満屋はまた、AZTをものにしたことで当時、他の研究者から羨望の眼を向けられていた。同時に、「満屋はこれでおわり」とも思われた。AZTの他にもddIとddCを世に送りだすことなど、思いもよらなかったからだ。ddIとddCはAZTと薬理学的に同じ系列の薬だったということもあるが、満屋の閃きがなければ本当にAZTだけで終わっていただろう。
AZTはいまでも感染者・患者に服用されている。ddIもいまだに飲まれている。だが三番目に認可されたddCはいま、使われていない。
「ddCは死にました。副作用がありましたから」
三薬が認可されたあと、今度は本当に「いよいよ満屋は終わり」と思っていた研究者がいた。というのもddCの認可後、十年以上も満屋はエイズウイルスに効く新しい薬を世に送りだしていないからだ。一人の科学者が魔法のようにいくつもいくつも新薬を発見できるものではない。ましてや政府が認可する薬となればなおさらだ。
だが満屋は四つ目のエイズ治療薬を見つけるのである。
熊本とワシントンの二重生活をするようになって六年目の二〇〇三年のことだ。エイズウイルスの成熟にかかわる酵素の働きを止める薬を発見する。
「ダルナビル」という名前がつけられた薬は、プロテアーゼ阻害剤という種類の薬で、インディアナ州にあるパデュー大学のアラン・ゴーシュ教授との共同研究で成功をおさめた。
満屋は自分で薬を合成することはしない。化学者ではないからだ。満屋はもちろん医師であり、細胞生物学や分子生物学、免疫学、ウイルス学、薬理学もひも解いた科学者だが、薬をつくることはしない。その仕事は化学を極めた人の手にゆだねられる。
一五年春、四つ目のエイズ治療薬を発見したいきさつを聞くため、都内で晩御飯を共にした。ワシントンの研究室でいくぶんか緊張しながら満屋の話を聴いていた時代とは違い、わたしと満屋は個人的な話も普通にする間柄になっていた。何しろ出会ってから二十八年である。けれども、研究の話になると真剣さが増す。
満屋はダルナビルの発見への道筋を「きわめて簡単」と言った。
「アラン・ゴーシュという化学者がいろんな薬をつくっていて、製薬会社や大学などに活性をみてくれと配っていたのです。彼はまだ無名の化学者で、NIHにも送ってきたのです」
そのなかにダルナビルがあった。ただ、満屋の前に何人もの研究者に同じ薬が届けられていた。だが誰もエイズウイルスに効くことを見抜けなかった。
満屋が他の研究者と違うのはここである。つねに研究の最前線に身をおいて、環境を整えている。実験用にエイズウイルスの耐性株をたくさん持つことで、ダルナビルに大きな価値があることを発見したのだ。
満屋の研究室に届けられなければ、間違いなくダルナビルは磨かれないダイヤモンドとして埋もれていた。優れた研究者だけが、土をかぶったダイヤモンドを探りあてられると同時に、研磨する技術をももっているのだ。しかし、すべてが順調ではなかった。
「その時、僕のところに持ってきたのは同じNIHにいたジョン・Eという共同研究者だったのです。ダルナビルを僕の研究室で調べたら抗ウイルス活性がでた(効くことがわかった)ので、特許を申請しようという話になりました」
ところがジョン・Eは満屋とゴーシュ教授の名前を入れずに、部下と二人だけで特許申請をだしていた。またしても特許にからんだ不正に巻き込まれることになった。
特許では過去に痛い思いをしていた満屋は、黙っていなかった。
「多くの人間は特許の話になると欲がでてきます。ダルナビルの中核的なデータは僕の研究室でだしたものです。特許には発明人(ゴーシュ教授と満屋)の名前が入らないといけない。だからアメリカの特許庁に手紙を書いて、このままだったら特許を“殺す”と脅したのです」
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