- 2017.01.08
- 書評
真珠湾攻撃75周年。祖国の命運を担って零戦で飛んだ男たちの肉声!
文:神立 尚紀 (NPO法人「零戦の会」会長)
『零戦、かく戦えり! 搭乗員たちの証言集』 (零戦搭乗員会 著)
かつて日本海軍に「零戦」と呼ばれる戦闘機があった。昭和十二年(一九三七)に開発が始められたこの戦闘機は、昭和十五年(一九四〇)に制式採用され、皇紀二六〇〇年の末尾のゼロをとって零式艦上戦闘機と命名された。
零戦は、制式採用直後の支那事変における中国・重慶上空のデビュー戦以来、昭和二十年、大東亜戦争終結までの全期間を海軍の主力戦闘機として戦い抜いた。その間、戦没した海軍戦闘機搭乗員の総数は、判明しているだけで約四三三〇名といわれている。三〇〇万の戦争犠牲者全体からみれば微々たる数字ではあるが、前線におけるその消耗率は、他の兵種と比較しても抜きんでて高いものであった。
零戦を駆って戦った搭乗員は皆、学力、体力ともに秀でた、当時の日本男児のなかでも選りすぐりの若者たちだった。彼らは、戦闘機搭乗員として選ばれし者の矜持を胸に秘めながら、力の限り戦い、若い命を国に捧げたのである。
戦争が終わったとき、各航空基地に生き残っていた戦闘機搭乗員は約三七〇〇名。その多くは訓練中、あるいは出撃待機中で、実戦経験者は全体の数分の一に過ぎない。まして「歴戦の」と枕詞がつくようなベテランは、数えるほどしか残っていなかった。刀折れ矢尽きるまで戦い、思いがけずも生き残った搭乗員たちは、戦後、敗戦で掌を返したような価値観の変化を前に、沈黙を守るしかなかった。戦闘機を操縦して敵と戦うことだけに心血を注いできた彼らには、まさにゼロからのスタートで新たなる戦いが待ち受けていたのだ。
昭和三十年代から四十年代にかけ、戦記の本や映画がブームになったときも、彼らの殆どは、亡き戦友に思いを馳せながらも、自らの戦争体験については家族にさえ話すことなく、深く心に秘めたままでいた。
そして三十余年の沈黙の時間が流れ、昭和五十三年(一九七八)になってようやく、全国の元海軍戦闘機搭乗員が大同団結する形で、「零戦搭乗員会」が発足した。正会員としての入会資格は、たとえ短時間でも零戦の操縦経験がある者、とされた。
東京・蒲田で小町定氏(操練四十九期)が所有するビルに事務局を置き、初代代表世話人(会長)・相生高秀氏(海兵五十九期)、事務局長・湯野川守正氏(海兵七十一期)でスタート、その後、代表世話人は周防元成(海兵六十二期)、藤田怡与蔵(海兵六十六期)、志賀淑雄(海兵六十二期)、岩下邦雄(海兵六十九期)各氏へと交替し、事務局長は江上純一氏(海兵七十一期)が長く務めたあと、吾妻常雄氏(海兵七十三期)にバトンタッチされている。
「零戦搭乗員会」はその後、戦没搭乗員の慰霊顕彰の事業とともに、会員である元搭乗員の共同作業で『海軍戦闘機隊史』(原書房)、『神風特別攻撃隊員の記録』(私家版)を編纂、出版した(現在はいずれも絶版)ほか、毎年の総会、年に二回の会報発行など、いわゆる戦友会としては出色の、組織的かつ精力的な活動を続けた。
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