本書は『ボーン・コレクター』『ウォッチメイカー』などで知られるジェフリー・ディーヴァーが、法執行官からミステリー作家に転身したイザベラ・マルドナードと共作したシリーズ第一作Fatal Intrusion (Thomas & Mercer, 2024) の全訳です。
シリーズ化が予定されている本書には、ディーヴァーのリンカーン・ライム&アメリア・サックスのコンビを彷彿させる魅力的なコンビが登場します。
ひとりめは国土安全保障省・犯罪捜査部の捜査官カーメン・サンチェス。FBIをとある事件をキッカケに退職し、国土安全保障省の捜査部門に移った女性です。熱血で行動的なサンチェスには妹セリーナがおり、この妹にふりかかった事件で、本書『スパイダー・ゲーム』は幕を開けます。
セリーナがナイフを持った男に襲撃されたのです。かろうじて難を逃れたものの、悲鳴を聞いて助けに駆けつけた男性が犯人に執拗に刺されて重傷。犯人は犯行直前にカフェでセリーナに声をかけていて、最初からターゲットを彼女に定めていたようでした。妹の身を案じるサンチェスは地元警察に警護を要請するも反応は鈍く、捜査も手ぬるいのではないかと憤った彼女は事件を独自に追い始めます。手元にある手がかりは犯人の遺した携帯電話。しかしそこに入っているファイルは巧妙に暗号化されていて、警察のラボでも容易に開けなかった……。
そこでサンチェスの脳裡に閃いたのが、本書のもうひとりの主人公、ジェイク・ヘロンです。ヘロンはセキュリティコンサルタントとしてサイバー攻撃などの防御策を講じる一方、大学教授として「侵害」をキーワードにして現代社会のセキュリティを論じ、そして敏腕のハッカーでもありました。ヘロンとサンチェスのあいだには過去の因縁があるのですが、ヘロンはサンチェスの頼みを承諾、ファイルを見事に開けてみせます。するとそこにあったのは、セリーナの写真と、前日に殺害された不動産業者の写真でした。事件は連続殺人だったのです。
こうしてサンチェスとヘロンの探偵コンビが成立、ふたりはお互いの得意技を活かして犯人である「蜘蛛のタトゥーの男」を追いはじめます。犯行は続き、事件にまつわる謎も増えてゆく――なぜ現場が南カリフォルニア全域に散らばっているのか、年齢も職業もバラバラな被害者をつなぐ線は何か?
犯人が何者なのかは、開始早々の四十八ページ、第5章でさっそく明かされています。その名はデニソン・ファロー。ファローが獲物を狙い、捜査の裏をかき、犯行に及んで逃走するプロセスがたっぷり描かれ、共犯者たちとのやりとりや謀議のさまも明かされています。――と書くと、単なる犯人と捜査官の鬼ごっこの物語に見えるかもしれません。もちろん、そうした「鬼ごっこ」も、スリラーの王道というべき面白さを持つわけですが、本書の著者のひとりは〈ドンデン返しの魔術師〉ディーヴァー。それだけでは終わりません。犯人であるファローの動きが見えるからこそ、そのゲーム性が際立つのです。なぜなら私たち読者には、犯人と探偵双方の動きが一望できるからです――まるで名手同士のチェスの試合を見るように。
名犯人と名探偵の頭脳戦――本書の中にも「マインドゲーム」というそのものずばりの言葉が出てきます――は、ジェフリー・ディーヴァーが『ボーン・コレクター』『ウォッチメイカー』などリンカーン・ライム・シリーズの傑作で突きつめてきたものでした。追う者と追われる者が知力を尽くして戦う知的スリルはディーヴァーの作品の醍醐味で、本書も例外ではありません。むしろ筆者は、本書のスピード感やエッジに、初期傑作『コフィン・ダンサー』に通じるものを感じました。
そしてもちろん、ドンデン返しや意外な真相も仕掛けられています。たしかに犯人ファローの動きや共犯者についてはっきり描かれてはいますが、そこにはさまざまな誤導が隠されているのです。油断せずにお読みください。
さて、リンカーン・ライム&アメリア・サックスを彷彿させるカーメン・サンチェス&ジェイク・ヘロンですが、ライムが偏屈系名探偵キャラだとすると、ヘロンはもっと軽やかです。捜査当局に助言する自分はシャーロック・ホームズのような「諮問探偵」だとうそぶく場面もありますから、ヘロン本人も著者も「名探偵」を意識していることは間違いないでしょう。一方で、作中でいわれるようにインディ・ジョーンズ教授を思わせるところもあり、そのさらなる頭脳的活躍が期待されます。
サンチェスのほうには、今回ディーヴァーと創作上のパートナーを組むことになったイザベラ・マルドナード自身も少なからず投影されているようです。本書以前にもラテン系の女性の捜査官や刑事が活躍するサスペンス/スリラー作品を八作刊行し、うちFBI捜査官ダニエラ・ベガが主人公のA Forgotten Killでアメリカ探偵作家クラブ賞ペーパーバック部門の最終候補となったマルドナードは、自身、作家になる前は二十年以上にわたって捜査機関に奉職していました。
クアンティコにあるFBIナショナル・アカデミーの卒業生でもあるマルドナードもラテン系で、所属していた警察本部では、そうしたルーツを持つ女性として初めて警部の地位にのぼりつめるなど、赫奕たるキャリアを築いたのち、CSIなどを率いる部署の長を最後に引退、かねてより大ファンだったミステリー作家を目指しはじめたのだそうです。デビュー作は二〇一七年のBlood’s Echo。以降、順調にキャリアを重ねてゆき、代表作The Cipherはアマゾンでベストセラー1位となったほか、ウォールストリート・ジャーナルのベストセラーリストにランクインするなど話題となり、ネットフリックスでジェニファー・ロペス主演による映像化が決定しています。
そんな新鋭マルドナードとジェフリー・ディーヴァーがタッグを組んだ経緯はわかっていませんが、ディーヴァーはマルドナードのThe Cipherに賛辞を贈っていますから、その時点で両者になんらかのつながりはあったのかもしれません。「自分は本書を一気読みしたし、読者のみなさんもそうなるだろうと保証する」というのがディーヴァーがThe Cipherに寄せた賛辞です。
一九九〇年代からノンストップ・サスペンスの最前線を走ってきたジェフリー・ディーヴァーと、専門知識をひっさげてそのジャンルに参入した新鋭イザベラ・マルドナードのタッグ。その最初の作品『スパイダー・ゲーム』は、まるでディーヴァー作品のような構造と面白さを持ちつつ、その初期の作風を思い出させる疾走感と熱量を備えた快作となりました。ふたりはすでに第二作を完成させており、二〇二五年九月にアメリカなどで刊行されます。この新作The Grave Artistも、小社から邦訳刊行の予定です。