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第9回 生みたい気持ちの成分は

第9回 生みたい気持ちの成分は

川上 未映子

 それにしても妊娠中は、まだ半年がようやっと過ぎようとしている今でさえ、何種類もの不安が、すでにいくつもうずまいている。妊娠してから芽生えた不安もあるけれど、妊娠なんてするかしないかも全然まったくわからなかった10代の頃から、じつはわたしには抱えていた不安がひとつあるのだった。

 それは、夢にかんすること。女の子がどれくらい妊娠にまつわる夢をみるものなのかはわからないんだけど、わたしは10代の頃から、そういう夢をかなりみるほうだった。

 夢の中で、どういうわけか妊娠していて、そしてお腹がどんどん大きくなっていって、生むしかなくなり、夢のなかで、その迫りくるすべて、逃れようのないすべて、取り返しのつかないすべてに、すさまじい恐怖を感じている。そしてばっと目がさめて、がばっと夢から起きあがってみると、わたしのお腹はひらたいままで、ああ、妊娠は夢だったと知って、これ以上はない安堵のためいきを、胸の底から思い切り吐いて、ああ夢だった、夢でよかった、ほんとうによかった、と、何度もそういうことを体験してきたのだった。そしてそのときに思ったことは「いつか、わたしの身に、これとは逆のことが起きてしまうのじゃないか」ということだった。つまり、いまとおなじような夢をみて、もしそのときにほんとうに妊娠していたとしたら、夢から覚めてもわたしのお腹は大きいままであって、その現実にふくらだお腹をみたときに、わたしはいったいどうするのだろう、という恐怖だった。覚めない悪夢のおそろしさだった。妊娠する夢をみて、それが夢だとわかって安堵するのをくりかえしながら、わたしはずうっと、そんなこと考えていたのだった。
 

 けれどじっさいは。妊娠して半年以上がたつこのときまで、わたしは10代の頃に頻繁にみていたあれらの妊娠恐怖の夢をまだ、一度もみたことがないのだよね。ぜったいみると思っていたのに、あんなにおそれていたのに、まだ一度もみたことないし、妊娠中はけっきょく最後まで、そういった夢をみることはなかった。どうしてみないのだろうかと、そんなことを考えてももちろん答えはでるはずもないのだけれども。これはこれで、わたしにとってはほっとすることであったとどうじに、とても不思議で、また、どこか示唆的なものでもあるのだった。あんなに、あんなにみたのになあ。
 

 おそろしい夢はみなかったけれど。目覚めて絶叫せずにはすんだけれど。でも。ああ。妊娠するだけで(というか、一大事ではあるのだけれど)、こんなにも、こんなにも、考えること、感じることが圧倒的にふくらんで、いったいこれは、なんだろう。心配ごと、不安なこと……自分のものも、そうでないものもたくさんたくさんとりこんで、それを自分のなかで、むやみやたらに増殖させているみたいな気持ちにさえ、なってしまう。具体的にこれといったことなんてないのに、ただただ、なんだか心細い。気持ちがゆれて、油断したらなぜだか涙が垂れてしまう。そしてわたしは、はたと気がつく。もしかしてこれが。もしかして、これが。……う、うわさのマタニティーブルーってやつなのか。マタニティー・ブルーって、これとちゃうの。そしてわたしはここからまるまる1ヶ月ほど、「完全に完璧などこからどうみてもマタニティー・ブルーの人」として、生きることになるのだった。

きみは赤ちゃん
川上未映子・著

定価:本体1,300円+税 発売日:2014年07月09日

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