
- 2025.04.14
- 文春オンライン
中には「妊娠した不倫相手を捨てる男」「恋人に精神的DVする男」も…大阪・ミナミの“姉妹芸人コンビ”を取り巻く人間関係
松井 ゆかり
松井ゆかりが『ミナミの春』(遠田潤子 著)を読む

実際の本が刊行された後に言うのも後出しジャンケンのようだが、私はずっと著者にお笑いを扱った小説を書いてもらいたいと思っていた。大阪出身の作家だからという短絡的な理由ではない(いや、ちょっとあるかも)。遠田作品はこれまで明るいイメージとは縁がなかった気がするし、笑いという要素と結びつける人はあまりいなかったのではないか。このように素晴らしい形で希望が実現し、我が意を得た思いだ。
本書は大阪・ミナミを舞台にした連作短編集。物語の中心にいるのは、姉妹お笑い芸人「カサブランカ」のチョーコとハナコ。彼女たちと関わりのある者たちそれぞれの思いが、細やかに綴られる。
例えば1話目の「松虫通のファミリア」は、娘・春美の忘れ形見である孫娘を引き取りに行く高瀬吾郎が主役。吾郎の妻・美恵は春美が5歳の頃に病気で亡くなった。自分が果たせなかったピアニストになる夢を春美に託し、毎年ピアノの発表会で着るようにと15歳になるまでのファミリアのワンピースを遺して。
ファミリアとは、かわいさと上品さを兼ね備えた子ども服のデザインが長く人気を誇っている神戸発祥の老舗ブランドだ。美恵の我が子への愛情は本物だったと思うし、美しいエピソードでもある。もしも春美が、何の抵抗も感じることなく母親の望み通りにワンピースを着て舞台に立ち、ピアニストを目指す娘に育っていたのであれば。しかし、春美の演奏技術では出場したコンクールを勝ち抜くには至らず、彼女の将来の目標はお笑い芸人に向かうことになった。美恵と似た面影のある、チョーコのような漫才師へと。
遠田作品ではおなじみの、意識的・無意識的に相手を傷つける人物は随所に登場する。恋人への精神的DVに及ぶ男も、妊娠した不倫相手を捨てる男も。チョーコやハナコにしても、決して完璧な人間ではない。
しかしそこにお笑いの気配が漂っていると、攻撃的だったり不穏さに満ちていたりというひたすら重い物語とはひと味違ってくる。突き放したような態度に隠れたチョーコの優しさや、かなしみに蓋をして笑ってみせるハナコの包容力が、登場人物たちの助けになっている。同時にチョーコやハナコも、彼女たちを取り巻く人々に支えられてもいるに違いない。仲違い、裏切り、誤解……負の要素が含まれつつも、未来への希望につながる作品にもなっていることにぐっときた。
叶わない夢もある。こんなはずではなかったと後悔に苛まれることもある。けれども、そんな日々を越えて私たちはいまここにたどり着いた。さまざまな痛みや苦しみが消え去ることはなくても、ただ生きてここにいるだけで十分よくやっているじゃないか。そう教えてくれる『ミナミの春』は、遠田潤子の新境地でありながら、同時に著者ならではという小説でもある。
とおだじゅんこ/1966年、大阪府生まれ。2009年『月桃夜』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。20年『銀花の蔵』が直木賞候補に。『雪の鉄樹』『オブリヴィオン』『紅蓮の雪』『冬雷』『人でなしの櫻』『イオカステの揺籃』『邂逅の滝』など著書多数。
まついゆかり/1967年、東京都生まれ。書評ライター。「本の雑誌」4月号に読み物作家ガイド「遠田潤子の10冊」を寄稿。