
宮本輝氏初の歴史大河小説『潮音』の刊行が1月から始まった。小説の主要な舞台となる富山市で1月25日に開かれた、北日本新聞社主催のトークライブのダイジェストをお送りする。
(聞き手=武藤旬・文藝春秋第一文藝部長)(全2回の1回目/続きを読む)

◆◆◆
時代小説と歴史小説はどう違うか
――『潮音』は宮本さんにとって初めての歴史小説になります。初挑戦ということで、ご苦労がおありになったと思うのですが、その辺からお話しいただけますでしょうか。
宮本 足かけ十年「文學界」に連載したわけやからね。その間の苦労をぜんぶ喋っていたら一晩かかっても終わりませんよ(笑)。
まあ、歴史小説と聞いてすぐに頭に浮かぶのが、司馬遼太郎さんでしょうね。いっぽうで、出てる本の数から言ったら時代小説の方がずっと多いでしょう。じゃあ、時代小説と歴史小説はどう違うんだ? ってところからわからなかったんで、考えてみたんです。時代小説っていうのは架空の人物が動くんです。で、歴史小説というのは、歴史上に登場した実在の人物を主人公にして書くんだと。そこが決定的な違いじゃないかとわかったんです。そしたら自分には「歴史小説というのは書けないなあ」と思ったんですよ。

というのはね、その実在の人物がこの世に生まれてから亡くなるまで、いろんな出来事があるでしょう。けども、その人に一度も会ったことがない僕がね、その人がどんな冗談を言うのか、どんなものを食べていたのか、男ならどんな女の趣味だったのかとか……何もわからないんです。そこを想像で書いてしまうと、僕の書くことは「ぜんぶ嘘だ」ということになるんです。だから歴史小説は「俺には無理だ」と、もう頭から決めてたんです。
薩摩藩の倒幕資金はどこから?
ところが二十年以上前のことでしょうか、文藝春秋の何人かの編集者が一升か二升かを提げて遊びに来て、三升ぐらい飲んで話をしているうちに、『潮音』で書いた富山の薬売りが絡んだ薩摩藩の密貿易の話をなんとはなしに話したんです。で、僕がどこからそれを仕入れたのかっていうと、テレビの歴史ドキュメンタリー番組でたまたま見たんです。
薩摩藩が幕府を倒せたのは、大量の武器・弾薬を持っていたからだ。そのための資金は、幕府の鎖国政策の目を盗んだ清国との密貿易で蓄えた。そして、その密貿易に一役買ったのが、富山の薬売りと廻船問屋だった――というストーリーでした。
そのときは真偽もよくわからないし、「面白い話があるもんやなあ」と感心したぐらいでした。で、その後に文春の編集者が来たから、酒飲み話のつもりで話しただけなんです(笑)。
ところが、次に来た時は、編集者たちの目の色が変わってました。「こないだの薬売りの話、ぜひとも小説にしてくれ」という。
「俺は歴史小説はあかんねん。書かないんだ」といくら言っても納得してくれへん。僕が嫌だろうがなんだろうが、力尽くでも書かすというような言い方なんですね。

――編集者とスッポンはいちど喰いついたら離れませんからねえ。
宮本 あなたもそのときの編集者の一人ですよ(笑)。
それで僕は昭和二十二年生まれの人間ですので、まだ、富山の薬売りさんを身近で見て知っているんですね。大阪で暮らしてましたけれど、富山の売薬さんが寅さんみたいな大きなトランクを提げて年に二回ぐらい家に訪ねてきては、それまで使ったぶんの薬代をもらい、使った薬を補充して帰っていきました。だから、「こんな商売をやってる人たちがいるんだなあ」って、子供心に覚えていたんですけど、「それを書くの?」と。でも、「まったく知らないものでもないしなあ」と気持ちがちょっと動いたんです。

「有名な人間のことは書かなきゃいいんだ」
で、「もしも書けなくなったら途中でやめるからね」と編集者に宣言してようやく腰をあげることにした。それで、「じゃあとにかく富山の売薬について俺が知りたいことを全部箇条書きにするから、君たちが調べてくれ」と頼んだんです。たとえば、「先用後利のビジネスのシステムはどうやって始まったのか」とか、「売薬さんが行商の旅で泊まる宿はどんな風だったのか、宿代はいくらだったのか」とか、思いつく限りの質問を挙げました。嫌がらせも兼ねてね(笑)。「こんなもん調べられまへん!」って編集者が音をあげるような質問も入れておこうというね。なにしろこっちは上手いこと逃げようと思ってますからね。ところが、全部きっちり調べてきやがったんです。「ちぇっ、どこで調べやがったのかなあ」と舌打ちをしましたよ(笑)。
で、そうしているうちに、なにか面白くなってきたんですね。なにも坂本龍馬だけが幕末を動かしたわけじゃなし、高杉晋作だけが長州を動かしたわけじゃなし、近藤勇だけが新撰組じゃあるまいし。「そんな有名な人間のことは書かなきゃいいんだ」と肚をくくったんです。で、「富山の薬売りたちだけで小説を動かしていくんだ」と心に決めた。「それなら書けるかなあ。ちょっとやってみようか」っていうことで書き出したのが、十年前のことなんですね。
-
『高宮麻綾の引継書』城戸川りょう・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2025/03/14~2025/03/21 賞品 『高宮麻綾の引継書』城戸川りょう・著 10名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。
提携メディア