――ねえ、助け合ってみない? 僕たち。
死んだ理由が分からないまま彷徨っている小説家の幽霊・響と、謎めいた美形の古物商・類。
曰くつきの青年2人が織りなすホラー短編集『幽霊作家と古物商』シリーズ(上下巻)は、現在好評発売中です。
もうすぐハロウィン、ということで、本作に収録されている短編「ハロウィンの夜」を期間限定で無料公開します(11月1日23:59まで)。
響が古道具屋「美蔵堂」を訪れると、そこには絵に描いたような好青年が。店主の類と話し込んでいるうちに、夜が近づいてきてしまい……。
不可思議な冒険をしたのは、秋も深まったある日暮れのことだった。
原稿が一段落したので散歩がてら美蔵堂へ歩いていくと、道中はオレンジと黒の飾りで賑わっていた。
「あぁ、今日はハロウィンか」
独りごちる間にも、魔女の仮装をした少女が俺の躰をすり抜けて駆けていく。見慣れた町家の店先は黒猫や蝙蝠の置物や、プラスチックあるいは本物のかぼちゃが彫られたジャック・オ・ランタンで飾りつけられている。
白いシーツを被ったような、ステレオタイプのゴーストの仮装も多く見かけた。
そんな霊はついぞ見たことがない。
いつものように美蔵堂の引き戸をすり抜けようとしたら、店の奥には珍しいタイプの客がいた。
咄嗟に足を止めてしまったのは、警戒心だと思う。
「この写真、インスタに上げてもいいですか? よかったら、動画も撮らせてください」
スマホを手にした若い男が類に尋ねていた。まだ少年と呼んでもよさそうな、あどけない若者だった。
「ん? いいですよ。僕さえ写っていなければ」
若者は元気よく返事をして、店内にぐるりとカメラを向ける。インカメで自分も映しながら、「じゃん! 素敵なお店を見つけました」などと喋っていた。
カウンターには二客のソーサーつきティーカップがすましている。あれはたしか、常連や高価なものを買ってくれる客に出すアンティークだ。
「それより嵯峨野くん。撮影が終わったら、その『本の仕事』のことを詳しく聞かせ……」
類は言葉の途中で、戸口から顔だけ出していた俺に気づいて、立ち上がった。ガタン、という椅子の音に若者──嵯峨野というらしい──が振り返る。
「みくさん?」
「いや、なんでも。続けていてください」
類はすーっとこちらへ来て、硝子越しに外を眺めるふりをしながら囁いた。
「今日は帰ったほうがいい」
その唐突さに面食らう。彼は珍しく気まずそうな顔をしていた。
前髪の隙間から嵯峨野を見やる。わくわくした様子で笑みを絶やさずカメラに向かって喋る彼は、いやに眩しかった。
なるほど……確かに苦手なタイプではある。「ほうがいい」という言い回しに気遣いを感じた。
類も色々と思うところがあるのだろうが、嵯峨野くんに不自然に思われないよう俺に伝えるには、長々と言葉を重ねることはできないわけだ。俺は小さく鼻で笑う。
「大丈夫だ。生きていたら気まずかったかもしれないけれど、向こうには見えないんだから」
むしろ、自分と正反対の人間を観察できれば、新作のキャラクター造形にも活かせるかもしれない。
類はなおもなにか言おうとしていたが、俺が売り物の肘掛椅子に腰かけると、溜め息をついて戻っていった。
嵯峨野永太郎は近くの大学に通う学生だという。レトロな物や味のあるアート作品などが好きで、自らが見たそういうものをSNS上で発信しているそうだ。
彼が類に見せたスマホに表示されたアカウントを上から覗き込むと、フォロワーは十万人を超えていた。
「インフルエンサーってやつか」
「インフルエンサー、ね」と類が知ったように言う。
「あはは、そう呼ばれることもありますね。自分は好きなことをしているだけって感じなんですが、ありがたいことに今の事務所に声をかけてもらって……」
嵯峨野は照れたように白い歯を覗かせて笑った。ほんのりと明るい色に染めた髪がよく似合っている。背が高く清潔感があり、まるで若手俳優のようだった。類と並んで見劣りしない男性などそうそういないだろう。
物語の主人公にふさわしい人物。
そんな印象を受けた。
美蔵堂にはたまたま迷い込んだのだという。
