8月21日、秋のアメリカ合衆国大統領選挙に向けたシカゴでの民主党全国大会の3日目、26歳の青年桂冠詩人アマンダ・ゴーマンが新作の詩『この聖なる場』(The Sacred Scene)を披露した。それは、いま真っ二つに分断されているアメリカ国民への力強い呼びかけでもあった。今回の詩で感じられたのは、アメリカという国に対する、これまでにない彼女の危機感と決意だ。
アマンダ・ゴーマンとは何者か
この若い詩人はいったい何者なのか? ここ数十年、米国の大統領就任式には詩人が登壇して詩を朗誦するという習慣がある。ゴーマンは大学を卒業してまもないわずか22歳のときに、ジョー・バイデンの大統領就任式でこの任に抜擢され、まったくの無名詩人として登場しながら、ひと晩にして世界に名を轟かせた人物である。
そのとき朗誦した『わたしたちの登る丘』という詩は、社会の断絶や戦争やウイルスの猛威を前に、アメリカという国が明けそうにない夜を明かし、ついに暗闇から光のもとへ踏みだす心象風景を謳いあげた詩であった。2週間前の議事堂襲撃事件に打ちのめされていたアメリカ国民を名もない若き女性詩人が鼓舞する姿は頼もしく、感動的だった。
1998年、カリフォルニアに生まれたゴーマンは、シングルマザーに育てられ、奨学金を得てハーバード大学で学んだ。在学中には「リーダーシップ育成プログラム」にも参加し、自らがリーダーになるだけでなく、早くも後進の育成にも力を注いできた。ちなみに、被選挙権をもてる2036年には、みずから大統領選挙に出馬したいと夢を語ったこともある。
いまの堂々たる演説ぶりからは想像しがたいが、幼少時は発話障害に悩まされたこともあるという。母の勧めで本を読むことに没頭し、それ以来の膨大な読書量が彼女の詩の豊かな土壌を形成している。好奇心の旺盛さと教養の幅広さは圧倒的だ。
「この聖なる場」という詩
今回の民主党大会の期間には、バラク・オバマ元大統領、ミシェル・オバマ、ビル・クリントン元大統領、ヒラリー・クリントン、副大統領候補のティム・ウォルズらが演説し、有名司会者オプラ・ウィンフリーが飛び入りで登壇、歌手のスティーヴィー・ワンダーが歌を披露して盛り上がりを見せた。
淡いブルーのドレスで壇上にあがったアマンダ・ゴーマンが朗誦したのは、“The Sacred Scene”(「この聖なる場」)という3分半あまりの詩だ。さっそく冒頭を読んでみよう(著作権の関係で全訳はできません)。
We gather at this hallowed place because we believe in the American dream. We face a race that tests if this country we cherish shall perish from the Earth and if our earth shall perish from this country.
〔大意:私たちがこの神聖な場につどっているのは、アメリカンドリームを信じているからだ。私たちはいま、私たちの慈しむ(チェリッシュ)この国がこの地上(アース)から消滅(ペリッシュ)せずにいられるか、あるいはこの国の地面(そこ/アース)が抜けてしまわないか、力を試(テスト)される戦い(レイス)に直面(フェイス)している〕
ゴーマンはつねに歴史のなかにいる自分、歴史の核心(ハート)を記録する詩人としての役割を意識しており、これまでも作中で先人の言葉や作品にオマージュを捧げ、ときには応答してきた。ギリシア古典から、聖書、シェイクスピア、アメリカ合衆国憲法の前文、マーティン・ルーサー・キング牧師、歴代米国大統領、数々の作家、詩人、劇作家、哲学者たちの言葉に。
Poet and activist Amanda Gorman addresses the DNC: "We are one family, regardless of religion, class or color. For what defines a patriot is not just our love of liberty, but our love for one another." https://t.co/giSidvktxJ pic.twitter.com/f8Q0rOBcud
— ABC News (@ABC) August 22, 2024
今回の詩でもそれは同じだ。まず気づくのは、リンカーン大統領が南北戦争の最中に行った「ゲティスバーグ演説」(1863年)をおそらく緩やかに踏まえていることだろう。「人民の、人民による、人民のための政府」というフレーズが有名なあの演説である。
先人たちの叡智のぎっしりつまったゴーマンの心の書庫から今回引き出されたのが、アメリカ合衆国の民主政治の根幹にある「ゲティスバーグ演説」であるとすれば、それは重い意味をもつのではないか。民主主義の基本に立ち返るということだ。
リンカーン演説との共通点
「この聖なる場」の出だしを聞いて耳に残るのは、題名とも重なるthis hallowed place(この神聖な場所)というフレーズで、これは国立戦没者墓地の奉献式の場で行われたリンカーンの演説中の、「しかしより大きな意味で言えば、我々がいまこの地(this ground)を献じたり、聖別したり、神聖化(hallow)したりすることはできない(それは過去に闘った生者と死者たちによってすでになされているという意味)」というくだりと共鳴するだろう。
また、faceとrace、cherishとperishなど、ゴーマンの得意とする「中間韻」(文末・行末ではなく文の真ん中で踏む韻のこと)が冒頭部分から強いインパクトをもたらすが、これらも「ゲティスバーグ演説」の以下のようなくだりをほのかに髣髴するだろう。
Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.
