- 2023.03.16
- インタビュー・対談
川上弘美×一穂ミチ「ふたり」を描くときに宿るもの――『光のとこにいてね』刊行記念対談
川上 弘美 ,一穂 ミチ
出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル :
#小説
少女と少女、男と女、母と娘 ―― 密やかな関係を巧みに描くふたりの作家の初対談が実現。唯一無二の関係性はいかに生み出されているのでしょうか。2022年秋に刊行された一穂さんの最新刊『光のとこにいてね』をきっかけに、おふたりの対話が弾みます。
◆唯一無二の関係性に惹かれる
川上 『光のとこにいてね』、一日で読んじゃいました。「作者の方と対談するんだ」という気持ちでじっくり読もうと思っていたのに、二人がそれぞれどうなっていくのかが気になって、「どうなるの、これは……! 次、どうなるの?」と、じっくり文章を味わう間もなく、読みふけっちゃいました。
物語のラストは最初からイメージされていたんですか?
一穂 ありがとうございます。いえ、イメージはまったく。実は、自分でもどうなるのかな、と思いながら書いていました……。そもそも私、書く前にあまりプロットを詰められないタイプなんです。川上先生はいかがですか?
川上 あ……、「先生」はやめて~……。「さん」でお願いします(笑)。
私も全然詰められないです。一緒だと思います。一穂さんは今回の『光のとこにいてね』がはじめての長篇連載だとお聞きしましたが、書き下ろしと違って、連載でもあまり先のことを考えずに書き進められましたか?
一穂 はい、連載でも、走りながら次の道を探していました。少女たちが出会って、大人になって……という流れ以外決めずに書いていたので、「今回はここまで書いたから、後のことは来月の自分、頼んだぞ」というのを繰り返して。だから翌月になると、過去の自分に「お前……」みたいな憤りを覚えることもありました(笑)。
でもそのおかげで、結珠と果遠の二人が思いがけない選択をすることもあって、「そうか、こっちに行くんだね」と楽しみながら書かせてもらったところもあります。だからまあ、連載はだいぶ長くなってしまって、本にするときに削ったんですけど。
川上 登場人物たちは、たしかに思いもよらない決断をしてくれることがあって、それはたいがいその小説がうまく進んでいる時。削ることに関しては、私も『七夜物語』という話を書いた時、やたらと長くなっちゃって、単行本にする際に一年以上書き直し続けたという悲惨な記憶があります。
今回は、どのあたりがとくに苦しかったですか?
一穂 三章に入ってからですね。大人になって、彼女たちがそれぞれの人生を歩み出してから。東京を離れた二人がどんなふうに再会するのか。再会して、どんなふうに心が動くのか。さらに、お互いに結婚とか子どもとか家庭の問題も絡んでくるので、二人がそういうものをただ置き去りにするわけにもいかないし、と悩みました。最終的にたどり着いたいまの形でも、読者のなかには違和感を持つ方だっていると思いますが、そこは物語の中の人たちの決断なので、仕方ないな……と思いながら(笑)、なんとか走り切りました。
川上 それ、すごく大事だと思います。私も自分じゃない人の目で読んでみたときに、これは嫌な気持ちになるだろうか? という可能性をつい考えてしまう。でも、物語が要請するときは、それを曲げちゃいけないとも思う。だけど、それってすごく勇気がいりますよね。
一穂 そうなんです。つい、登場人物の行動を正当化しなきゃと無意識に考えてしまうこともあります。主人公が何かを捨てるには、「つらい環境」とか「ひどい家族」とか逃げたくなるような要因を用意しなきゃと思ったり。
でも今回は、DVをするとか分かりやすい欠点をもった男性を登場させるのは違うなと思って、そこは意識しました。「そんな男のもとからはさっさと逃げ出したほうがいいよね」という文脈があると、それはもう二人の決断の話ではなく、男性の加害性の問題になってしまう。
