研修医になって以来、四十一年勤続していた慶応義塾を二〇一四年三月末に定年退職したところ、一週間もたたないうちに古巣の慶応大学病院放射線治療科から封書が届きました。何かと思って開けたら以下の文面です。がん治療現場で医者たちが何を考えているのか、患者ないし患者予備軍の読者には知る権利があると思うので、全文を掲載します。
「慶應義塾大学病院放射線治療科への紹介に関する要望書
ここ約一年、近藤誠がん研究所から慶應義塾大学病院放射線治療科にご紹介いただいた患者さんに対応してまいりましたが、連携する他科の中には近藤誠先生からの紹介というだけで過剰な反応を示す医師も少なくありません。
今までも他科との連携を取ることが困難な事例が複数あり、我々医療スタッフの負担増大、なによりも患者さん自身にも円滑に治療が進められないなどの不利益が生じてしまっています。
放射線治療科外来担当医全員の意見として、次の事項について要望いたします。
記
慶應義塾大学病院放射線治療科への患者さんの紹介は、近藤誠がん研究所からではなく、紹介元病院の担当医からしていただきたい。」
この文書がだされた経緯や背景は何か。がん治療現場の一断面が見えてくるので、それを解説し、あとがきに代えたいと思います。
もともと私は、定年後は診療にタッチせず、研究と執筆に専念するつもりでした。ところが二〇一二年末の菊池寛賞受賞や『医者に殺されない47の心得』の出版を機に、セカンドオピニオン希望患者が激増したため、慶応病院での限られた診察枠ではどうにもならなくなり、二〇一三年四月に「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開設しました(http://www.kondo-makoto.com/)。
すると文字通り、全国から患者・家族が押し寄せてき、一年半で三〇〇〇組の相談にあずかりました。米国、フランス、イタリア、韓国など海外から来られる方々もおられますし、ペットのがん治療相談もあります。
相談可能であるのは、胃がん、肺がんなどの固形がんから血液がんまで、あらゆる種類の、あらゆる進行度のがん種です。それらの相談を私一人が担当しているのですが、がん治療医たちの想像が及ばないらしく、紹介状の宛先が「近藤誠がん研究所・婦人科担当医殿」とか「乳腺外科御中」となっているものを見受けます。よほど多数の医者が働く研究所と勘違いされたものか、光栄なことではあります。
もっとも、すべての相談に応じるには、知識を常に更新しておく必要があります。毎朝三時に起きて医学雑誌の読みこみ、執筆、取材、そして外来と、少々忙しい仕儀となりました。しかし、定年後に仕事に追いまくられるのも、ある意味幸せなことと言わねばならないでしょう。閑話休題。
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