〔アメリカン・センター・ジャパン訳参照:今我々は一大内戦のさなかにあり、斯様な理念でつくられ身を捧げてきたその国家が、いや、いかなる国家でも、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである〕
that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain—that this nation, under God, shall have a new birth of freedom—and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
〔同上訳参照:それは、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである〕
奴隷制度廃止を訴え、人民のための民主主義確立のために尽くしたリンカーンの歴史的演説を、ゴーマンの詩は再構築し、現代的な視点を付与している。2度出てくるthe/our earthには彼女が取り組んでいる環境問題への警鐘も込められているだろう。ともあれ、リンカーンとゴーマンに共通しているのは、自分たちがいま歴史の甚大な分岐点にいるという認識だ。真の民主主義を打ち建てられるか、守ることができるか。次期大統領選でカマラ・ハリス対ドナルド・トランプの戦いとなった現在のアメリカ合衆国は、文字通りその瀬戸際にいると言えるだろう。
だから、ゴーマンは今回の詩に、perish(絶滅する)やbattles(戦い)という強い言葉を使っているのだ。これらは『わたしたちの登る丘』ではあえて使われなかった語である。では、民主主義を守るためにどうすればいいのか。そのために大切なのは人びとの「エンパシー」であるとゴーマンは言う。
「エンパシーは私たちを解放し、憎しみや虚栄を超えた存在にする。それこそが、力強く純粋なアメリカの未来図だ。分断されたままでは力尽きるだろう。しかし団結すれば、私たちの民主主義を人間らしいものにすべく力を尽くせる。人類が愛おしむ民主主義に変えていける」(「この聖なる場」)
エンパシーと「共感」の違い
エンパシーはシンパシーとどう違うのか。ここは重要な点だ。シンパシーが「共感」すること、思いや感情を相手と一にすることだとしたら、「エンパシー」は「洞察的理解力」とでも訳せるだろうか。必ずしも共感はしなくても想像や理知の力で相手の立場を思いやり理解することである。
シンパシーはいっとき強い団結を呼ぶが、そうして共感ベースで築かれた同質集団は同調圧力を引き寄せやすく、いったん意見が割れると分断を生む傾向にある。エンパシーは互いの異質さを認めながら相手を思うことだから、アメリカのような多人種多文化国家の形成には欠かせないものだろう。いまアメリカが(日本もかもしれない)真っ二つに分裂しているのは、もっぱら共感ベースで人と人がつながっているからではないか。
「完璧な国」でなくていい
ゴーマンは、1787年の合衆国憲法前文作成のときから唱えられてきた「A More Perfect Union(より完璧な連邦)」という理念に、『わたしたちの登る丘』でノーと言った人である。オバマ大統領(当時)や数々の指導者がリレーしてきたこの「アメリカはより完璧な国を目指す」という考えに、22歳の詩人が「これからはそうではない」と言ったのだ。
パーフェクトな国とは、ある意味では凸凹がなく統制された世界だ。多様性をそいでしまう部分がある。だから、ゴーマンは『わたしたちの登る丘』のなかで、「そう、わたしたちは完成からも、かといって生のままからもほど遠い。/けど、だからといって、完璧な国を求めて励むのではない。/目指すのは、志をかかげて結束をかため、//人間のどんな文化、どんな肌色、どんな気質、/どんな境遇にも、/真摯にとりくむ国を築いていくこと。」だと語りかけた。
「わたしたち」という語を使うとき、ゴーマンはその語が必然的に抱えてきたこの国の壮絶な亀裂や軋轢や矛盾を重く引き受けながら書いているのだ。
