数学は“バトル・ロワイアル”の舞台
最近、数学の学び直しがちょっとしたブームになっているのを感じます。書店で初心者向けの書籍が並んでいるのをよく見るし、大人のための数学教室が開かれたりもしていますよね? このあいだ、テレビで数学の番組をやっていたんですが、なんとお笑い芸人の方が解説を担当していました。
このブームを牽引しているのは数学好きではなく、むしろ学生時代に数学が苦手だった人のようです。私自身も、高校時代に数IIIで完全に挫折して以来、苦手意識を抱え続けています。
おっ、では数IIBまでは行けたんですね。それはなかなかのもんです。僕の妻なぞは数IAで「なに、これ?」と固まったまま今に至っています。
……えーと、見栄を張りました。実は私も数IAで「なに、これ?」と思い、数IIBで本格的に躓いて、そのまま終わってしまっています。ウチの高校の先生は謎に熱血で、授業で「群」まで扱うものだからワケが分からなかったです。
高校生に「群」を教えるとはすごいですね。僕の高校にもクレージーな数学の先生がいて、授業でコルモゴロフの確率論の定式化をやったんですよ。「まずはルベーグ積分論から始めよう」とか言って。ね、ムチャクチャでしょ?
なに言ってるのか分かりません。
ハハハ、妻にもよくそう言われます。
数学好きの人って大体、どうせド文系には分かりっこないと思って「この数式は美しい」とか「私の推し素数はこれだ!」とか言って数学を語りますよね。ド文系の私は「ケッ、ド文系で悪かったね」と悪態をつく一方で、中学までは授業が楽しかったんだよなあとも思うんです。方程式が綺麗に解けるのは気分がスカッとしたし、図形に補助線を引くのも好きでした。それが高校に入ってからは、三角関数やら微分・積分やら、複素数やら未知の概念がどんどん増えていって……頭がパンクしてしまったんです。
なんか怒ってます? でも実は、その多様性こそが「数学」という学問の特徴なのです。
中学や高校で習った数学を思い出してみてください。最初は数から始まり、次に図形や空間を扱い、さらには関数やベクトル、数列や確率まで詰め込まれていましたよね。もっと踏み込んでいくと、「数理論理学」といって、数学の理論を展開する際の論理の基礎を学ぶ分野もあります。また、最近はプログラミング言語もかなり数学チックになってきている。このように数学は、多種多様な領域の学問がごっちゃに入り乱れて異種格闘技戦を繰り広げている、まさに“バトル・ロワイアル”の舞台となっているのです。
これは、ほかの学問には類を見ない多様性ですね。物理学もけっこう領域が広い学問ではありますが、宇宙とか物体とか、何かしらの「物」についての学問ですという説明の軸がある。生物学だったら、生命現象の謎に迫っていく学問。化学だったら、物質を構成している仕組みにメスを入れていく学問。宇宙科学だったら、地球の外に広がっている宇宙空間について探究する学問だと説明できますよね。そのなかで数学だけが、何についての学問なのか、バシッと一言で説明できる軸がないのです。
どうしてそんなことになってしまったんですか!?
やっぱり怒ってますよね?
私は、これは歴史的な偶然が生み出した結果なんじゃないかと思っています。例えば、江戸時代にペリーの黒船が来航し、幕府は長らく続けていた鎖国を解いて開国へと向かいましたよね。でも黒船来航は宇宙の必然だったのかと言えば、そうではない。黒船が日本を訪れなかった歴史だってあり得たわけです。それと同じように、数学史においてもひょんな出来事が積み重なっていき、今の数学が作り上げられたのではないでしょうか。
数学も最初は単純に、「数」についての学問だったのかもしれません。それが、時間が経つにつれて別の要素がどんどん加わっていった。
例えば、度量衡について考えてみましょう。古代の人間が家を建てたり農地を区切ったりするとき、最初は長さを1、2、3……と単位で数えるような、安直なものの測り方しかしていなかったと思うんです。でもそうしているうちに、たとえ「数」でバシッと書けなくても、「量」を考えるのは大事なんだということに気がついた。そこから平面図形の面積、立体の体積なども、数学の分野に加わったのでしょう。
では、数と図形は必然的に学問として融合されなければならなかったのか? 数学史を見る限り、そんな感じもしなくて。数と図形をそれぞれ別の学問として発達させるとか、図形の学問を優先的に発達させることによって数を理解しようとする、といった様々な試みがなされたこともありました。まあ、結局どれも長続きはしなかったんですけどね。
結局、様々な偶然が積み重なって、数学は多様なものを内包する学問に進化していったのではないでしょうか。
えーー、ということは、もし、いろんな偶然が別の方向に作用すれば、数学が「図形の学問」や「数の学問」など、複数の学問に分かれていくこともあり得たわけですか。
そうですね。図形だけを学問の領域とする図形学とか、関数だけを追究する関数学とか、それぞれまったく別の学問になってもおかしくなかった。今は数学が得意な人と苦手な人にキッパリ分かれてしまっていますが、もしかすると「私は図形学の成績は良いけど、関数学は苦手です」みたいなこともあり得たわけです。
まずは「数」から始めてみよう
それはもったいない! 「数学」という言葉を単純に分解すると、「数」を「学ぶ」ということになりますが、かなり奥の深い学問だということが改めて分かりました。やっぱり、私には難しいかも……。
急に弱気になりましたね。でも、数学を学び直したいのであれば、「数」から始めるのは悪くないかもしれませんね。一番身近なものですし、誰でも簡単に理解できるので。というわけで、この本では主に「数」について扱っていきましょう。
手始めと言ってはなんですが、あなたには好きな数がありますか。
3ですっ。
即答ですね。どんだけ好きなんだか。
3ってちょうどいい数だと思うんですよ。「3人よれば文殊の知恵」「仏の顔も3度」「石の上にも3年」……ことわざや熟語にも多く使われていますよね。2だと何かもの足りない。
「3年目の浮気」というのもありますね。確かに2年では早過ぎるような気がします。
3といえば、落語家の桂三度さんはかつて「世界のナベアツ」として、3の倍数と3が付くときだけアホになる芸で一世を風靡しました。そこで僕は、3の倍数と3が付く数を「ナベアツ数」と名付け、1から10のn乗の間にナベアツ数がいくつ現れるか、その個数を求める公式を作ったことがあるんですよ。私はこれに「quasi-Nabeatsu function」、すなわち準ナベアツ関数という名前をつけました。
数学者がお笑いのネタをガチに定義したんですね。
あ、今「ようやるわ」と思いましたね。
いえ、加藤先生ならやると思います。数学を親しみやすいものにしようという試みですよね。やっぱり先生も3が好きですか?