今作では、いわゆる「シスターフッド」を書きたかったわけではなくて、すごく閉じた二人の唯一無二の関係性、しいていえば、愛情の原液みたいなものというか……。小さい頃って、仲良しの子とは毎日会っても足りなくて、バイバイしてもすぐ会いたいとか、たまにお泊まりできると夢のようだとか、そういう愛情の原液を原液のまま抱えて大人になったらどうなるのかというのを書きたかったのかなと思います。二人のあいだにあるものが何なのか、書いてるときは自分でも言語化できなかったんですけど。
川上 うんうん、書いてる最中はよくわからないよね。関係もそうだし、私は、『光のとこにいてね』を読んでて、どの人にも変なところとキラキラしているところが同居していて、それがいいなと思いました。そもそも関係性って、ひと言でまとめられるものじゃないですよね。「シスターフッド」とか「恋愛関係」とか。いずれにせよ、『光のとこにいてね』を何かにカテゴライズするのはもったいないと、個人的には思いますね。
一穂 自分でも、名づけてしまうと陳腐になるような気がして、二人のことを作者が無理にコントロールするのはやめよう、関係性を言葉でくくるのはやめよう、と思いました。
川上 一穂さんは、『パラソルでパラシュート』でも名づけられない関係を描いていますよね。名づけられない関係の人たちのことを書くのがすごくうまい小説家なんだな、と思いながら読みました。一方で一穂さんはボーイズラブ小説(BL)もお書きになっていて、BLは「型」が決まっているのかな。その決まった型のなかで自由に踊る、みたいな? 文芸誌に書くときとは、やっぱり何か違いますか?
一穂 違いますね。BLってむしろ、自分のテンションがあがらないと書けないんですよ。たとえば「次はアラブの石油王と日本のサラリーマンで書いてください」とオーダーをいただいても、私が本当にその設定にドキドキしてないとダメで。理屈だけで書いたら読者にもすぐ噓だとばれちゃうので、自分ファーストじゃないと書けない。BLの読者は好みがすごく細分化していて、結果、そのシチュエーションに萌える人が読んでくれるということで市場が成立している気がします。
川上 それはなんというか……、プロの技術者ですね。
一穂 ラーメン屋で修業している感じですかね。ラーメンという枠組みのなかでは何をしてもいいんだけど、ラーメン以外は出しちゃダメ、というのがBLです。それに比べて、文芸誌はなんでもありの大衆食堂というか。ラーメンを出してもいいし、出さなくてもいい。もちろん、ほかのメニューもあってもいいし、なくてもいい。その自由さが少し怖くもあります。
川上 そうですね、知らない海に放り出されて、お椀の船に檜の箸で漕げ、みたいな世界だと私も思います。
◆この世には「名づけ得ぬもの」がある
一穂 私、名づけられない関係とか感情って、そもそも川上さんの小説で知ったんです。最初に拝読したのが『いとしい』で、それがたぶん二十歳そこそこの頃で。あの作品に出てくる紅郎が衝撃的だったんです。とらえどころがないのに、不思議と目が離せない。
その後、短篇集『神様』を読んで。九つある短篇の一つ「神様」と、それと呼応する「草上の昼食」という作品に〈くま〉が出てきますが、視点人物である〈わたし〉と雄の〈くま〉の関係がすごくいいんですよね。三つ隣の部屋に越してきた〈くま〉と〈わたし〉は交流を重ねて、でも、ある時、〈くま〉から故郷に帰ることを告げられる。人間社会に「馴染み切れなかった」と彼はいう。すごく寂しいんですけど、スッと〈くま〉が離れていくその流れが私は大好きで。別々の生き物だから、ずっと一緒にいるわけにはいかない。そのひやっとする感じこそが、好きなんです。それって、こういう関係だから一緒にいるとか、この二人はこういう了解のもとで一緒にいるはずだっていう前提が裏切られる瞬間でもあるんですが、でも、川上さんの小説に出てくる人たちって、「そういう生き物だから」という説得力がすごい。
川上 そうそう、そういう生き物なの(笑)。みんな、その人にとっての自然な行いをしているだけ。一穂さんにとって自然なことって何でしょう。私はね、一日小説を書かないでいると、すごく自分がダメなものに思えてくるんですよ。小説を書いて、ようやく人間の形を保てている感じ。一穂さんは、会社にもお勤めなんですよね。会社員の自分はどうですか?
