- 2017.01.08
- 書評
真珠湾攻撃75周年。祖国の命運を担って零戦で飛んだ男たちの肉声!
文:神立 尚紀 (NPO法人「零戦の会」会長)
『零戦、かく戦えり! 搭乗員たちの証言集』 (零戦搭乗員会 著)
戦後生まれの週刊誌カメラマンだった筆者が、取材を目的としてこの会と関わりを持つようになったのは、戦後五十年を迎えた平成七年(一九九五)のこと。当時の代表世話人は志賀淑雄氏だった。このとき、志賀氏から受けた注意が、いまも鮮明に心に残っている。
「あなたのように若い人が、海軍戦闘機隊に興味を持ってくれるのはありがたいこと。取材に対して協力は惜しみません。ただ、巷でよく見かけるように、特定の個人を『エース』や『撃墜王』といって英雄視することはやめてほしい。『海軍戦闘機隊にエースはいない』というのが、われわれ海軍戦闘機隊の総意です。
エースというのはもともと、第一次世界大戦のとき欧州で生まれた称号で、日本においてはない。初めからよその国の話なんです。それなのに、戦後、エースという言葉が広く使われるようになって事実が歪曲されてきた。そうでもしなければ本が売れないんでしょうが、それではいけない。なかったことを、さもあったことであるかのように既成事実を作られると困る。強いて言えばそういうものとは別の本を、あなたには期待しています」
もとより私には、特定の誰かを英雄扱いする気などなかった。だがこのとき、それまで読み、親しんできた市販の戦記本の多くが、当事者から見て噴飯ものであると知らされたことは、少なからず衝撃的だった。と同時に、当事者の思いは、生の声を集めていくことでしかわからないことを実感した。以来、筆者は、代表世話人公認の記録員のような立場で零戦搭乗員会に出入りし、多くの元搭乗員と接することができた。
しかし、会の発足から四半世紀、諸行無常の時の流れに、かつての戦闘機乗りにもいつしか老いが忍び寄っていた。会員の高齢化によって事務局機能の維持運営が困難になってきたことから、零戦搭乗員会の解散が話題に上り始めたのが平成十年。「続けられないのなら、男らしくきっぱりと解散すべき」「いや、海軍戦闘機隊は最後の一機まで編隊飛行を全うすべき」と意見は真っ二つに分かれ、役員会で何度も討議した結果、元搭乗員だけで組織する「零戦搭乗員会」はいったん解散、戦後世代に事務局運営を託す形で「零戦の会」を新たに発足させ、慰霊祭その他の事業を徐々に次世代に託していくことになったのである。
重慶上空で零戦が初戦果を挙げてから六十二年の記念日にあたる平成十四年(二〇〇二)九月十三日、靖国神社で、零戦搭乗員会の解散総会と慰霊昇殿参拝が、参加者二百四十名を集めて盛大に行われた。そしてこの日、「零戦搭乗員会」の解散と「零戦の会」(現・NPO法人零戦の会)の発足が総会で議決され、新生「零戦の会」がスタートする運びとなった。会長には引き続き岩下邦雄氏が就き、活動は、毎年九月の慰霊祭を柱に、四九号まで続いた零戦搭乗員会会報『零戦』の総集編の本の出版などを通じて、海軍戦闘機隊の歴史を後世に伝えること、などとされた。
その「会報の総集編」が、本書である。
会報『零戦』は、毎号、多くの元搭乗員による投稿で成り立っていた。読者も元搭乗員であり、しかも戦記本に多く見られるような、プロの作家や編集者の手を経た文章ではないので、洗練はされていないが虚偽や誇張の入る余地は少なく、長い歳月を経ての記憶の間違いなどを考慮に入れてもなお、史料的価値の高い、立派な会報であった。「このまま埋もれさせるのは惜しい」というのは、すべての関係者の思いでもあった。
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