「次に出すフォトエッセイに使えそうな、いい写真を撮りたくて通りを彷徨っていたんです。そうしたら、すーっと吸い寄せられるように、ここに」
「へぇ、エッセイを……! さっき類が訊こうとしていたやつか」
俺はつい口に出すが、当然、嵯峨野には聞こえない。類が咳ばらいをした。
「写真集のようなものですよね?」
「なんだ。活字は少ないのか」と俺は懲りずに口を挟む。
「そうですね、今回は写真が多めの本になりそうです。でも、僕はできれば自分の写真より風景の写真とか……、下手ですが、コラムをたくさん載せたいと思っていて……!」
嵯峨野は下を向きながらも強く言った。曇った横顔の奥に、曲げられない意志のようなものが感じられた。
「いい本を、作りたいんだな」
類が俺を一瞥した。嵯峨野はにこりと笑って、話題を変える。
「不思議ですよね。生まれも育ちもこの町なのに、こんな面白いお店、今までまるで見つけられなかった。なにかに導かれたみたいだ。僕、ここすごく気に入りました」
「導かれた、か……。そうかもしれないね」
「はい! ナイスタイミングです。……あぁ、でもこのお店、ホームページもSNSのアカウントもないですし、紹介されたりするのはご迷惑じゃあありませんでしたか? 僕が取り上げたお店や場所には、結構ファンが行くみたいで……」
「いえ、大丈夫ですよ。趣味の店なので特に流行って欲しいわけではないですが、人が来て迷惑ということもありません。たまには賑やかになるのも楽しそうだ」
俺は二人の周りを飛びながら、頷いた。
類が彼をいい茶器でもてなした理由がよくわかった。
その後も嵯峨野は、店の古道具について興味深げにあれこれたずね、類は楽しそうに、古道具たちの特徴や来歴を話していた。
振り子時計の時報が鳴った。
「──しまった、もうこんな時間だ」
類が声を上げた。時計の針は五時を指している。店の外の景色はうっすらと赤みを帯びていた。
「すみません、すっかり話し込んでしまいましたね。そろそろ店じまいですか?」
「そんなことはどうでもいい。嵯峨野くん、君はもう帰らないと」
「へ? 僕はまだ全然。まだ五時ですよね?」
「いや、今日はハロウィンじゃないか」
嵯峨野はあっけにとられた顔で店主の背中を見つめる。奇遇なことに俺も嵯峨野と同じリアクションをとっていた。
「類? 通りはそれほど混まないぞ、渋谷と違って」
「人混みなんかじゃなく、本物が交じり出す時間だろう? 暗くなる前に帰らないとだめだ」
「え、人混み? え?」
「本物?」
類は俺と嵯峨野に向かって言った。
「だから……ハロウィンってのは西洋のお盆なんだよ。『死者が帰ってくる日』。仮装もなしじゃあ君は生者にしか見えない。……嵯峨野くん、お菓子は持っているだろうね?」
「いえ、持ってませんが」
「不用心な……!」
類は奥の給湯室へ行くと、足早に戻ってきた。
そして個包装のビスケットを三枚、嵯峨野に差し出してきた。
「悪いね、うちには今これしかない。これでなんとか家まで帰るんだ。健闘を祈るよ」
「あっ、くれるんですか? ありがとう、いただきます」
「君が食べてどうする。さあ急がないと」
包みを剝こうとしていた嵯峨野だが、もはやなにも言えずに頷くしかないようだった。
「類のやつ、なんなんだいったい……」
俺は宙をふよふよと飛びながら独りごちる。眼下を行く嵯峨野はのんびりと歩いていた。類がカリカリしていたので俺は黙って店の外へ出てきたのだが、なんとなく気になって嵯峨野を見守ることにしたのだ。
まさかと思うが、「あの類が言うのだから」という想いもある……。
「みくさんって面白い人だな。あ、もしかしてイギリスってハロウィンが盛んなのかな?」
嵯峨野は類の奇行をさして気にしたふうもなく、軽やかな足取りで町家に挟まれた道を歩いていた。人気の多い通りを行き過ぎ、仮装をした人々がいなくなると、誰もいないのをいいことに鼻歌まで歌い始めた。
料亭や茶屋の並ぶ道を抜け、嵯峨野は細道へ入った。石畳は模様を少しずつ変え、グネグネとした石階段に繋がる。
嵯峨野の後頭部を見下ろしながら飛んでいると、階段の下に、なにかがいた。
白い……真っ白い。細長い四つ足の……。
