本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
「おっ母が家に帰ってきたら、抱えてやらんといけんけんの」入院する母のために…98歳の父が始めたのは“筋トレ”だった

「おっ母が家に帰ってきたら、抱えてやらんといけんけんの」入院する母のために…98歳の父が始めたのは“筋トレ”だった

信友 直子

『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より #3

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #随筆・エッセイ

「確かに母はそういう人だった…」温厚なはずの父が認知症の母に「死にたいなら死ね!」と叫んだ本当の理由〉から続く

 映画監督の信友直子さんは、認知症になった母・文子さんと、母を献身的に介護する高齢の父・良則さんの暮らしをカメラに収めた。そうして制作したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は異例の大ヒットを記録。夫婦は突如として有名人になった。

 ここでは、11月に104歳になる良則さんの日々の様子を、直子さんが娘の視点から綴った『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』から一部を抜粋して紹介。脳梗塞を発症して入院することになってしまった文子さんのために、良則さんが始めた“あること”とは……。(全3回の3回目/はじめから読む)

◆◆◆

「おっ母。頑張って家に帰ろうや」

 2018年9月、母が脳梗塞を発症しました。

 認知症以外の持病があったわけでも、血圧が高いわけでもなかったので、まさに不意打ちでした。慌てて帰省し救急病院に駆けつけると、たくさんの管につながれた母は、白い小さな人形のようにぐったりと横たわっています。

 胸が痛みました。「前兆はあったかもしれないのに、どうして気がついてあげられなかったんだろう?」

 ぐずぐず悔いてばかりの私に比べ、父は最初から驚くほど前向きでした。

「おっ母は片麻痺だけらしい。まだ体の右半分は普通に動くけん、リハビリしたら家に帰って来られるわい。のう、おっ母。頑張って家に帰ろうや」

©映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』

 母は左半身が麻痺していましたが、右手右足は問題なく動きました。言語中枢も損傷していなかったので、母もはっきりと自分の意思を口にしました。

「私、早う家に帰って、お父さんとまた一緒に暮らしたい」

 そして、父の言葉に触発されたのか、俄然リハビリを頑張り始めたのです。

 麻痺した左半身を理学療法士さんに抱えてもらいながら、右手右足でふんばって、必死の歩行訓練。最初は一歩進むのもやっとでしたが、二歩、三歩と、歩行距離はしだいに伸びてゆきました。

父が毎日面会に行く理由

 そんな母を励ますため、父は毎日、面会に行きました。家から病院までは、父の足だと片道1時間はかかります。往復だと2時間。シルバーカーを押しながら、日照りの日も雨の日も、父は歩き通しました。

「お父さん、今日も行くんね? 少しお休みしたら?」

 父の体調が心配になって、私が声をかけたこともしばしば。

「今まで何年もお母さんの世話をしてきたんじゃけん、疲れも溜まっとるでしょう。お母さんの世話は、もう病院の看護師さんがしてくれてじゃけん、お父さんは家でのんびりしたら?」

 しかし、父は頑なでした。

「おっ母が毎日リハビリを頑張りよるのに、わしだけ楽するわけにはいかんわい」

 そう言って一日も休むことなく、母のもとへと通うのでした。

「おっ母、わしが来たで~」

 父の姿を見ると、母の顔もパッと明るくなります。そして父は、母の枕元に2時間も3時間も座って、母の手を握り、話しかけるのです。

 いったい何を話しているのかな? 気になって耳をすませると、

「昨日わしは、ヒラメの刺身を食うたよ。あんたも食いたいじゃろ? 早う帰ってきて食おうや」

「あんたが帰ってきたら、すぐわしがコーヒー淹れちゃるけんの。また一緒に飲もうや」

 食いしん坊の母をやる気にさせるのは食べ物の話だと、父はちゃんとわかっているんですね。次々と母の好物の話題を出して、あからさまに「食べ物で釣る」作戦に出ていたので笑っちゃいました。

もうひとつのミッション「筋トレ」

 そして、父のもうひとつのミッション。それは、家に帰って来てからの母を支えるための準備でした。

 文字通り、麻痺した左半身を常に「支えて」いないと、母は動けないのですから。 

 病院で母のリハビリ姿を見学した父は、

「おっ母が家に帰ってきたら、わしがあの兄ちゃん(理学療法士さん)みたいに左から抱えてやらんといけんのじゃのう。そんならわし、もっと筋力をつけんといけんわ」

 そう気づいた父が始めたのは「筋トレ」でした。近所のクリニックのマシンルームで、週3回、エアロバイクを漕いだり、腹筋マシンで腹筋を鍛えたりし始めたのです。なんと98歳で!

『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より

 もともと勉強熱心な人ですから、トレーニングの本を読んで「体幹」という言葉も覚えたらしく、

「体幹がしっかりしとらんと、おっ母がもたれかかってきたら、よろけてしまうけんの。二人で一緒に転んだら、それこそ大ごとじゃ」

『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より

 そう、思えば父の行動の原点は、すべて母なんですよね。93歳で家事を始めたのも、98歳で肉体改造にまで挑戦したのも、結局は母との暮らしを守るためなんです。

 愛の力って、すごいな……。

 母が入院したことで、父と母の物理的な距離は離れたのに、二人の心の距離は今まで以上にぎゅっと縮まった気がして、ほっこりと幸せな気持ちになる娘でした。

単行本
あの世でも仲良う暮らそうや
104歳になる父がくれた人生のヒント
信友直子

定価:1,595円(税込)発売日:2024年10月25日

電子書籍
あの世でも仲良う暮らそうや
104歳になる父がくれた人生のヒント
信友直子

発売日:2024年10月25日

提携メディア

ページの先頭へ戻る