
城戸川(きどかわ)りょうさんのデビュー作『高宮麻綾(たかみやまあや)の引継書』が大きな反響を呼んでいる。本作は第三十一回松本清張賞の最終選考会で次点となるも、刊行を望む声が相次ぎ、発売が決定した話題の一冊。選考委員として強く推した森絵都(もりえと)さんをゲストに迎え、作品の魅力に迫るトークイベントが開催された。
◆◆◆

森 作家デビューおめでとうございます。松本清張賞の選考で「高宮麻綾の引継書」を拝読したとき、とても完成度の高い作品だなと感心しました。かなりの分量があるにもかかわらず、読者を飽きさせないスピード感があり、登場人物の描き分けも素晴らしかったです。
城戸川 ありがとうございます。小学生の頃に森先生の『カラフル』を愛読していた身としては、選評に「一推しした」とまで書いていただき、更にこうしてお話しできるなんて感無量です。
森 本作は食品系の商社が舞台のお仕事小説ですが、主人公・高宮麻綾がとにかく暴れん坊で魅力的ですよね。親会社にも直属の上司にも暴言を吐くし、イライラすると貧乏ゆすりと舌打ちをするという強烈な女性です。選考会では「城戸川さんはどんな方なのだろう?」と話題になったのですが、実際にお会いすると、非常にナイスガイで。個性的な主人公はどのように誕生したのでしょうか。
城戸川 「高宮麻綾みたいな人と働きたくない」という趣旨のコメントをされた選考委員もいらっしゃったと聞きましたが、正直僕も「そうだよな」と思っています(笑)。麻綾は、三人の人物をモデルにしていて、その人たちの良い部分も悪い部分もドッキングして作ったんです。自分の好きなことに対して脇目も振らずに突進していく部分は私自身を、怒りを原動力に進んでいく部分は入社時に私の指導員だった先輩を、どんなに横槍が入ってもくじけず立ち上がる部分は、グループ会社の方を投影しています。
森 麻綾は、勢いよく突き進んでいく一方で、自分自身に対して不安も抱えてますよね。友人の出産報告を素直に喜べなくて、自分の器の小ささに落ち込むシーンなど、私にはとても印象的でした。
城戸川 今の時代はSNSの影響もあり、自分より人生が上手くいっていそうな人の姿が簡単に目に入ってきます。僕自身も、昇進や海外駐在や出産など、どんどん人生の駒を進めていく同期たちを横目に「自分は一体なにをしているんだろう」とモヤモヤしていた時期がありました。こういった感情は誰でも持ちうると思うので、人間臭さみたいなものを麻綾に落とし込みたかったんです。

森 麻綾は激しい性格の持ち主ですが、物語が進むにつれてどんどん応援したくなります。その変化の描き方もとてもお上手ですよね。また、選考で応募作を読んだときと、本で読んだときとでは、麻綾の印象が少し変わりました。彼女の魅力の本質は変わらないのですが、いっそう好感を持ちました。かなり改稿されたのでしょうか?
城戸川 応募原稿では「高宮麻綾=怒り」というイメージが強かったので、和らげるように工夫しました。舌打ちの数を減らしたり、粗野な言葉遣いを直したり。ただ、調整しすぎると丸くなって、彼女らしさがなくなるというジレンマが生まれ……じゃあ少し舌打ちの数を増やすか、と書き足したりしました(笑)。
森 造形以外にも、全体的に情報の整理がされて読みやすくなっていました。
城戸川 過去の事件の鍵を握る作中作のようなパートも、物語に必須な部分だけを残して、全カットしました。応募時に「ここでサラリーマンの悲哀を表現するんじゃあ!」と気合を入れて書いた箇所だったので、削るのにはかなり勇気が要りましたね。
大学四年で受けた衝撃
森 城戸川さんは現役商社マンで、お仕事をしながらご執筆されたんですよね。本作はご自身の経験がベースになっているのでしょうか。
城戸川 作中に出てくる仕事そのものは、経験のない分野なんです。私が会社の業務で得た知識をそのまま作品に活かすと、情報漏洩になってしまうので、かなり注意しました。ただ、仕事を通じて得た楽しさ、しんどさ、ムカつきといった感情は、がんがん反映しています。
森 「引継書」というモチーフも良いですよね。
城戸川 私の会社は部署異動が頻繁にあるので、後任に向けて引継書を書く機会が多いんです。ここで濃い内容をどれだけ多く書けるかが結構重要で、自分がやってきた仕事の成績表のような意味合いもあります。周囲のサラリーマンたちにも、引継書については一家言ある人が多く見受けられますね。
森 この小説では、会社における人間関係の機微も大きな魅力なのですが、一方でミステリ色も濃いですよね。
城戸川 最初はミステリとして書き始めました。実は、私が残業をしていたときに、何十年も前の古い引継書を見つけたことが着想のきっかけでした。黄ばんでいて、端がボロボロになった引継書だったのですが、「もしここに重大なメッセージが込められていたら面白いんじゃないか」と思いつきました。ただ、書き進めていくうちに、ミステリ要素のみで物語を牽引するのは難しいなと思い、お仕事小説の色を濃くしていきました。