嵯峨野も「ん?」と声を上げる。近づいていくと、それは鹿……によく似た顔と胴を持っていた。だが手足が異常に長細い。叩けばぽきんと折れそうなほどに。
そいつの顔は嵯峨野のすぐ上を飛ぶ俺と、視線が交わる高さに位置している。
「わ! 驚いたな。竹馬かぁ!」
その声を聞いて、ほっと胸を撫でおろす。
よく見ればなかに人が入っているようだった。頭と胴体が着ぐるみで、両手足に長い竹馬を括り付けた……。
「大道芸人か?」
俺が言うと、鹿はふるふると首を横に振った。
「あはは、すごいな! 怖かわいい。写真いいですか?」
鹿は首を傾げる。嵯峨野はイエスと捉えたのかスマホで数枚写真を撮った。
嵯峨野は礼を言って脇を通り抜けようとした。しかし鹿は細長い足をひょいと彼の前に出す。反対へ回ろうとしても、こつ、こつと、通せんぼをするように動き、嵯峨野は鹿のお腹の真下に収まってしまった。
檻みたいだった。
さすがに戸惑いだした嵯峨野はその場でおろおろと足踏みをする。
鹿は下を向いた、かと思うと……。
ぬうううううる。
……っと首を伸ばして、嵯峨野の顔を逆しまに覗き込んだ。
鹿の顔は、年老いた人面に変わっていた。
嵯峨野は「あ、あ……」と小さく声を漏らす。
お腹の下まで伸びた首がぐるりとひねられ、頭が上にくる。
──とり こ とりー。
鹿が動かした口のなかには、舌があった。ぬらりと湿っていた。
男とも女ともつかない嗄声が繰り返される。
──とり こ とりー。
俺は慌てて叫ぶ。
「お菓子……! お菓子だ嵯峨野!」
尻もちをついた嵯峨野の頭に、大きく開かれた鹿の口が迫る。草食とは思えない牙だ。
「ポケットにしまったろ!」
聞こえも触れもしないのに、俺は両手で彼のブルゾンのポケットに手を突っ込みながら叫んだ。すると……鹿のほうが反応した。
鹿は嵯峨野のポケットに鼻先を突っ込み、プラの包装の端を咥えて引きずりだす。
そういえば、さっきも俺の声に反応していた……と今さら気づく。
「あ、あ……ああ! 『トリック・オア・トリート』ですね。えと、袋、開けます、か……」
嵯峨野は震える手で包みを破く。その瞬間、鹿は彼の手まで持っていきそうな勢いで、ビスケットにかぶりついた。
ばきばき、ばりばり。
がしゅがしゅがしゅむちゃむちゃむちゃ……。
袋ごと激しく咀嚼する音が夕空に響いた。
嵯峨野は長細い脚の檻から這いだし、走ってその場をあとにした。俺も飛んで追いかける。
宙で振り返ると、真っ白い怪物は地面に落ちたカスを夢中で舐めとっていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
遠くまで走ってきた嵯峨野は肩で息をしていた。飛び疲れた俺も、郵便ポストの上で息を整える。
「パ、パフォーマンスかな……?」
嵯峨野は己に言い聞かせるように何度も頷く。
「人が、入っていたんだよね?」
どうやって首を伸ばしたんだ。それに顔も見る間に変わっていったというのに。
彼の前髪は濡れて光っていた。よだれだ……。本人は気づいていないだろうが。
嵯峨野はしゃがんでポケットから二枚のビスケットを取り出した。
「あと、二枚……」
嵯峨野は辺りを見回す。無我夢中で逃げてきたせいで本来の帰り道から外れてしまったようだ。タクシーも通らない……というか、やけに人が少ない。
嵯峨野も異変に気づいたようで、唾を飲む。遠くに、ぼんやりとした人影が見えた。
文字通りの“影”だ。顔のない紫のぼやぼやしたものが、手にぼんぼりを持って柳の下を歩いている。
嵯峨野は急いで反対方向へ逃げ出した。俺は上空へ高く飛ぶ。この時間帯にしてはやはり人が少ない。そして、あちらこちらに奇妙なものの姿があった。
嵯峨野は足音を殺して、走った。
気づけば辺りには夜の帳が降りていた。
「とにかく大きな通りに出よう。タクシーを拾えば……」
だが、次の角を曲がった瞬間、わずか一メートル先の街灯の下に、現れたのだ。まるでスポットライトの下に佇んでいるみたいだった。
ステレオタイプの、白いシーツを被ったようななにか。
ふー、ふー……という呼吸が聞こえる。脚は……ない。その場に浮かんでいた。ただし、モチーフ化されたキャラクターとは違い、布の裡に明らかな肉の気配を感じた。
