明治後期の北海道を舞台に、山に生きる男と“穴持たず”の熊の死闘を描いた直木賞受賞作『ともぐい』や、令和の女子大学生が猟師の道を歩みだす最新作『夜明けのハントレス』など、熊が登場する小説を書いてきた河﨑秋子さん。
河﨑さんがこれまでに読み、吸収してきた“熊文学”はどんなものだったのか。濃厚な読書案内をお届けします。(初出「文學界」2026年2月号)
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リアルとイメージの中の熊
人間が不幸にも野山で死んだら、多くの動物がその死体を食むことだろう。そして現代日本において、明確に「食うために殺す」という意思を有して人間を攻撃する可能性が高いほぼ唯一の存在が、クマだ。
自分より強いものに殺され、食われる。
本来生き物とはそういうものだ。ただ、知恵と道具で武装することに慣れたわれわれ人間は、非常にプリミティブなこの道理を理性で簡単に受け入れられず、感情を揺さぶられる。だからこそ、フィクションではクマに、サメに、ゾンビに、エイリアンに食われる物語が長く広く人気を博すのだろう。
前提として最初にご説明しておくと、私は北海道の農村部、ヒグマが生息している地域で生まれ育った。敷地内の牧草畑にクマの糞があったり、ビニールで包まれた牛の餌に爪の痕が残されていたりと、被害はないが確実に「いた」。
しかし実は、実際に目にしたことは一度しかない。しかも、「山の中でクマと出会い死に物狂いで戦ったところ、幸いにも退けることができた」とかではなく、単に2、300メートルほど離れた道路を横断するクマを目撃した、というだけだ。正直にいえば遠すぎて「犬かな? ……いや犬にしては大きさがおかしい」と最初は考えていたぐらいだ。
もちろん冒頭で綴った恐怖は、私の中にもある。直接襲われた経験はなくとも、クマが地続きの場所、しかも割と近所に生息しているという事実は、山菜取りや迷い牛を探しに森に入る時、いつも私に緊張を強いてきた。私は信仰心が強くない人間だが、何かを恐れ、同時に畏怖する対象として最初に挙げられるのはなんだろう、と思えば、遭難したら死ぬ可能性のある山林、そしてクマである。
私は手掛けた小説でクマを幾度となく登場させてきた。興味や執筆のために北海道の歴史を調べていくと、様々な記録でクマが必ずと言っていいほど取り上げられており、自然とクマの存在感に敬服していたからだ。私が参考にしたクマの資料は公的、私的問わず、出没の記録、作物、家畜、人的被害。そしてそれらを狩った記録などだ。
昨年、人里でのクマの出没や痛ましい事故の報道が相次いだ。そのことに対する考えは人それぞれだが、しばしば聞かれたのが「もともとクマがいるところに人間が住み着いたのだ、だからクマに優先権がある」というものだ。開発が進みきり、むしろ離農や耕作放棄地が増えて人里が野山に戻っていく様を目の当たりにしている地方民としては、こういった言説には首をかしげざるを得ない。
その一方で、開拓途中の北海道はまさにその「クマがいるところに人間が住み着」こうとする真っ最中であったことが多い。開拓の苦労話の一端として、クマのことが大いに語られるのは実にもっともなことだ。
その中でさらに、猟師としてクマを追っていた人たちの記録は生々しく、読んでいるだけで手に汗を握る。『羆吼ゆる山』(今野保)、『ヒグマとの戦い』『北海の狩猟者』(ともに西村武重)など、私が愛読書としてきた記録の中では、現代のような高精度のスコープや破壊力の大きいライフルなどない時代にクマを追った記録が綴られている。
著者たちは他に生業があり、決して文筆で生活していた訳ではなかったようだが、その描写は冷静で、的確で、読んでいるだけで経験したことのないクマ撃ちの世界に読者を引きずり込んでくれる。もちろん生来の文才もあるのだろうが、それだけではなく、いかに目に映るものを観察し、クマについて研究し、己がどう生命と向き合うのかと常に磨いてきた軸がなければ、それらを言語化したところで後世の我々までは響かない。先達がこうして文章を残してくれたこと、それを今でも読む機会に恵まれたことに、感謝を捧げずにはいられない。
さて、実際に猟でクマと相対していた猟師自身の手による記録のほか、著者が数多の人々からクマとの記憶を聞き、書き残した種類の文章はまた異なった趣で興味深い。私が面白く拝読したのが『日高の動物記』『大雪山の動物記』『阿寒の動物記』(すべて桑原康彰)だ。
身近な動物についてをメインに、地域の猟師はもちろん、農家や一般の人などから体験談、または伝承を聞き取り、記録した作品群である。
もちろんクマに関する話はかなり多く、その中には思わず「まじで」と素になって呟いてしまうような話も満載である。
