というのも、酒飲みとはこういうものだという酒飲みのありうべき姿、ありのままの姿が、『酒にまじわれば』では鮮やかに捉えられている。酒飲みは、何かきっかけを見つけると、あるいは見つけなくても、「ちょっと一杯」と飲み始め、それは決して「ちょっと一杯」では終らず、そばにいる知らない人といつのまにか仲良くなり、やがて酒なら何を飲んでもかまわなくなり、最後には意識や記憶をなくしてしまっている。
酒を嗜(たしな)まない人からすれば、あるいは酒を飲むにしても、とても行儀よく飲む人からすれば、ここでなぎらさんが書いている話は、酒飲みの「ばか」話ではなく、「ばか」な酒飲みの話のように思えるかもしれない。しかしなぎらさんももちろんそうだし、このぼくもそうなのだが、自らを酒飲みと認める者は、この「ばか」の領域まで行かないと、酒を飲んだことにならないし、そこに辿(たど)りついてこそ初めて、酒を飲む楽しさを味わうことができる。
そんな酒飲みの「ばか」さ加減、どうしようもなさ、くだらなさが、実はどんなに素敵で、日々を楽しいものにしてくれているのかということが、なぎらさんのこの本からはぷんぷんと、安い(?)お酒の匂いと共に伝わってくる。そして自称酒飲みのぼくとしては、「なぎらさん、あんたも正真正銘の酒飲みだ。酒飲みの鑑だ!」と、エールを送りたくなってしまう。
最近もなぎらさんと一緒に酒を飲む機会が何度かあったりする。その気さくな感じ、飲み進むにつれて次々飛び出すやたらと面白い話など、昔「ぐゎらん堂」で一緒に飲んでいた時と今もまるで変わることはない。ただひとつ違うことがあるとすれば、いろんなところで歌を歌うだけでなく、テレビや映画に出演することも多いなぎらさんは、どの店に入っても「面がわれて」しまっていて(覚えやすい素敵な顔ということもあるが)、「あっ、なぎら健壱だ」、「なぎら健壱が飲んでいる」とじろじろと見られ、注目を集め、やがては必ずと言っていいほど話しかけられてしまう。
「有名人」なぎら健壱となってからの、酒にまつわるさまざまなエピソードも『酒にまじわれば』にはたくさん登場しているが、そこに書かれているとおり、知らない人ともすぐに仲良くなってしまう彼は、とてもスマートな酒飲みでもあるのだ。
ああ、こんな本を読むと、すぐにもまたなぎらさんと一緒に酒が飲みたくなってしまった。
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