硬直した嵯峨野に向かって、それは振り返る。布に空いた小さな二つの穴から、瞳が見えた。嵯峨野は目を逸らして脇を通り過ぎようとする。しかしそれは嵯峨野の背中にぴったりとついてきた。
そして頭にキンとくる不快な声で喋った。同じ言葉を何度も、何度も、何度も。
おそらく、さっきの鹿も言っていたあの言葉だろう。しかし嵯峨野が震えるばかりで背中を向けたままでいると、白い布の裾がはためいて、むわっと濃い鉄の匂いがした。
上空から見下ろす俺ははらはらしながら「もう無理だ、早く渡せ」と叫ぶ。
それは裾を大きく開いて、嵯峨野の頭に覆いかぶさろうとしていた。嵯峨野はようやくビスケットを取り出しながら振り返る。
その瞬間、嵯峨野は叫んだ。
布の中身に目を釘づけにして。
上空にいる俺には見えない。
彼の美しい顔が歪む。その手からするりとビスケットが抜けて、布のなかに消える。
白い布は風に吹かれて飛び上がる。俺の脇をけたけた笑いながらすり抜け、振り返ると消えていた。
嵯峨野は口を押さえてその場に吐いた。
嵯峨野は空き家の植え込みの陰にしゃがんで休んでいた。持っていたチラシ入りのポケットティッシュで口をぬぐい、肩で息をしている。ちなみに彼のスマホはなぜか取り出した瞬間、電池切れになってブラックアウトしてしまった。
助けは呼べない。
隠れているあいだも、何度かおかしなものが目の前の道を通っていった。
水を買ってきてやることも、背中をさすってやることも、なにもできないのがはがゆい。
「あと一枚か。そういえばこんな昔話があったな。坊主が山姥につかまって、三枚のお札を使って和尚さんのところまで逃げ帰るっていう……」
いつのもくせで一人で喋っていると、妙な音が近づいてきた。
カツカツカツカツ、とこちらへ走ってくる。嵯峨野がぎゅっと躰を縮めた。
俺はハッとして植え込みを飛び出した。ちょうど向こうから奇怪な動きのハイヒールの女……のようなものがやってきたところだった。女は耳まで裂けた牙だらけの口をにっこりさせて、俺を見る。しかし、俺の脇を素通りし、植え込みに顔を突っ込んだ。
「ひっ……!」
嵯峨野の悲鳴。がさがさと植え込みが動く。
女は手にビスケットを掴んで、踵を返していった。
最後の一枚が消えた。
今のは……そうか、俺の声が呼んでしまったのだ。
霊には俺の声が聞こえる。
だが、逆を言えば「俺の声は幽霊の注意を引くことができる」というわけだ。それならばやりようはある。
思っていたより早く、嵯峨野は立ち上がった。
「ここにいても仕方ない。帰るんだ……!」
さらに、彼は強い声で呟く。
「僕は……絶対に本を出すんだ。出すって約束したんだ。そのためにも、帰るんだ……」
彼の気持ちは痛いほどわかった。
俺だってデビュー前は、生涯たった一度でもいい、自分の本が出せるならなんでもする、と思っていた。
俺は先んじて上空を飛んだ。
道の先をうろつく幽霊がいたら、飛んでいって騒ぐなり歌うなりして注意を引き、嵯峨野のいない方へ誘導した。
「いける、これなら……!」
嵯峨野は隠れ潜みながら進んでいった。あんなに恐い目にあったにもかかわらず、その瞳は勇敢で、さっきも感じた通り、物語の主人公のようだった。
俺はいつしか嵯峨野とバディのような気になっていた。向こうには自分のことは視えていないのだが、なんとか彼を無事に家に帰すのだという使命感が湧いていた。
やがて広い道に出ると、コンビニの灯りが見えた。嵯峨野と俺は喜びに息を飲む。
なかに人がいるのが見えた。お菓子も売っているはずだ。一晩ここでやり過ごすことだって……一緒に走り出した、そのとき。
「トリック・オア・トリート!」
振り返ると、黒いとんがり帽子の少女が笑顔で両手を差し出していた。
嵯峨野は引き攣った笑みで硬直する。彼と同じ年ごろの少女に見えたが、肌は青白く、唇は生き血を啜ってきたばかりのように赤い。やたらと大きな黒目で摩擦の強そうな瞬きをする姿が奇妙だった。
ホラー映画の怪人か、宇宙人か……そんな表情の読めない瞳だ。
嵯峨野は両手を前に突き出す。
「お、お菓子……持ってな──」