例えば、『大雪山の動物記』に収録されている「5歳の男児、大グマを獲る」という記録だ。茅葺きの粗末な開拓小屋で幼児が留守番をしていたところ、家にクマが入ってきたため、親からかねてより「囲炉裏の灰を目めがけてかけるんだよ」と教わっていたことを実践したら、クマが逃げ出したのだという。
実際には男児はクマを獲った訳ではなく単に撃退しただけで、しかも大グマかどうかは幼児にしか分からない。にもかかわらず、誇張を含めたタイトルは人の興味を確実に惹くし、家に侵入した恐ろしい獣に対し、5歳児が冷静に親からの言いつけを実践し、結果生き延びることができた、という内容はそれだけで十分驚きに足る。
こんなふうに、西暦、元号は何年、という表記のないまま「昔」「いつだったか」「開拓の時代に」「知り合いから聞いた話」という言葉から始まる伝承の数々は、実際にあったことなのか、誇張はないか、という現実的な疑いを超えて、実に魅力的だ。
事実に忠実か、信用に足るか、一次資料として有効か、という問いは、ひとまず横に置いておく。ここで注目すべきは、「人に語りたくなる」「面白い、さらに語り継ぎたくなる」と思えるクマの情報だ。時に残酷で、時にユーモラスで、人には決して御しきれない巨大な獣。それはクマの実相からは多少のぶれは生じているのかもしれないが、イメージとして人の脳裏に残りやすい形へと変化しつつ、語り継がれてクマへの恐怖と少しの親しみを今に伝える。
これらの伝承に親しんだ結果、30歳になる少し前、『ともぐい』の前身となる物語を書いた。明治時代の猟師がクマと戦い抜く内容だ。自分の中の密かな恐れと、資料からうかがえる人々の体験談を興味深いと思えたことを原動力に、なんとか綴ることができた。
それからたった15年程度の間に、まるで開拓時代の牛食いグマそのもののようなOSO18の存在が全国にまで報道され、令和に至ってもクマによる人身事故が増えてきてしまった。
幸い、今私が住んでいる地域はクマの生息圏からは遠いものの、夏から秋にかけてクマの事故が連日夜のトップニュースに登場する事態は、まったくの想定外だ。もはや伝承やイメージ、創作物を超えた現実のクマとどう対峙するべきか、という問題を報道を通じて全国すみずみまで突きつけられたようなものだ。
もちろん現実のクマ問題は私にとっても創作の転換点となった。社会としてどう現実のクマ問題に対応するべきか。そこに個人として向き合っていこうと思った場合、どんな物語が人々に受け入れられるだろうか。
そう考え、『夜明けのハントレス』という小説に挑んだ。舞台は現代の札幌。若い主人公が純粋な興味からハンターとなり、経験を積みつつ最終的には他のハンターと共に人に被害を与えたクマを追う物語だ。これまで通り昔の資料を参考にすると同時に、活動中のハンターに取材をしたりと、可能な限り現実的なクマとの戦いを小説内に再現することを試みた。
その過程で改めて学ぶことは多かった。例えば地域を荒らす一頭のクマがいたとして、ハンターそれぞれにその個体に対する見方は異なる。さらに、単に「人里近くに出没したから駆除する」という単純な話ではなく、そこに住む人々、駆除を依頼される猟友会の事情、地形、産業、あらゆる条件を考慮してはじめて「この場合はどうするべきか」が決定される。よその地域に住む人々が「もっといい方法があったのでは」と想像を巡らせたり、心優しい人が「殺さずに山に帰す方法はないのか」と案じる気持ちは尤もだ。だが、現実には現場の人たちにとってのベターな解決法をとらざるを得ない。『ハントレス』ではこういった、イメージや感情から離れたリアルな物語を書きたかった。それは、ある程度は成功できたものと思っている。ただし、まだ書き足りない思いもある。イメージのクマも、現実のクマも、書かれるべきことはまだ無尽蔵にある。
過去の先人たちの記録によれば、野生の生き物の出現には波がある。数が多くて困っていた鹿が、一度の大雪で身動きが取れず餓死し、絶滅の危機に瀕した例。逆に特定の外来生物が爆発的に増えた例。その中で、クマと人間との距離は今後も近くなったり遠くなったりすることだろう。
現実のクマ、伝承のクマ、物語のクマ、そしておのおのが心の中でイメージするところのクマ。大事なのは、人間がそれぞれのクマの形をきちんと見据え、記録し、過去に学ぶ姿勢を崩さないこと。物語は、小説は、その中でどんな役割を果たせるのか。書いても書いても終わりが見えない。
河﨑秋子(かわさき・あきこ)
1979年北海道別海町生まれ。2014年「颶風の王」で三浦綾子文学賞を受賞し、翌年に単行本デビュー。24年『ともぐい』で第170回直木三十五賞受賞。