森 書きながら苦労された点はありましたか。
城戸川 執筆時間の確保ですね。土日はすべて執筆に費やして、会社のお昼休みにも書いていたのですが、とにかく時間が足りなくて。ドイツ出張に向かうため、空港のラウンジで待機していたとき、第五章のアイデアが浮かんだんです。締切の一週間前だったので、今書かないと! と思って、飛行機の中で一気に八十枚書き上げました。あの出張がなかったら、今僕はここにいません(笑)。
森 すごい速さですね! お仕事で毎日お忙しいと思うのですが、そもそもなぜ小説を書こうと思われたのですか。
城戸川 大学四年生のとき、大学同期の辻堂ゆめさんが『このミステリーがすごい!』大賞に入選し、大学の総長賞を受賞されて、大きな衝撃を受けたんです。当時の僕は、就活も無事に終えて一息ついていたのですが、辻堂さんのことを知って、どうして自分は小説が好きなのに在学中に書くことに挑戦しなかったのだろうと激しく後悔したし、現状に満足している自分が情けなくなったんです。
森 小説を書き始めてからどのくらい経ちますか?
城戸川 社会人二年目の終わりから小説教室に通い始めたので、七、八年になりますね。私は長篇小説を中心に書いてきたのですが、森先生の作品のなかでも『風に舞いあがるビニールシート』や『出会いなおし』などの短編集が大好きです。『風に舞いあがるビニールシート』では、美濃焼、犬、UNHCRなど、色々なテーマが出てきますよね。もともとご存知だったことが多いのか、書きたいことを思いついてから調べるのか、どういう流れでお書きになったのでしょうか。


森 調べなくても書けることもありますし、書きながら必要なことを調べるケースもあります。『風に舞いあがるビニールシート』の「鐘の音」を書く際には、京都にある仏像の修復工場へ見学に行って、詳しく教えていただきました。
城戸川 『高宮麻綾の引継書』では、改稿段階で酵素について専門家の方にお話を伺いました。応募原稿のある設定について「ほぼありえない」とご指摘を受け……なんとか力業で修正しましたが、あの瞬間は真っ青になりました(笑)。森先生は取材をされる際、どんなことを意識されていますか。
森 取材相手が何を言うかよりも、その方の佇まいを見るようにしています。また、私の経験上、分からないことは「分からない」と素直に質問すると、フランクに答えてくださる方が多いです。
新人作家へのアドバイス
城戸川 デビューは作家人生のスタートに過ぎなくて、ここからが本番だと思っているのですが、これまでを振り返られて、やってよかったことや、逆にやめてよかったことはありますか。
森 よかったのは、マイペースに書き続けたことです。執筆ペースは人によって全く異なります。自分と周りとを比べて焦り苦しむ人をたくさん見てきました。私は書くのが遅い方なのですが、自分なりのペースを守ってきたことは良かったなと思っています。やめてよかったのは、エゴサーチですね。
城戸川 ああ、毎日やっています……。
森 最初はどうしても気になりますよね。私も以前は新刊が出るたびに検索していました。でもあるころから、感想を書き込んでくださる方もたくさんいらっしゃるけれど、自分の胸のなかに秘めている方のほうが多いはずだと考えるようになったんです。ネット上の声が全てではないということを頭の片隅に置いておくとよいのではないかと思います。
城戸川 実は『高宮麻綾の引継書』は今年の秋に続編の刊行が決まりまして、今まさに書いているところなんです。
森 とても楽しみです。私の場合、二作目が一作目の続編だったので、デビューの余熱で書けた気がするんです。小説家は三作目が勝負だ、なんて言われますし、デビューから少し経ってから、つぎに何を書くのかも重要かもしれません。ただひとつお願いしたいのは、二作目は一作目を超えていってください!
城戸川 頑張ります! 最後に、私にアドバイスを頂けますでしょうか。
森 作家人生、調子の良いときもあれば、悪いときもあるはずです。特に、思うように書けないときに締切が控えていると本当に苦しい。何回書き直しても納得がいかず、結局最後まで良いと思えないまま締切が来ることもあります。でもなぜか、苦労した作品ほど、評判が良かったりするんです。もしかしたら苦しみぬくことで、文章にえもいわれぬ味わいが出るのかもしれません。私はそれを「苦しみ汁」と呼んでいます。調子が悪いときは「苦しみ汁を出すチャンス」と前向きにとらえて乗り切っていただきたいです。逆に、調子が良いと油断してしまいがちなので、気をつけてくださいね。
城戸川 苦しみ汁を味わえるように精進します。今日は本当にありがとうございました。
(二〇二五年三月十五日、紀伊國屋書店新宿本店にて)

森絵都(もり・えと)
一九六八年生まれ。近著に『獣の夜』等。第二十八回より松本清張賞選考委員を務め、今回をもって退任。
城戸川りょう(きどかわ・りょう)
一九九二年山形県生まれ。山形県立山形東高校卒業。東京大学経済学部卒業。商社勤務。
写真◎今井知佑
提携メディア