カネの問題じゃない。
これはエンジン・メーカーとしての、
夢とプライドの問題だ。
『下町ロケット』
池井戸潤はまず何から読めばいいか。
難問である。
池井戸作品は「半沢直樹」から『ハヤブサ消防団』まで、ほぼすべてが映像化されており、書店の店頭では365日、カラフルな映像化帯とかキャッチーな売り文句とともに大展開されている。いったいどれを買えばいいのか、と、初心者が途方に暮れるのも無理はない。もちろん池井戸潤は日本で最大級のベストセラー作家だから、どれを手にとってもハズレはないのだけれど、「どれでもいい」と言われると、悩みに悩んで何も買わずじまいになってしまうのが人情である。
だから私は敢えてこう言おう。
最初に読むなら『下町ロケット』であると。
何より本書は日本の娯楽小説に与えられる最高の文学賞、直木賞を受賞している。ご存じの通り、阿部寛主演で〈TBS日曜劇場〉の一作としてドラマ化され、大いに話題にもなった。つまり本書は池井戸潤の「出世作」なのだ。
迷ったら本書から。と、まず申し上げておいて、話をはじめたい。
『下町ロケット』は、題名通り、「下町」と「ロケット」が直結する話である。下町の町工場が、国家的プロジェクトたる宇宙開発の一翼を担おうとする物語だ。
主人公は町工場〈佃製作所〉の社長・佃航平。物語は、彼の経営する工場がいきなり窮地に追い込まれるところからはじまる。小型エンジンを得意とする同製作所は、部品を納入していた京浜マシナリーに、突然取引の終了を告げられてしまう。大口取引先を失い、倒産の可能性を危ぶんだ佃は銀行に追加の融資を求めるが、拒絶されてしまう。危機はそれだけにとどまらない。ナカシマ工業という大手メーカーが、佃製作所を相手に特許侵害の訴訟を起こしたのだ。特許申請の不備を突く訴訟を長引かせることで経営状態を悪化させ、安値で買収するのがナカシマの狙いだった。訴えられたことで顧客も離れてゆき、佃製作所はジリ貧に追い込まれてしまう――。
この二重の危機をいかにして克服するか、が本書前半の山。そこを越えて後半に入ると、いよいよ「下町」と「ロケット」が交差することになる。大企業・帝国重工が国家的プロジェクトとして推進する国産ロケット開発計画に、佃製作所がどのように参画してゆくのかというのは、読んでのお楽しみ。ネタバレをしないように言えば、本書は「夢」と「現実」の戦いの物語なのである。
そもそも本書序盤で降りかかる危機も、すべて「夢」に端を発している。
主人公・佃航平は夢を追う男だ。父のあとを継いで佃製作所の経営者となるまで、宇宙科学開発機構の研究員としてロケットエンジン〈セイレーン〉の開発をしていた。だが開発に携わったロケットが打ち上げに失敗、佃は失意の中でロケット開発の現場を去ったのである。だがそれでも彼は宇宙とロケットへの夢を捨ててはいない。〈セイレーン〉の失敗の原因はエンジンのバルブシステムの欠陥にあった。だから挫折を克服すべく、社業の一環としてバルブの研究開発をつづけていたのだった。それが彼の「夢」だ。
だが研究開発には資金が要る。そもそも町工場がロケットエンジンの技術を磨いたところで、ビジネスとして活かすことなどできるのか。銀行が佃製作所への融資を断ったのはそのせいである。使いみちのない(かもしれない)研究開発に資金をつぎこんでいることを銀行は問題視した。佃の夢は分不相応だというわけである。ナカシマ工業から訴えられたことで、「夢」を追う余裕はますますなくなってゆく。経理マン・殿村は佃に言う、「夢を追いかけるのは、しばらく休んではどうですか」と。
夢とビジネスの相克。もちろん私たち読者が願うのは「夢」が勝利することだ。しかし私たちは、「夢」なんてものは世知辛い現実では通用しないものだと思っている。京浜マシナリーもナカシマ工業も、私たちの「夢」を折る「世知辛い現実」の象徴だ。そんな強敵に勝てるはずなんてない。私たちは経験的にそう信じている。
主人公に勝ち目なんてないと読者に思わせられるかどうか。ここがエンタメ物語のキモである。それがサスペンスとスリルの源泉だ。敵は強くなければならない。池井戸潤は、「現実は非情で理不尽である」という私たち読者の思い込みを逆手にとって、「敵」の強さに説得力を与えているのである。
すぐれたエンタメを成立させるのは「夢」と「現実」のバランスなのだと言い替えてもいい。主人公たちが簡単に勝利してもいけない。説得力のある勝利には説得力のある戦術が要る。エンタメ物語の作者は、そこに全精力を注ぎ込むものなのだ。池井戸潤も、もちろんそのひとりである。
私たちが生きている社会は、ただ敵を殴り倒して済むような社会ではない。さまざまなルールが張り巡らされたなかで、悪いやつらを倒すためには周到な仕掛けが要る。だからこそ「特許」に関する訴訟があり、「バルブ」をめぐる暗闘があり、「ロケット」がある。その逆ではないことに注意。そうしたディテールは「主」ではないのだ。これらは「従」であり、私たちが生きるこの世界で痛快な物語を実現するために――「夢」を「現実」と共存させるために――池井戸潤が周到に選び抜き、作中に仕掛けた道具なのである。
つまり『下町ロケット』は、普遍的なエンタテインメントの痛快さを、工夫に満ちたディテールと作劇で描き出した小説だということになる。ゆえに直木賞受賞は納得であるし、それゆえに「出世作」であるわけなのだが、私はさきほどからずっと、「出世作」と、カギカッコをつけて書いてきた。なぜか。
