所として、熊楠は通った
熊楠の妻・松枝は鬪雞神社の宮司の娘で、鬪雞神社と熊楠の縁もまた分かち難いものとなった
社殿の背後には仮庵山が控える。熊楠はこの山を「クラガリ山」と呼び、親しんだ
南方熊楠顕彰館。ここには熊楠の蔵書約4000点、標本やノートなどの資料がおよそ21000点保管されている
熊楠は、マッチ箱や石鹼の箱も標本箱として活用していた
もともと田辺藩士の屋敷だったここには土蔵があり、熊楠は25000点以上の資料を収納していた
熊楠を手繰り寄せる旅のなかで、南方家とゆかりの深い橋本邦子さんからお話を聞くことができたのは大変な僥倖だった。いまもこの町で暮らす橋本さんからは、南方家のことはもちろん、地元の文化や言葉などたくさんのことを教えていただいた
数百種に及ぶ顕花植物が息づき、粘菌(変形菌)や地衣類を育む自宅の庭は、熊楠にとって実験場そのものだった
南方熊楠顕彰館では、粘菌(変形菌)の観察が体験できる
熊楠が見ていた景色を想像する
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
熊楠が13歳の時に自作した教科書「動物学」。序文からして「宇宙間諸体森羅万象にして、これを見るにますます多く、これを求むればいよいよ蕃く、実に涯限あらざるなり」。中学生にしてこの意欲。「動物学」はこの後、第二稿、第三稿とアップグレードしたものまで作られている
[南方熊楠顕彰館(田辺市)所蔵]
世界を見たいと19歳で日本を出立。サンフランシスコからミシガン、フロリダ、そしてキューバ、ニューヨークを経て最後はロンドンで8年を過ごし、1900年帰国。その後田辺に定住してからもこの海の向こう、海外の学術誌に論文を送り続けた
和歌山にルーツを持ち、大学院では菌類の研究をしていた自分が書かずして誰が書く――その想いがいま一冊の本になった
撮影:深野未季
◆プロフィール
岩井圭也(いわい・けいや)
一九八七年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。二〇一八年「永遠についての証明」で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。二三年『完全なる白銀』で第三六回山本周五郎賞候補、『最後の鑑定人』で第七六回日本推理作家協会賞候補。『文身』で勝木書店「KaBoSコレクション2024」金賞受賞。現在、『楽園の犬』が第七七回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉ノミネート中。
他の著書に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『付き添うひと』「横浜ネイバーズ」シリーズなど。二四年五月、最新作『われは熊楠』刊行。