「毎日ちゃんとしたごはんを作らなければ…」結婚後にプレッシャーを感じてしまった長谷川あかりが決めた「しなくていい」自炊のルール〉から続く

 SNSでのレシピ投稿が話題を呼び、現在は数々の料理本を手がけるなど幅広く活躍する料理研究家の長谷川あかりさん。7月30日に刊行される自身初のエッセイ『タコ セロリ アボカド』には、パートナーとの楽しいやりとりも収録されている。

 ここでは本書より一部を抜粋してお届けする。「地球最期の日に食べたいものは?」と尋ねた長谷川さんを驚かせた、パートナーの意外な答えとは……。(全5回の2回目)

長谷川あかりさん ©平松市聖/文藝春秋

◆◆◆

地球最期の日に食べたいものは

 夫から送られてきた写真を開いて、思わず笑ってしまった。ピタパンにこぼれんばかりのお肉が詰まったケバブサンド。しかも、ピントが合っておらず、少しボケている。写真がボケているのはいつものことだが、驚いたのは食べているタイミング。これが2週間のアメリカ出張に旅立つ前の日本での最後の食事だというのだ。

 よりによってなぜ、今ケバブサンドなのか。ケバブサンドがおいしいのはわかるけれど、せっかくなら定食かお寿司、牛丼、ラーメン、せめておにぎり。日本を長く離れる前に食べておきたい、いや、食べておくべきものは他にたくさんあるはずだ。私はそう主張した。

「いや、むしろケバブでしょ。こんなおいしいケバブサンドは日本でしか食べられないよ」

 私の主張にすぐに既読をつけた彼は、一点の疑いも迷いもない言葉で持論を即レスしてきた。「出国前の食事はさ、普段から食べ慣れていて、その上で、現地での希少性が高いものがベストじゃない?」と言うのだ。

 確かに彼は会社の近くに行きつけのケバブ店があり、そのくらい日常的にケバブを食べている。味の好みに合うかはさておき、アメリカではおにぎりやラーメンを見つけるのにそう苦労はしない。しかし、日本でよく見かけるピタパンにあのオレンジ色のソースがかかったケバブサンドはほとんど見かけないらしい。そう言われてみると、彼がわざわざケバブを選ぶ理由もわからなくはない……のかもしれない。

写真はイメージ ©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

「ちなみにだけど、地球最期の日のごはんもケバブでいいの? そこはさすがに日本食で締めくくりたいよね?」

「それはさすがにケバブじゃないよ。なんだろ。カオマンガイかな」

 さすがにケバブではない。が、カオマンガイであれば地球最期の日を心晴れやかに迎えることができるらしい。彼の感性はやはり私の理解をはるかに超えている。これまでいろいろな人と「最後の晩餐」について話してきたけれど、カオマンガイで地球の最期を見届けようとする人は誰もいなかった。よりによって、私の隣にいたとは。

写真はイメージ ©momomi/イメージマート

日本食でなくても「米と汁」があれば

「地球最期の日はお米を食べて締めくくりたいけど、別にうるち米じゃなくてもいい。それがタイ米でもジャスミン米でも、幸せな気持ちで地球の最期を見届けられるよ」

 その言葉を聞いて、初めてアメリカへ行ったときのことを思い出した。 高価な上に喉が渇くような強い塩気の食事が続く現地で、私の胃腸はすぐに悲鳴を上げた。探せば日本人の口に合う日本食はあるけれど、それは高級なハレの日の食事。たいていは、「本当の日本食」を知っている私の口にはイマイチ合わないものばかり。

「せっかく高いお金を払うなら、確実においしいものを……」。そう考えたとき、現地のアジア系移民の方々が営む本格的な、けれど気取らないアジア料理は最もハズレのない選択肢になる。アジアの料理には温かい汁物があり、醬油や魚醬のうま味があり、何より米を中心とする日本と通じる食文化がある。たとえ粘りのないタイ米であっても、その温かい米をひと口食べれば、異国の地で気づかぬ間に強張っていた心身が、すっと楽になった。

 日本食という慣れ親しんだ形式にこだわらなくても、米を食べ、汁を飲めば胃は落ち着く。きっと彼も、そうして異国の地で自分の心身を立て直してきたのだろう。

 日本人である前に、一人のアジア人である。  

 彼はアメリカ大陸へ渡るたびに、その素朴な事実を胃袋から痛感するらしい。

 ちなみに私は、出国前の食事はやっぱり寿司がいい。

「すき焼きの後はオレンジで口内をリセット」小学生の長谷川あかりがスーパーの店頭で実践していた“試食フルコース”〉へ続く