ここでちょっと寄り道をして、本書に至る池井戸潤の足取りをおさらいしたい。
池井戸潤は、一九九八年に『果つる底なき』で第四十四回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。同作は銀行を舞台としたミステリだが、前年にも応募していた池井戸は、その落選の反省を踏まえ、銀行員だった自身の経験を反映して書いたのだという。以降しばらく、池井戸潤は「銀行ミステリ」を発表する。『M1(文庫化に際して『架空通貨』と改題)』『最終退行』『株価暴落』『金融探偵』など、いずれも銀行員時代の知識と実感をベースにミステリを組み立てるという流儀で書かれている。
のちに『半沢直樹』としてドラマ化された『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』も同時期の作品で、これらもミステリのプロットが物語の骨組みになっている。乱歩賞出身作家である池井戸潤が「ミステリ」にこだわりを持つ作家であることは、もっと注目されていい。ちなみにこれら初期作品では『架空通貨』が要注目。企業城下町で流通する金券の発行元である企業が破綻したらどうなるか、というアイデアを徹底的に突きつめ、世界的にも稀にみる金融スリラーの傑作に仕上げている。
だが、そんな作風に二〇〇六年、転機が訪れる ――大作『空飛ぶタイヤ』の発表である。この作品もミステリやスリラーのプロットを活用したものだが、しかし、もっと間口の広い物語性=ドラマ性が前面に押し出されているところがポイントだ。
直木賞受賞に際して書かれたエッセイ「田舎育ちの乱歩好き少年」(オール讀物二〇一一年九月号)によれば、自身の小説が書店で「企業小説」の棚に入れられてしまうことに不満を抱いていた池井戸は、「そんなに企業小説の棚に入れたければ、企業小説を書いてやる」と開き直って、『空飛ぶタイヤ』を書いたのだという。
そんな経緯で生まれた同作は、池井戸潤にとって初の直木賞候補作となった。同じ作風は二〇〇九年の長編『鉄の骨』にも引き継がれ、こちらも直木賞候補となる。そして二〇一〇年の『下町ロケット』で、ついに受賞に至る。
つまり、この三作はひとつのカタマリで見るべきなのだ。いわば“タイヤ/鉄/ロケット”三部作である。もっといえば、池井戸作品の変化を告げた作品ということであれば、『下町ロケット』よりも『空飛ぶタイヤ』のほうがふさわしい。だから先ほどから『下町ロケット』について、「出世作」とカギカッコ付きで書いてきたのである。
ただ三部作の最終作『下町ロケット』が、完成度という点でベストなのは間違いない。『空飛ぶタイヤ』は、七十人もの人物が登場し、複数のドラマが並行する群像劇で、物語世界のスケール感と重層性では三部作随一、もっともリッチな質感を持つ。一方『鉄の骨』は、主人公の公私にわたる難題を一本の軸にして(同作の帯の「会社がヤバい。彼女とヤバい。」という秀逸な文言が、そのあたりを見事に表現している)、きりりとタイトに引き締まった仕上がりとなっている。そしてそれらを踏まえた『下町ロケット』は、双方のいいとこどりと言うべきか、ドラマの重層性とストーリーの推進力とが理想的なバランスとなった――これが新・池井戸小説の完成だ。
さきほど紹介したエッセイで、池井戸潤は“タイヤ/鉄/ロケット”三部作を「企業小説」と見なしていたが、この三部作はそういった「ジャンル」に押しこむべき作品ではない、という点でも共通している。むしろ、そのようにして細かなジャンルに分類されることを拒否する佇まいこそが、三部作を貫く重要な性格なのではなかろうか。
エンタメ小説の発展は、無数のサブジャンルを生み出した。「銀行ミステリ」も「企業小説」もそれである。あるいは医学サスペンス、日常の謎ミステリ、サイコ・スリラー、お仕事小説、リーガル・サスペンス、特殊設定ミステリ、お料理小説……こうした細かなジャンル分けは、膨大で多様な小説たちを前に途方に暮れる私たちにとって、自分のニーズに応える物語を探す指標として便利なものではある。
だがしかし。
細かく枝分かれする以前の、太く力強い「幹」のような物語がかつてはあった。「銀行ミステリ」というサブジャンルを脱して池井戸潤が生み出した『空飛ぶタイヤ』こそが、それなのではなかったか。同作が俎上に上がった直木賞の選考委員だった井上ひさしは選評でこう書いている――「まことに古典的な物語設計だが、しかし細部が新鮮である」。宮城谷昌光も「けれんなくひた押しに押す筆致に好感をもった」と書く。
古典的で、けれんなく。つまりエンタメの本道だということである。
その試みの延長で、『下町ロケット』は書かれた。本書は池井戸潤の最初の「完成」であり、『空飛ぶタイヤ』にはじまる「第二期・池井戸潤」の代表作である。
直木賞受賞の二年後の二〇一三年、『オレたちバブル入行組』と『オレたち花のバブル組』を原作としたTBS日曜劇場『半沢直樹』が放送される。このドラマは記録的な視聴率を叩き出し、作中の台詞「倍返しだ」は流行語にもなる。その一方、二〇一二年に『ルーズヴェルト・ゲーム』『ロスジェネの逆襲』、二〇一六年に『陸王』と、第二期の傑作群が着実に送り出されていた。それが映像化のもたらした熱狂と嚙み合って、池井戸潤を国民的ベストセラー作家へと押し上げていったのである。
本書の続編、『下町ロケット ガウディ計画』も、そうした第二期の傑作のひとつである。佃製作所の戦いと挑戦は、まだ続く。