私が村松先生とはじめてお目にかかったのは、今から三十年ほど前、直木賞を受賞された「時代屋の女房」が映画化されてヒットし、続編がつくられることになったが、ヒロイン真弓役の夏目雅子さんが病に倒れ、急遽私が代役として抜擢されたときだ。
それまで作家といえば、「けものみち」で原作のみならず、ご自宅ロケまでさせていただいた松本清張先生しかお目にかかったことのなかった私にとって、目の前にあらわれた村松先生はまったく想像の範疇にない方だった。冴え冴えとして、青みさえ感じるほどの色白のお顔に、くっきりと濃い眉。すうっと通った鼻すじが舞台の歌舞伎役者のように端正なたたずまい。物静かでありながら、お話しされるときの瞳の奥はいつも微笑んでいるような優しさがある。当時四十代だった私のマネージャーは、先生とお目にかかるときはソワソワして、いつになくコンパクトなどのぞいていたっけ。当時まだ二十代の私には、はじめて間近に見る大人の知的な作家であり、“男の色気”を感じた男性である。
映画の撮影のあと、清水邦夫作、蜷川幸雄演出の「タンゴ・冬の終わりに」という舞台が初演された。ほぼ初舞台の私は、平幹二朗、松本典子といった大先輩の間で、ただその場に立ち、大声で台詞を言うのが精一杯という有様で、その戯曲の深い解釈や表現などできるはずもなく、劇場に行くのがいやで、舞台に穴をあけそうになったことも。そのときは自宅まで演出助手の人が迎えに来て、神山町のアパートからパルコ劇場まで泣きながら走ってことなきを得たが、私にとってそのくらい重荷の舞台であった。
そんな舞台に、村松先生がおいでくださることになり、件のマネージャーはまたまた舞い上がり、「もぅ、ナトリの下手な芝居なんて観ないで、大竹の舞台を観てくださればいいのにぃ」と口走った。当時、天才女優・大竹しのぶと同じ事務所に所属しており、彼女はすでに映画に舞台に、その才能を開花させ、輝いていた。忙しい彼女のやれない役をまわしてもらうこともあった。マネージャーは正直な人なのだ。脳と口が直結している。彼女の言うことは間違いではない。今思えば、まったくそのとおり。私もそう思う。ただ当時の私にはきつい一言であり、どかんと落ち込むのには十分なパンチ力があった。
そんなときに村松先生は、下手な芝居を観てくださった。私はなぜかほっとした。そのとき私は本能的に、先生のほかの人とは違う視点を期待していた。暗闇で立ちすくむ迷子の私を助け出してくれる一筋の光のような優しさを期待していた。
一番になったことのない私に、二番でもいいんだよと言ってくれるような気がしていたのかもしれない。代役の女優。控えのベンチ・ウオーマー。小さいときから兄が一番と言われて育ち、好きになる人は私ではない人と結婚してしまう。一番になれない女。二番の人――。それは今でも、どこか心の隅に潜んでいて、心が弱ったときにシクシクと痛みだす。
私はなぜだか村松先生の人を見る眼の中に、陰の中にも光を見いだす眼差しを感じていたのだと思う。先生の作品の登場人物は、ちょっと陰があり、痛みも優しさも、正面きって他人に見せたりはしない。さりげなく、軽やかに、でも確実に一番やわらかな芯を捉えている。「時代屋の女房」の安さんのように。
普通の人が窓から景色を見るところを、村松先生は風を見ている。形のない“風”を見る眼差しを持っている人だ。
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