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「一人の行商人になりきればいいんだ」宮本輝さんが初の歴史小説に手応えを感じた瞬間

「一人の行商人になりきればいいんだ」宮本輝さんが初の歴史小説に手応えを感じた瞬間

宮本 輝

『潮音』刊行記念トークライブ・ダイジェスト#2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #小説 ,#歴史・時代小説

宮本輝さん「なぜ初の歴史小説に挑んだか?」〉から続く

富山市・北日本新聞社ホールにて ©北日本新聞社 上田友香撮影

 宮本輝氏初の歴史大河小説『潮音』の刊行が1月から始まった。小説の主要な舞台となる富山市で1月25日に開かれた、北日本新聞社主催のトークライブのダイジェスト後編をお送りする。
(聞き手=武藤旬・文藝春秋第一文藝部長)(全2回の2回目/最初から読む

発売中の『潮音』第一巻、第二巻。第三巻は3月24日、最終第四巻は4月18日発売予定

◆◆◆

主人公の出身地をどうやって決めたか

 ――富山にも何度も取材に行っていただきました。その際にもっとも印象的だった場所を教えていただけますでしょうか。

 宮本 やっぱり主人公の川上弥一が生まれ育った越中の町ですかねえ。

 弥一は幕末の薩摩藩を担当する売薬行商人でした。薩摩藩は徹底的に浄土真宗の門徒を嫌ったんですが、富山は浄土真宗の門徒がとても多い土地です。「富山から来ました」というと、薩摩に入れてもらえない。

 この経緯は豊臣秀吉の時代に遡るんです。秀吉の九州平定のとき、真宗の坊さんたちが豊臣軍に加担をした結果、島津軍は大敗北を喫したんです。その頃の坊さんは武装した僧兵ですからね。それ以来、浄土真宗は薩摩藩の不倶戴天の敵となり、島原とか天草のキリシタンと同じ扱い。あるいはもっと過酷な弾圧を受けていたんですね。

 ところで越中の中でも八尾は例外的に真宗門徒の少ない土地です。だから「富山ではなく八尾から来ました」と言えば、売薬人はお目こぼしで薩摩に入ることができた。だから、弥一は八尾の人間なんだ、ということにする必要があったんですね。

 八尾出身の川上弥一を主人公にするのに、八尾を書かないわけには行かないから取材に行ったんです。富山市中心部から八尾町までは、いま車ではすぐですけどもね、昔、歩いたら相当な時間がかかったと思う。その道のりを僕も実際に行ったり来たりして、もうついでやから飛騨のほうに行ってしまえ! みたいな。そうしたら、八尾の町からさらに南に下ったところに、なんか小さな集落がありましてねえ。清流が流れていて良い風情なんですよ。「あ。ここに弥一の隠居所でも作ろうかなあ」みたいな(笑)。そうやってちょっとずつ、ちょっとずつ、舞台設定ができていったんですね。

富山・八尾の町で取材中の宮本さん(2014年10月)

 ――「潮音」のもう一つの主要な舞台が、薩摩藩、今の鹿児島県ですね。その九州・鹿児島取材の思い出を教えていただけますでしょうか。

「商人っていうのは、すごいもんだ」

 宮本 今の鹿児島と、僕が『潮音』で書いた頃の薩摩とがあまりに違うということを痛感しましたね。なにしろ今の鹿児島の市街地は、明治以降に錦江湾の埋め立てなどで開発されたものですから。幕末から明治初期の風景を想像しようにも、何も風情が残っていない。

 そんなときにね、薬売りたちが歩いた道を、僕らもいっぺん歩いてみようということで、大分から海岸沿いに日向街道をゆっくり南下していきました。

 その途中、美々津(みみつ・宮崎県日向市)という港町に立ち寄りました。その町でもっとも隆盛を誇った廻船問屋の建物が、歴史民俗資料館として復元されているんです。その展示の中に、「この小さな港町の小さな廻船問屋がなぜ日本中に名を馳せたのか」という理由が書いてありました。

 美々津の背後の山地は、江戸時代から林業が盛んなところです。そこで採れる杉は、船の材料、とりわけ櫓や櫂に使うのにうってつけなんです。飫肥杉を割った時の断面のギザギザが、水を掴まえるのに最適だからだそうなんです。だから日本中の船頭たちが競って飫肥杉を買い求めた。その飫肥杉を大坂や江戸に運ぶことで、日向の小さな町の廻船問屋が、ものすごく大きな商売を全国に広げていったんです。その展示を見たときにね、「商人っていうのは、すごいもんだ」とつくづく感心しました。

宮崎県日向市歴史民俗資料館の前にて

 そうやって考えていくと、やはり商人である富山の薬売りが薩摩に行くことぐらい、彼らにとってみれば簡単なことだったかもしれない。資料を見ると、富山から薩摩まで、だいたい片道三十五日ぐらいかかったそうです。で、薩摩ではたった五日間しか行商できず、また三十五日かけて富山まで戻る。つまり三ヶ月近く家を空けて、ひたすら歩いていたわけです。

©北日本新聞社 上田友香撮影

「海の民」だった富山人と薩摩人のつながり

 現代の僕らから見たら、とてつもなくしんどいことに思えるけれど、彼らはそれを淡々とこなしてたんでしょう。日盛りの日もあれば、土砂降りの日もあれば、風の日もある。それでも行商人は日向街道を薩摩に向けて黙々と歩いていた。僕も同じ道を歩くうち、彼らの背中が、スッと目の前に浮かんできたんです。

その時、「よし、俺は一人の行商人になればいいんだ」と。「その男になりきれば、この小説を書き続けることができるだろう」と、自信のようなものができあがったんです。

 それと日向街道は大半が海沿いですからね。そこを歩いた江戸時代の富山人も日向の海を見て、ふるさと富山の海辺の景色を思い浮かべたと思うんです。日本海を目の前にした富山人は、昔から海の民だと思うんです。薩摩も琉球を経て、海の道で中国大陸につながっている。その意味ではやっぱり海の民です。海の民同士、富山人と薩摩人が心を通わせることもあったのではないか……。そうやって想像していくと血が騒いで、小説の核みたいなものがあの旅の中で僕の中にできましたね。

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