長らく共に暮らしていた恋人が、遠く離れた島で見知らぬ男と2人、行方不明になったという報が入る。海上でクルーザーが転覆し生存は絶望的という状況を受け、混乱と苦しみでもがく青吾(せいご)の元へ、恋人と一緒に行方不明になった男の妻、沙都子(さとこ)が訪ねてくる。
2人は不倫関係にあり、不運な事故に遭ったのか? 自分たちは裏切られていたのか? 2人がなにを考え、なんのために遠くこの島までやって来たのか――その痕跡を辿るため、青吾と沙都子は島へと向かった。
人は誰でも秘密を抱えているもの、という言葉を聞いたことがあるけれど、日々を共に暮らす相手に大きな隠し事があるなんて、本気で想像する機会などそうありはしないのではないか。だってそんなの、苦しいし、恐ろしいし。
大切な相手の喪失によって、それまで考えもしなかった「謎」を突き付けられ、暴かざるを得ない事態に怖気づく。その心に、沙都子の声が凜と響く。
〈「傷ついたっていいんです。それだって形見です。生きている彼が、わたしを傷つけることはもうないでしょうから」〉
次第に明らかになる喪われた2人の、そして島の秘密を、青吾と沙都子が慎重に、大切に、傷つきながら拾い集める姿を、息を呑んで見守った。人間には誰しも過去があり、他者との関わりがあることも、自身の中で清算したと思っていた感情がふいに蘇って暴れ、手が付けられなくなることも、この本を読んでそうだったと思い出した。
あなたのことを知りたいと願うことは、自分が確かに愛されていたと確認する経験でもあるように思える。残された2人は、ふと笑みをこぼしたとしても、ずっと1枚の鈍い膜に覆われた息苦しさの中にいるみたいだった。
ファストフード店でハンバーガーを食べた時と、島へ向かうために飛行機に乗った時、青吾はその挙動から、沙都子に「初めてでした?」と問われる。そうか、この人の初めてを、彼の恋人はもう見ることができないのだな、と思った。
長く共に暮らしている恋人でありながら、法律上の夫婦でないために蚊帳の外に置かれそうになる理不尽さや、残された者に対する好奇の目、悪意とも名付けられないほど軽薄な他者からの攻撃。ある時、涙が出そうになった青吾は歯を食いしばり耐えた。
〈泣きはしなかったものの、頭全体が妙に腫れぼったい感じで鈍く痛〉 んだというそれは、この本を読み進めるわたしの身体感覚にも似ていた。なんて苦しいのだろう。納得できる答えが用意されているかも分からないまま進み続ける、青吾と沙都子から目が離せなかった。
物語の終点に、分かりやすい希望はない。こぼれる涙を受け止めてくれる優しい手もない。不在と喪失について真摯に描かれた物語が、本を閉じた後もひたひたと胸に迫る。
いちほみち/大阪府生まれ。2007年に『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。22年『スモールワールズ』で吉川英治文学新人賞、24年『光のとこにいてね』で島清恋愛文学賞、『ツミデミック』で直木賞を受賞。他の著書に『恋とか愛とかやさしさなら』など。
たかせじゅんこ/1988年愛媛県生まれ。22年「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞受賞。他の著書に『め生える』等。