一穂 会社では、ほとんどの人は私が小説を書いていることを知りません。そこでは、私の本が売れても売れなくても、賞を取っても取らなくても、まったく関係なく毎日が過ぎていくので、会社という場所はむしろ安心しますね。あまり精神的に強いほうではないからこそ、小説と別の世界を持っているほうが、精神衛生が保たれる感じがするというか……。
私、どう考えても会社員のほうに向いていて。「小説家という職業がこの世にあってよかったね」と言われるくらい、小説を書くこと以外なにもできない作家に憧れているんですけど、サラリーマン歴が長いこともあって、無駄に事務能力が高いので、絶対そんなふうには言ってもらえません。
川上 事務能力、実は私もけっこうあります(笑)。さっき言ったみたいに、小説の執筆って毎日お椀の船で海に出ていくようなうろんで不安定なものだから、日常生活でてきぱき何かをこなす時間があるとバランスがとれるんですよね。
一穂さんは、ご自分が書く登場人物で、ご自身と近しいキャラクターはいますか?
一穂 どの人に対しても分かるところもあれば、分からないところもありますね。
書いている時は、遠い親戚が頭の中に一緒に住んでいるみたいな感覚なんです。しかも、あまり仲良くない親戚。その人がいるために、ほかの人が入って来られないので、早く出て行ってほしいんですけど、あまり仲良くないから言えない(笑)。それで書いているうちに「この人そんなこと言うのか」と意外に思う、みたいな。
川上 書きにくい人っていましたか? 「書きにくいから書かなかった」でもいいけど。私はね、素敵な男の人が書けないの。自分の小説を、自分が読者になって読んでみると「モテる」という設定の男なのに、私からは全然素敵に思えない。『ニシノユキヒコの恋と冒険』のニシノユキヒコとか、『三度目の恋』のナーちゃんとかは、実はいちばん嫌いなタイプ。でも映画化されて、ニシノユキヒコを竹野内豊さんが演じているのを見たら「わあ、素敵」と思いました。ビジュアルは大きいですね(笑)。
一穂 そういう意味では、私は、お母さんとか、いわゆる「普通の主婦」と呼ばれる人が書きにくいですね。男の人を書く時は男の人生を知らなくても、そこはもう思い切って書けるんですけど、女の人を書く時はどうしても後ろめたいというか、引け目みたいなのを感じてしまうみたいです。
川上 結珠のお母さんも、書くのが難しかったんじゃないですか? 虐待しているわけじゃないけど、確かに子どもを傷つけているという、そのバランスが。
一穂 はい。実際に殴ったり怒鳴ったりはしない、でも……という母親の怖さを書こうと思ったんですけど、一歩間違えると、コンビニに売っている実録マンガのお母さんみたいになってしまいそうで。
結局、家族にどうでもいい存在として扱われ続けていると、子どもの心はこんなにもすり減るんだというところが書きたいと思って、ああいう形に行き着きました。
川上 そうなんだ。あのお母さんに関しては、こういう書き方があるんだって感心しました。それにね、彼女は彼女でけっこうストイック。普通は自分にとって不都合な記憶はどんどん書き換えていっちゃうのに、それをしないで、自分のやってきたことを全部認めてる。まわりの人にとっては迷惑な人だけどね(笑)。
『光のとこにいてね』は、前作と比べても圧倒的に長い時間を書いていますよね。今回は、時間が流れるなかでの二人の変化の度合いが大きいので、そういう意味で私は、一穂さんがこの作品でまた違うところに踏み出したのかなと思いました。
一穂 大枠は曖昧でも、ディテールを一つポンって出しておくと通じる場合もありますよね。綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』を拝読したときに、経理課で働くヒロインの制服に付箋がくっついていたことで同僚の男の子にとって目が離せない存在になる、というエピソードがやけにリアルで感動したんです。「出版社の経理課を取材したときに、実際に付箋がついている人がいて、印象に残ったから小説のなかでも書いた」というようなことを何かのインタビューで読んで、参考にしています。
川上 ディテール、大事ですね。会社に勤めるとか、子どもを産むとか、大きい枠組みはある程度書けるけど、そのなかにある些細なことや、些事をひらりと切り取れるのが一穂さん。
それと、自分のことを言うと、せいぜい書くとしても自分より10歳くらい上までしか私は書けない。400歳とか1000歳とかはたまに書くんですけど、それはもう誰にもわからないから書くので、たとえば自分が80歳の人のことをその人の気持ちで書くというのは、今の私にはできない。
『光のとこにいてね』をあの年代で終えたのは、そういうことも意識されたのですか?
