- 2014.11.20
- 書評
ただの恋愛小説ではない!
深化していく愛が、迎える結末とは
文:内田 俊明 (書店員(八重洲ブックセンター 八重洲本店))
『伶也と』 (椰月美智子 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
この作品の冒頭には、不穏な新聞記事がおかれている。その記事を最初に目にする読者は、この作品がただの恋愛小説ではないことを念頭に読みすすめることになるだろう。伶也と深くかかわるようになった直子の愛は、求める愛から与える愛へと変わっていき、やがて完全な無償の愛となる。辞書でいえば2→3→4→5、の意味へと深化していくのだ。
一人の主人公が、一人の対象に向けて、いろいろなかたちの愛を、長い年月にわたって捧げ続けていくという作品は、これまであまり例がないのではないか。前近代では、女が一人の男と添い遂げるのは当然のことで、そういう女の姿を描いた文芸作品も数多くあるが、そういった作品でも周囲や社会とのかかわりが物語の軸になっているものがほとんどで、愛情だけに焦点をあてたものは少ない。
まして『伶也と』は現代の物語であり、なおかつ物語の軸になっているのは一貫して直子の愛だ。その愛の前には、周囲の人々とのかかわりや、年月を経ることによる変化さえも、あくまで物語のいろどり程度に感じられてしまうほどである。
伶也は直子の思いをよそに、結婚して子供をもち、栄光の絶頂から失墜、再生とめまぐるしい人生を送るが、直子の心はつねに伶也に寄りそっている。女だから、男だから、という言い方はあまりしたくないが、男にはこういう愛は真似できないのではないか。しかもそれは前近代の、自分を犠牲にして男に尽くす女の姿とはまるで違う。直子が自らの人生を顧みる場面はしばしばあるが、そこには後悔や悲哀はみじんもなく、伶也のために自分の人生があることを、つねに大前提として自分の中に持っている。
さらに言えば、どんなかたちの愛であろうと、愛には終わりがあるものだと思うが、直子の伶也に対する愛は、何があっても、どれほど年月がたっても終わらない。椰月美智子はそれをまったく不自然に感じさせず描ききっている。
辞書にある愛という言葉の意味で、最後の6番目は仏教用語における悪い意味での愛となっている。自我の欲望に根ざし解脱の妨げになるもの、とあるが、『伶也と』のラストシーンはそれに反して、愛を突きつめたことによる解脱、が描かれているように思えた。愛に生きた直子の魂がようやく救済されるさまに、読んでいて涙がにじむ。
愛の作家・椰月美智子の、新たな代表作の誕生だ。
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