巷では、僕は91が好きだということになっています。2019年に『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』(角川ソフィア文庫)という本を出したのですが、100までの素数の一覧のなかに91を入れてしまったんですよ。これは大変なミス。91は7と13で割り切れるから素数ではないんですよね。2刷目以降は一覧から削除しましたが、あれ以来、「91はブンゲン(文元)素数」と揶揄されています。でも、私はそんなに悪い気はしていません。91はやっぱり私の推し素数です(素数じゃないけど)。
話をもとに戻すと、数には人それぞれにこだわりがありますよね。ラッキーセブン、七福神などの影響で、7が好きだという人は多いです。末広がりで縁起がいいという理由で8(八)も好まれますよね。逆に、嫌われやすい数は4。死を連想させるからでしょう。
ただ、4を肯定的に捉える国も存在します。ドイツの友人宅を訪ねた際、お土産に塗り物のお椀のセットを持参したことがありました。セットは5客あったのですが、友人は箱を開けた途端、「なんで5つなんだ?」と怪訝な顔をしました。ドイツでは1セットは4個の方が自然なのかもしれません。彼らは奇数よりも偶数のほうが好ましく感じるわけですよ。逆に、13はキリスト教圏で忌み嫌われており、絞首台にあがる階段の段数は13だなんて話もありますが、日本ではそんなに気にされない。数に対する親しみは、国や文化によって異なるということですね。
ここまでの話だけでも、人間は数と共に生きていることがよく分かります。
数学のド文系的楽しみ方
お話を伺ううちに、すっかり数というものに親しみを覚え、数学もそんなに嫌いではないのかもと思い始めました……が、ド文系の人間としてはまだコンプレックスを拭いきれません。
いえいえ、敢えて文系と理系を分けて言うなら、数学には文系的な楽しみもあるのですよ。僕がそれにはっきりと気づいたのは、2010年に『ガロア 天才数学者の生涯』(角川ソフィア文庫)という本を書いていたときです。
エヴァリスト・ガロア(1811~1832)は、10代にして後の数学界に大きな影響を与える大理論を打ち立てたフランスの数学者です。彼は20歳の若さでこの世を去っているのですが、その原因はなんと決闘によって負った傷だということでした。
ガロアの生涯を描くに当たってはまず、彼が暮らしていたパリの雰囲気を知りたいと思いました。パリは19世紀後半にオスマンという当時のセーヌ県知事が大改造をおこない、現在のような花の都になった。ガロアが生きていたのは19世紀の前半ですから、当時のパリは今とは街の様子が全く違うはずでした。そこでヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』、スタンダールの『赤と黒』など、当時のフランス文学を読みまくっていると、当時のパリの雰囲気が感覚としてだんだん分かるようになりました。
そうすると次に、決闘するという感覚が知りたくなった。決闘なんて現代の我々はしないですよね。だから、全く想像がつかなかったわけです。そこで決闘に関するいろいろな歴史書を読みこんでいくと、当時のフランスでは、若者による決闘は日常茶飯事だったことが分かりました。
では、ガロアの決闘はどこで行われたのか。文献を調べると大まかな場所は特定できます。現地に赴いてそのあたりを歩いてみると、起伏に富み、かなり複雑な地形になっていることが分かりました。昔はここに川が流れていたのだろうか……とか、歩いていると様々な疑問が湧いてきて、当時の街路図を見たくなった。ところが、オスマンの大改造があったこともあり、昔の街路図がほとんど残っていないんですよ。それでもいろいろと調べてみて、地図が残っているところを突きとめた。パリ市最古の博物館であるカルナヴァレ博物館(カルナヴァレ─パリ市歴史博物館)に、畳1畳分ほどもあろうかという大きくて詳細な街路図が何十冊も保管されているというんですね。
しかし、街路図を見るためには、博物館の会員になる必要がある。会員になるためには推薦をもらわなければならない。あちこち奔走し、推薦をもらって会員になり、ようやくその街路図に辿り着くことができた。それを眺めるのはとても楽しかったですね。博物館に篭って一日中眺めていましたよ。
そのときです、ふと思ったのは。「僕は今、数学を楽しんでいる」。フランス文学を読み漁ったことも、決闘について調べたことも、当時の街路図を調べにパリまで来たことも、博物館の会員になったことも、全部数学の楽しみだった。数学というのは、これだけ幅広い、思いもかけない楽しみ方をたくさん用意してくれているものなんだと感動しました。
私もじーんときました。
数学というのは結局、人間が作り出したものですから、その楽しみ方も非常に人間くさいのです。では早速、数学の世界にどっぷりとつかっていきましょう。
「はじめに 加藤文元vs.ド文系の編集者」より
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