今回の詩「この聖なる場」には「ゲティスバーグ演説」だけでなく、さまざまな先人の言葉の木霊が響いているだろう。主の祈りや、アメリカ国歌、アメリカ合衆国を表すラテン語「エ・プルリブス・ウヌム」(多数から一つへ)を思わせる箇所もある。あるいは、We are one family, regardless of religion, class or color(わたしたちは宗教、階級、肌の色の別にかかわらず一つの家族だ)という箇所などは、キング牧師の「わたしには夢がある(I Have a Dream)」の「ジョージアの赤土の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷所有者の子孫が、兄弟のように食卓を共にする日が来ることを夢見る」といったくだりを想起させもする。
また、the audacity of hope(希望をもつ果敢さ)というフレーズなども印象的だ。これはバラク・オバマの著書の題名にもなっている(邦題は『合衆国再生——大いなる希望を抱いて』)が、ゴーマンの詩では、「でも、あすという日は、困難に打ち勝つ見込みではなく、希望をもつという私たちの果敢さによって、私たちの投票の活力によって記される」という箇所に出てくる。オバマの名を全米に知らしめた民主党大会での基調演説(2004年)に盛りこまれて広まったフレーズだが、引用元はジェレマイア・ライトという牧師の説教である。
ライト牧師は「希望」という画題のイギリス画家の絵を引きながら、望みを捨てないことの尊さを説いた。その絵には、視力を失い、弦が一本しか残っていないハープを手にした若い女性が描かれている。audacityはいっそ「蛮勇」などと訳してもいいかもしれない。
『わたしたちの担うもの』が受け継ぐもの
ゴーマンはこれらの絵と説教と演説を踏まえて、未来を切り拓くのは「希望をもつという果敢さ」だと語りかけたのだ。ハープとホープと言えば、『わたしたちの担うもの』と題する第一詩集にはこんな詩もある。
ハープを弾くのはやさしくて、
ホープをもつのはむずかしい
<中略>
地球は丸いのだから、
たがいに歩み去るすべはない、
なぜって、いずれそのうち、
また出会うだろうから。
(『わたしたちの担うもの』「で、それで」より)
「この聖なる場」はこういう言葉で締めくくられる。
Let us not just believe in the American dream, Let us be worthy of it.
〔大意:わたしたちはただアメリカンドリームを信じるのではなく、それに値する存在になろう〕
この一文は、『わたしたちの登る丘』の最終スタンザ、「光はきっとどこかにあるのだから。わたしたちがそれを見る勇気があれば。わたしたちに光になる勇気があれば。」と通じあうものがある。理念には行動が伴う必要があるということだ。
民主主義への思いと決意
ゴーマンは『わたしたちの登る丘』で、「只そこにある(ジャスト・イズ)ものが規範や通念となろうとも、/それが正義(ジャスティス)とはかぎらない」と詠った。これは、カマラ・ハリス副大統領勝利宣言冒頭の「民主主義とは状態ではなく、行動である」という言葉を意識したものかもしれない。さらに、ハリスのこの文言は、公民権の平等化に献身した故・ジョン・ルイス下院議員の文章からの引用である。ルイス議員の文章はこの後、「『愛に満ちた共同体』……を築くために、各世代がそれぞれの役割を果たさねばならない」という言葉がつづく。
そして、この「愛に満ちた共同体(The Beloved Community)」の引用元はキング牧師の言葉である。どの先人も強調しているのは、民主主義と愛ある共同体を築き維持していくには、それぞれが行動を起こす必要があるということだ。ゴーマンはそうして連綿と手渡されてきた民主主義への思いと決意をこめて、この詩を締めくくったのだった。
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