一穂 そこはあまり意識しなかったですね。二人が歳をとって、おばあちゃんになってから一緒に暮らしましょうみたいな人生を送るのも、それはそれで素敵だなとは思ったんですけど……。
でも年齢の話でいうと、当時30代前半だった自分が書いたBLで、40代半ばの男性をすごい仕事のできる重厚な人として描いていて、後から驚いたことがあります。多分その時の私には、40代半ばはすごい大人で、成熟しているように見えていたんだろうなと。逆にいまは、若い子を見て「大人だな、賢いな」と思うことが多々あります。
川上 それは私も思います。よくできた若い人は本当にそうなんですよね。なんでそんなに大人なの、って。
◆小説のなかに流れ込むもの
一穂 先日の『文學界』(編集部註:2022年11月号)に載っていた川上さんの「銀色の鍵」という短篇も、少女たちを長い時間で書かれていますけど、その長さを感じさせないですよね。忘却が持つ優しさとか、痛みとか、丹念に描かれているのに、年代自体は大胆に飛んでいく。
川上作品の特徴でもある、淡々としていたかと思うと、ある一点でポッと火が灯る、みたいな温度差というか緩急やメリハリって、どうやってつけておられるんですか?
川上 それが、あとで自分が書いたのを読み返すと、「誰が書いたんだろう」といつも思うぐらいで……。なんなんでしょうね、不思議。まあ、いろんなものを読んできたからかな? もちろん、読むだけじゃなくて映像を見たり、人が話すのを聞いたりもありますけど、自分の中から出てくるものって限界がありますよね。
一点でポッと光が灯る、ということでは、一穂さんの小説は「笑い」によって、ポッと光が灯る。
一穂 私が大阪の人間だからでしょうか。大阪の人間にとって、笑いは哀しみと一緒みたいなところがあって、つらいことほど笑い話にしちゃうんですよ。つらいことをそのまま言ったらなおつらいけど、笑いで元を取る、みたいな。そういう文化が染みついているのかなと思います。
川上 これほど「笑い」が書けるのは、心底うらやましい。たとえばお芝居でも、はじめに笑わせて場をあたためればあたためるほど、物語に観客を入りこませるのが容易になる。その温度差って小説にも応用できると思う。一穂さんは先ほど「コントロールしていない」とおっしゃっていましたが、結珠と果遠の関係性が徐々にあたたまっていくのは、頭の中に架空の生き物の水槽があって、それを観察していった結果なんですか?
一穂 まさに「結珠と果遠の観察日記」をつけていたのかもしれません。そうやって書き進めているうちに勝手に水槽のなかに新たな生き物が入ってくることもあって、小説を書いていて楽しいのはそういう時ですね。
川上 その架空の水槽を保つのがいちばん大変なんだよね。私はわりと、同時にいくつか違う小説を書くのは大丈夫で、そこに来た途端に「あ、この水槽、ここにあったぜ」って思い出すタイプなんですけど、一穂さんはどうですか? いくつかの話を並行して書くのは?
一穂 自分の書くスピードのキャパシティの範囲内であれば、同時並行で複数進めるのは嫌ではないです。物理的にバッティングしてしまって、ここで終わっているはずの仕事が終わってないのに次が来てしまってしかたなく……というのもありますけど(笑)。川上さんは、並行して書きたくないタイプかと思っていました。
川上 もしそうだったら、全部の作品を覚えていると思う。書き終えると、すぐに忘れてしまう、自分が書いたのに。ただ、10年くらいたって振り返ってみると、「あっ、これ、あのときの嫌な奴だ……」とか、書いている時に起こったことが、その小説のなかに残ってることはある。でもそれは恋愛をしたとかそういう華々しい大きいことじゃなくて、ちょっと近所の人が妙だったとか、そういう些細なことなんですけど、その時の何かがにじみ出ているものなんですよね。一穂さんもそういうのありますか?