彼が馬鹿正直に言う前に俺が言葉を被せた。
「そこのコンビニで買ってやる。だから見逃してくれ」
少女はきょとんとした顔で首を傾げる。ふくろうのようだった。ミニスカートから伸びる細い脚が、つと動いて距離を詰める。
「え~持ってないの? さがのくん、ハロウィンとか嫌いだっけ?」
俺を無視して、少女は嵯峨野を正面から見上げた。
すうっと恐怖心が褪せていった。嵯峨野は柔和な顔で困った様子を見せる。
「ちょ、近いよ和高さん」
「まりちって呼んでよ。なんで苗字なの?」
「いや、学部も学科も違うし……友達とファンは違う、し」
「んー、ちょいファンでもあるけど、確かに入学前から知ってたけど……大学一緒だし友達のつもりなんだけどな。違うとか言われると、ちょっと寂しいかも」
少女には、ちゃんとした脚があり、影もあり、俺の声は聞こえていなかった。
嵯峨野が「ごめん」と謝ると、少女は「いいよ」とおかしそうに笑う。
「うん……変なファンばっかりじゃないよね。酷いときもあるけど……」
嵯峨野はどこか暗い表情で言った。
トラウマでもあるのか、有名人は大変らしい。
「和高さんみたいなファンがいて、よかった。というか……とにかく今は、どんな人でも会えてほっとした」
「どゆこと?」
「はは、助かったなぁって。ちょっと待ってて、コンビニでお菓子買ってくるよ。今日だけ特別だからね」
和高は飛び跳ねて喜んだ。
「はあぁぁ……」
俺はぐったりしてアスファルトの上に胡坐をかく。
疲労と安堵がどっと込み上げる。
嵯峨野が小走りで去っていくとき、ポケットからなにかが落ちた。丸められたティッシュの塊だった。さっきのごみだ。
少女はそれを拾った。店の前にはごみ箱がある。さすがは嵯峨野の友人だ、ちゃんとしているんだな……と思った矢先。
彼女はあろうことかそれを広げた。こびりついた黄色いものに鼻を寄せる。
「嵯峨野くんの匂いだ」
和高はそう呟くとティッシュをむしゃむしゃ食べ始めた。
──んふふ、んふふふふふふふふふふふっ。
真っ暗闇のなかで、コンビニの灯りを受けた彼女は笑う。
「嵯峨野くんは変なファンが湧きやすいんだから私がついていてあげなくちゃ。私は絶対迷惑かけないからね。絶対絶対絶対絶対……」
両手を頬に当て、にたぁと口をゆがめる姿は、今晩見たどの霊よりも強烈だった。
「おまたせ、あれ、和高さんなにか食べてる?」
「お菓子」
と、和高は帰ってきた嵯峨野に言った。
「たくさんもらってるんだね。はい、これ」
「まりちもうお腹いっぱい!」
「えぇ~……」
その後、和高は上機嫌で帰っていき、嵯峨野は近くのファミレスへ入って朝まで時間を潰した。
俺はファミレスの屋根の上から通りを見下ろしていたが、日付が変わると町をうろついていたおかしなものたちは、ぱったりと現れなくなった。
後日、類に詳しく尋ねてみると「ハロウィンとはそういうものだろう?」という答えが返ってきた。
「僕が小さいころからずっとそうだ。イギリスにいたときも、他の国にいたときも、もちろん日本にやってきたあとも、毎年どこの町もあんな感じだ」
「そんなわけがあるか」
ハロウィンはアイルランドが発祥ではあるが、イギリス全体でもあまり盛り上がらないと聞いたことがある。
類は納得のいかない様子で腕を組んでいたが、軽く片眉を上げた。
「そうだ……そういえば祖父が認知症になる前は、『お前がいるとハロウィンが大盛り上がりだな』って笑っていたことがあったっけ……」
御蔵坂類には霊感がある。美蔵堂にもいわくつきの品が妙に集まる。
もしかしたら、彼は磁場でも狂わせているのかもしれない。
「しかし、君が嵯峨野くんを送ってあげたとは……意外だったな」
「たしかに……普段ならそんなことしないだろうが」
だが彼には好印象を持ったのだ。あの素直さ、明るさ、美蔵堂へ見せた気遣い、そして本に対する真摯さ……。
類は、腕を組んで静かに言った。
「なにもなかったなら、いいんだ」
その口ぶりが妙にさみしげなのが少し気になったが、彼は仕事だと言って出かけていってしまった。
了
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