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映画「クイール」ができるまで

映画「クイール」ができるまで

文:崔 洋一 (映画監督)

『盲導犬クイールの一生』 (秋元良平 写真/石黒謙吾 文)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 実は、クイールのことは本が出る前、秋元良平さんの写真集のころから知っていました。犬にかかわる出版物は星の数ほどあるわけですけれど、なぜかクイールがいちばん素直に僕の中に入ってきた。

 それなのに、『盲導犬クイールの一生』が話題になり、映画化されるだろうということになったとき、まさか自分がやるとは思いませんでした。それがこんなことになったのは、松竹のプロデューサーの一言なんです。「崔さんの撮ったディズニー映画が観たい」

 そんな言い回しで、たらし込まれてしまった。思えば、彼も僕も同世代で、「ダンボ」にしろ「白雪姫」にしろ、子どものころからウォルト・ディズニーの作品が刷り込まれているんですね。ディズニー作品かどうかは忘れたけど、「黄色い老犬」という印象的な映画もありました。そういった動物映画は動物と人間のかかわりを描く一種の成長譚であり、決してハッピーエンドで終わらない辛口の作品でもあった。そんな共通の思い出もあり、僕にとって実にわかりやすい誘い文句だったんです。

 脚本が出来上がるまでは、本当に時間がかかりました。これまで日本映画の中で犬の出てくる物語は数多いし、ある種のステレオタイプも出来上がっている。その路線で作るのは抵抗があった。

 人間の目線、視線だけで物語を構築すれば、いままでの伝統的な類型の中に収めることになる。犬の心や犬の視点だけで作れば、それはアニメーションにはかなわないだろう。結局、僕がたどり着いたのは、日常の生活の中でクロスしていく人間と犬の関係性を、淡々としたストーリーでさらりと描くということでした。さらりとは言っても、やっぱり人臭く、犬臭くね。

 その決定稿にたどり着くまでは、本当にさまざまな物語を考えました。でも、つきつめていくと、「一匹の犬の生涯が何人もの人間たちに影響を与えた。そして、その人間たちはクイールにとって、そのときどき神にもひとしい存在だった」。その関係性をシンプルなかたちで描いていこうということになったのです。

 また、原作ではあまり触れられていないクイールの使用者、渡辺満(みつる)さんを軸にしていこうとも思いました。

 これは余談ですが、脚本家の一人は、この映画のためにクイールと同じラブラドールの子犬を飼いはじめたんですよ。これがまた、世界一バカな楽しい犬で、家中ボロボロになってるらしいですけどね。その犬は映画のためにすごく貢献していて、子犬のときのクイールにカモメマークを染め付ける実験台になってくれたんです。成犬の習性や犬が家の中でどういう動きをするのかなども、助監督たちが何度も彼の家に行って観察しました。そういう綿密な調査の上に成り立っている映画ではあるんです。

 

 クランクインする前に犬担当のプロデューサーや助監督たちがいちばん心配していたのは、スケジュールに合わせて子犬たちがそろうのかどうかということでした。なにしろ同じ母親から生まれた白ラブ(ラブラドール)が七頭という絶対条件がありましたから、大変だったと思いますよ。どうしても黒ラブが一頭だけ混じったりして。

 七頭のきょうだいのうち、実際に使ったのは五頭。二頭はエキストラ犬として待機させていました。少しでも調子が悪ければ差し替えるために。調子が悪くなるというのは病気になるんじゃなくて、すぐ寝ちゃうんです。一瞬起きるけど、十秒くらい目を離していると、もう寝ちゃってるから。

 クイールを演じたのは、関西盲導犬協会で盲導犬としての訓練を受けながら、途中でキャリアチェンジした犬、ラフィーです。

 本当はテレビドラマでもクイールを演じた犬でいく予定だったので、ラフィーは吹き替えとしてドッグトレーナーのところに預けられていたんです。ところが、彼を見たとたん、僕が乗り換えてしまった。

 訓練を受けていますから盲導犬としての歩き方はできるけれど、演技に関してラフィーはまったく未知数でした。トレーナーは、このはしゃぎぶりでは撮影の途中でつぶれるかもしれない、撮影を嫌って現場に近づかない可能性もあると指摘しました。

 でも、僕はラフィーの不安定さのほうを選んだんです。とにかくこの子でいきたいと思っちゃったんですよ。

 撮影に入ると、ラフィーの顔つきがだんだん本物のクイールに似てきたような気がします。このあいだ、ひさしぶりに会ったら、また撮影中とは顔が変わっていました。

 とにかく、ラフィーの演技次第……俳優もそれにあわせるんですから、これほどフィルムを回した映画は、僕としても最初で最後だと思います。

 いちばん苦労したのは、歩行の共同訓練で卒業試験に落ちた渡辺さんとクイールが、他の無事卒業できた人たちの出発式をながめているシーンで、なんと三十六テイクでした。あのワンカットのために四時間かけました。さりげない、家庭犬だったら飼い主に対して自然にするようなしぐさなんですが、それを再現して撮るというのは至難の業なんですよ。

 今回のキャストは、犬の嫌いな人は誰ひとりとして寄せつけるなという基本方針でのぞみました。それが結果的に映像にも表れていると思います。僕自身も、犬は大好きなんですよ。黒柴とビーグルの混血という犬を飼っていたことがあります。よくその犬にバンダナをかぶせ「マッチ売りの少年」にして遊んだりしましたが、そんな体験を今回の映画でも生かしています。犬ってコスプレさせると世にも悲しそうな顔するんですけど、それが可愛くてね。ぜひ、観ていただきたいシーンです。

文春文庫
盲導犬クイールの一生
秋元良平 石黒謙吾

定価:748円(税込)発売日:2015年06月10日

電子書籍
盲導犬クイールの一生
秋元良平・写真 石黒謙吾・文

発売日:2016年12月16日

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