一穂 あります。ネタとして入れ込んでいる時もありますし、タイムカプセルみたいに「この時は、これを食べていた」という、日記的になっている部分もあります。自分にしか分からないけど。
川上 そう、あまり大筋とは関係ないところで出てきたりするんだけど、あとから振り返ってみると実は大筋にも関係していたりするんです。だから不思議だよね。
あとね、これも今日どうしても言いたかった。『光のとこにいてね』ってタイトル、すごくいいけど、覚えにくいですよね。日本人は五七五のリズムが染みついているのに、これは七三なんです。でも、この不安定さが、主人公二人の不安定さと響き合っていて、すごくいいタイトルだと思った。
一穂 よく『光のところにいてね』って言われます(笑)。「とこ」じゃなくて「ところ」って。
川上 「とこ」、絶妙でした。
一穂さんは読者がどう読んでくれるかということは気になりますか?
一穂 気にならないと言ったら噓になりますけど、だからといってもう上梓しちゃった本だし、どうにかできるものでもないので……。
川上 そうだよね、もう出ちゃったものはなにかあっても「ごめん、ごめん」だよね(笑)。
昔ね、筒井康隆さんが「小説家はいい加減じゃないと」って言っておられて、書き続ける秘訣はそれかなと思います。真面目すぎちゃうと苦しいですよね。自分のすべてを注ぎ込んで書く、だとずっとはできないかも。
一穂 私は単純に発注があるので納品している、その繰り返しという気持ちです。出したもののクオリティが低いと判断されれば次の依頼は来なくなりますけど、幸いいまは続けていけてる。
川上 あ、それ、わかる気がします。私も職人的な気持ちでやっています。で、一冊書くと筋肉がついたなって思う。筋肉がつくと、その筋肉を使ってまた次の小説ができて。一穂さんは、そんな感覚はありましたか?
一穂 筋肉がついたな、というのは思いました。別の作品のゲラを直す時に、『光のとこにいてね』を書く前は見逃していただろうなというところに気づいて赤を入れられるようになった、ということもありました。ただ、書き続けないとすぐに筋肉は落ちちゃうので、発注してもらわないと(笑)。
それから、私の場合、構想の段階で「おもしろそうですね」と言われたら「そうか、これはおもしろいのか」と喜んで終わってしまいそうなので、最後まで「おもしろいかどうかわかりません」と言ってもらえたほうがいいのかも……。
川上 ストイック!(笑) 次作もほんとうに楽しみです。今日はお話できて嬉しかった。ありがとうございました。
一穂 ありがとうございました。
構成:相澤洋美 / 撮影:深野未季
プロフィール
川上弘美(かわかみ・ひろみ)
1958年東京生まれ。94年、「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞しデビュー。96年「蛇を踏む」で芥川賞、99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『水声』で読売文学賞、16年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞など受賞多数。19年、紫綬褒章受章。その他の著書に『ニシノユキヒコの恋と冒険』『ぼくの死体をよろしくたのむ』『森へ行きましょう』『某』『三度目の恋』など多数。
一穂ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。劇場版アニメ化もされ話題となった『イエスかノーか半分か』などボーイズラブ小説を中心に作品を発表し読者の絶大な支持を集める。22年、初の単行本一般文芸作品『スモールワールズ』が本屋大賞第3位、吉川英治文学新人賞受賞。主な著書に『ふったらどしゃぶりWhen it rains, it pours』、「新聞社」シリーズ、『パラソルでパラシュート』『砂嵐に星屑』(山本周五郎賞候補)など。22年秋、最新刊『光のとこにいてね』刊行。同作は第168回直木賞候補、また2023年本屋大賞にノミネートされている。
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